2020年11月29日日曜日

四十九日法要 あっという間の一ヶ月半

早かった一ヶ月半 一段落はまだまだ先

 今日は四十九日の法要だった。母が亡くなってからもう一ヶ月半である。あっという間の一ヶ月半だった。今日一日もあっという間。。そして、もう明後日からは12月である。


休日はほとんど病院、葬儀屋、市役所、銀行、郵便局等々の何らかの用件で出歩いてばかり、終わると夕方‥仕事の方もコロナの影響なぞどこ吹く風‥フル回転の毎日。。父や祖母の時と同じで、想像はついていたのだが今回もやっぱりしんどい。

喪中はがきや相続、遺品整理など、やること山積みである。恐らく一周忌の頃まで終わらないのでは‥そんな予感がして来た。法要では住職様が「お亡くなりになった方が"浄土"に到着される日が四十九日」「とりあえず一段落となる日」とのお話をされていたが、私の方の一段落はもう少し先になりそうである。

父のお骨も納骨 お墓の中は大混雑

今日は母だけではなく、父親のお骨も納骨した。父は14年前に亡くなったのだが、母の希望で納骨していなかったからだ。もちろん、当時母は元気だったので、自宅で十分に供養出来ていたが、後年はほどんど「放置」の状態だった。さらに病気や認知症が進み、病院・介護施設を渡り歩いた最後の6年では父の名前すら口にすることはなくなっていた。

なので、私は「父納骨のタイミング」を長い間考えていたが、結局、母が亡くなった今回のタイミングとなっってしまった。「毎日供養」から「ほとんど放置」になっていた父のお骨。私の中に常にあった心の引っ掛かりは今日なくなった。

しかし、お墓には父と母の「ふたりで」入っているわけではない。母側の父母(私の祖父祖母)と母側の先祖代々のお骨(7~8人分)が納められているからだ。東日本大震災の時、母側のお墓が崩れたのを機会に、お墓の修復はせず「寄せ墓」をしたためである。今日の納骨の際、「お墓の下」を見る事ができたのだが、骨壺が5個もあってそれなりに狭い感じだった。

ちなみに「母側の先祖代々」の方々のお骨は「粉骨」と言って「寄せ墓」の際に粉々にしてひとつの骨壺にまとめている。。「寄せ墓」「粉骨」‥いわゆる「無縁仏」を増やさないための方策だと思うが、そういった合理的なことができる‥ということを当時は意外に感じたモノだった。

「悲しむヒマがない」から少し元気に

あたり前なのかも知れない。何年も前から覚悟していたことではあるが、母が亡くなった当初は強い喪失感、空虚感を感じたモノだった。しかし、葬儀、様々な手続き、仕事との両立‥等々でここ一ヶ月半は「悲しむヒマ」がないような日々だった。

たぶん、会社の連中などは、私が喪に服していることなど完全に忘れているだろう。忌引き休暇が明けてから一ヶ月半‥今では容赦なく仕事を吹っかけて来る。。ただ、そんな環境に身を置くことで、「底なしの落ち込み」にハマり込むようなこともなかったように感じる。最近はテレビ番組やネット動画を見て「笑う」ことも増えて来た。

「落ち込んだ」つもりはなかったのだが、やはり心の底のどこかに穴はあったようだ。

無理せず自然に任せる事が一番と思うが、これからも少しずつ気持ちを上げていきたいモノだ。


2020年11月23日月曜日

ウーン釣れない 潮が大切であることを体感した

連休!・快晴! 絶好の釣り日和!

世間的には「3連休の最終日」。私は土曜出勤だったので関係なかったが、2連休でそこそこ時間も取れたので、久し振りに、釣りを「休日実行」した。なぜ「休日」を強調するのか‥と言うと‥「場所取り」を必要とするからだ。

平日は午後から出発しても釣り場は「ガラガラ」だが、日・祝日は、朝6時には「満員」状態。。なので「休日実行」の場合は「場所取り」をする。今日も早朝3時起床、5時に釣り場に到着した。今日は行も帰りも高速道路を使ったので、車での移動は渋滞なくスムーズだった。

11月も後半。朝5時は「完全な夜」である。堤防の上から眺める星空は格別!スマホ撮影で星を捉えるのは難しいだろうが、画像中央に金星が映っている。


ちなみに、画像右の灯台の光は点滅しているので、光っている時に合わせて撮影するのは結構難しかった(笑)。上の画像だけだと何だか分かり難いので、朝焼けの画像もひとつ‥


あー幻想の世界‥

こんな光景の真っただ中に自分がいること自体がまた嬉しい!日常の喧騒・ストレスなど吹き飛ぶ気分である。これで魚がたくさん釣れればパーフェクトなのだが‥そこはどうもうまく行かない。。

魚がいない感じ‥今日は小潮、干潮

仕掛けを準備し、5時半ごろからスタートしたが、今日はホントにさっぱり(ダメ)だった。釣れるどころか「アタリ」もなかった。周りにたくさんの釣り人がいたが、釣上げているシーンをほとんど見なかった。素人考えなのだが何となく魚がいる気配がなかった。

帰宅してから調べたのだが、潮は小潮、干潮‥なるほど!

「3連休」の割に空いていたのはそんな理由もあるのか‥

開始から2時間程してからモゾモゾと「アタリ」を感じる時間があった。その時間に立て続けに4匹釣れたのだが、釣れたのはクサフグ3匹とキタマクラ1匹‥「釣れた」と言っていいのかどうか‥その後はまた「アタリ」もなし‥ただ水溜りにエサと仕掛けを放り込んでいるだけのような感じだった。当然、釣った魚たちはすべてリリース。。


ここ数回、「潮」を意識して「大潮、満潮」の日時を選んでいた、だからなのかも知れないが「周囲は釣れているのに自分は釣れない‥」こんな状況が多かった。「自分だけが釣れない」のであれば、もっと研究して自分のやり方を工夫・改善すればいいのだが、「だれも釣れない」では工夫の余地もない。。

今日は「潮」の重要さを体感できたことが収穫だった。「連休」という日程の都合だけで釣りに来てしまったが、「潮」は「参考」ではなく「重要要素」のひとつと考えることにした。釣り日程を決める時には、きちんと「潮見表」を見るようにしようと思った。

ちなみに「キタマクラ」をちゃんと覚えていたので、釣った瞬間に「ヤバッ」と気付く事ができた。当然、素手で触らず対応した(笑)。魚の種類と特徴も徐々に頭に入って行けば、さらに釣りが楽しくなるだろう。

秋晴れの釣り場を撮影 癒し効果あり!

今日は8時頃に終了したが、とにかく秋晴れ・快晴で景色は最高だったので帰り際に撮った写真を一応残しておきたい。最近ふと思ったのだが、通勤中、電車の中で釣った魚や釣り場の画像を見ると、結構癒されることが分かった。「自然のチカラ」とはこーゆーものなのだろうか。





2020年11月22日日曜日

職場の非常時 アラサーオタクM子の行動に思う

職場の非常時 こんな時こそ助け合い

9月に職場のAさんが倒れて休職となった。私とほぼ同じ歳、下手すれば命に関わる状況だったそうだが、何とかもちこたえて今は年明けの職場復帰を目指している。そのAさんと組んで仕事をしているM子。アラサー半ばにしてアニメにドハマリ‥というか幼少の頃から度の強いアニメオタクがそのまま30代になったような女‥。


Aさんが倒れたことでタッグを組んでいたM子に仕事のシワ寄せが行き、M子が悲鳴を上げた。今まで二人で回していた仕事‥それを一人でできるわけがない‥上司了解のもとで仕事をあちこちに分担させているようだった。それでも残業続きのM子。私も少々同情を感じていた。

そして、先日、私にもM子の仕事の一部を受け持ってほしいとの依頼があった。非常時だからやむを得ない‥慣れない仕事で、かつややキツメの仕事ではあったが快諾した。こんな時はお互い様だからと‥。ただ、その依頼が上司を通してではなく、直接M子から話があったことに少し違和感はあった。

勤務中のネットサーフィンで信頼度大幅ダウン

そんなこんなのここ数日だったのだが、今日、そんな話を私と組んで仕事をしているS香に話した。するとS香からこんな話を聞いた。

「M子って勤務時間中に堂々とネットサーフィンしてるんです。あたし(S香)、M子の隣に座ってるから見えるんですけど、気が付くとネットサーフィンしてます。Aさんが倒れた後も特に変わりなく‥M子のネットサーフィンは結構有名で、Oさん(上司)も知ってます。」


「あたし(S香)も、N美もM子から仕事振られたんですけど、ホントにM子って忙しいのかって正直疑問なんです。。N美は"あんまりいい気分でない"って言ってます。Oさん(上司)もM子のネットサーフィンのことは知ってるんですけど、"今は非常時なので"ってことで‥仕方なくM子から振られた仕事は私(S香)も受けました。」

これを聞いて「やられた」と思った。私はM子のネットサーフィンのことは知らなかった。通常、担当業務の調整は上司を通して行うのだが、M子が私に仕事を振って来た時に、何となくOさん(上司)が間に入ってこなかったこと‥M子が直接相談を持ち掛けて来た違和感の謎が解けた。。

たぶんM子は今まで通りネットサーフィンができるレベルで仕事をするために、周囲に仕事を振りまくっているのだ。当然、それを快く引き受ける者などいるわけがない。私はそんな状況に気付くことができなかった。。

しかし、M子自身は真剣なのだろう。Aさんが倒れたことで仕事が2倍‥今まで出来ていた仕事中のネットサーフィン‥それが出来ないのはおかしい!業務分担の偏りのすべてが私に来ている!私は被害者!‥と言わんばかりにOさん(上司)に相談したのだろう。ちなみにM子はOさんのさらに上司のU次長にまで相談を持ち掛けているようだった。

こっちもヒマではない。ネットサーフィンの話は本当のようなので、そんな社員(M子)の仕事を手伝ってやるなんて問答無用である。上司に反論してM子から受けた仕事を突き返すことも出来そうだが‥今回は見送ることにした。M子の仕事を引き受けてやることにしたのだ。

オレが忙し過ぎるのはすべて会社のせいだ!!

思えば十数年前、私が今のM子と同じくらいの歳、同じくらいの入社年数(4、5年‥かな)の頃にM子と全く同じ事をした覚えがある。当然私はネットサーフィンなどしていなかった。朝から晩まで仕事詰め。残業の連発。休日返上の日々で仕事量の多さに納得できないどころか怒りさえ感じていた。


私は当時の上司に相談し、無理やり会議を設定し、無理やり自分の仕事を周囲に割り振った。当然、皆イイ顔をするわけがない。味方になってくれる筈の上司もなんだか冷たい。。

「なんで誰もわかってくれないんだ」「オレはこんなにたくさん仕事してるのに」「仕事の分担が偏ってる」「オレは悪くない」「オレは被害者」「仕事の分担は当然!」

この時の私の心境である。たぶんM子も今はこんな心境なのだろう。しかもM子の場合は「Aさんが倒れた」という正当な前提がある。「非常時のシワ寄せをすべて私(M子)に押し付けてる!」なのだろう。。

でも、仕事中にネットサーフィンしていればM子の主張は説得力ゼロになる。本人はそのことに気付かない。ネットサーフィンしなければ、Aさんの分の仕事もそれなりに回せるのではないか‥

要は「人に仕事を振る前に、自分で工夫改善したのか?」である。たぶん、M子はしていない。十数年前の私も同じだ。

「仕事の量が多過ぎる」

「私は十二分に頑張っている」

「私は正しい」

ここに固執してしまって周囲の意見など聞き入れない。自分を見直すことなど眼中にないのだ‥何故なら「すべて会社のせい」「自分は悪くない」のだから‥

結論を言えばS香やN美が正しい。M子や私は間違っている。。もちろん、今のM子に味方する気は全くないのだが、十数年前の私自身の行動を鑑み、今回は「黙ってM子から振られた仕事を受けてやる」ことにした。

当時、私自身が周囲にかけた迷惑のツケが、今回って来た‥と思うことにした。


2020年11月17日火曜日

ほとんどが母の宛先 手紙差しの整理に思うこと

月命日は18日 本当に早かった一ヶ月

早いもので母が亡くなって一ヶ月が経つ。月命日は18日だ。月並みだがここまであっという間だった。母を看取り、病院の待合室から葬儀屋さんへ連絡‥夜中に母を自宅に連れ帰ったあの時から‥葬儀の手配・執行、会社への連絡・残務整理、挨拶回り、病院・葬儀の清算、役所、保健所等への届け出、相続手続き‥


当然、まだすべて終わったわけではない。全体から見れば3割程度‥といったところだろうか。今日も平日の休みを利用して市役所へいくつかの手続に行った。ここ一ヶ月は、日曜日に書類を書き、平日に届け出や電話確認‥といった生活が続いている。仕事をしながら、週2日の休暇を使って行動するとなると、どうしてもこのパターンになってしまう。当面はこんな状態なのだろう。

今日は市役所への外出が終わった後は家で何本か電話をした。年金や相続絡みの連絡である。届け出、手続き関係は、これからが本番に入って行く。相続関係は戸籍謄本が必要だの郵送手続き不可だの何かと手間と時間を要するので、これからも引き締めて行きたい。

手紙差しに差し込まれた領収書の量に驚き

そんな日々なので、最近の平日の休暇は、午後5時を過ぎると何となく終わった感が出る。役所などへの問い合わせ終了時間だからだ。今日も例外なく夕方5時頃まで電話をしていたが、その後は、私の机の後ろにある「手紙差し」の整理をした。「あるある」だと思うのだが、「手紙差し」がパンパンになっていた。


自分の中では、結構手紙差しの整理はマメにやっていると思っていたが、それでも3年前の請求書や領収書がゴロゴロ出て来る。。あまりパンパンで生活感丸出しだったので、やむを得ず手紙差しの整理を始めた。

まとめてザックリ捨ててしまってもよいモノばかりなのだが、請求書、領収書類はなかなか無下にできない。一部見ては破いて捨てる‥の繰返し‥結構果てしない。。それでも名前や住所、電話番号まで書かれている書類を「そのまま」捨てると何となく気持ち悪いので一部見ては破いて捨てる‥の繰返し‥かなり果てしない。。今日は「1時間」と決めて黙々と作業した。

請求書、領収書、役所からの通知書‥宛先は母ばかり

請求書、明細書、領収書だけでなく通知書なんてのもある。病院、市役所、介護施設、銀行、理容室(高齢者専用の)‥発行元も様々なのだが、作業しているうちにふとあることに気付く‥宛先のほとんどが母なのだ。

もちろん、私が一度目を通してから手紙差しに入れるわけだから認識している筈であるが、改めて見るとスゴイ量だ‥恐らく手紙差しに入っている8割以上が母のモノだろう。


DM(ダイレクトメール)は少なく、ほとんどは私が何らかの手続きを行ったために作成された書類ばかりだった。このブログで何度も書いているが、母の見守り・介護を行って14年。「長い月日が経った」ということを、意外にも手紙差しから感じさせられたのだ。

残っていた領収書などの日付で一番古かったのは3年程前だったので、たぶん手紙差しの整理は3年程やってないのかも知れない‥(汗)。ただ、これはあくまでもサボっていたわけではなく「念のため保管」していたモノも多い(言い訳のようだが‥)。

そして気付く。「念のため保管」していたのは「書類」だけではない。母の衣服や本、雑貨類はかなり保管してある。この辺の整理も始めて行きたいと思うのだ。

まだまだ「やること」は終わらない。


2020年11月14日土曜日

買ったのは自分のモノばかり 週末のショッピングモールにて

結構混んでる週末のショッピングモール 

久し振りに土日休暇となったので近所のショッピングモールへひとりで買い物に出掛けた。コロナの影響はどこへやら‥週末のショッピングモールは混んでいた。


小さな子供のいる家族連れが目立つようだったが、友人同士やカップルで買い物を楽しんでいる方々も多かった。そんな中で冴えない格好のオヤジがひとりでブラブラ‥決してカッコイイ感じではないだろう。でも不思議と孤独な気持ちにはならない。むしろ孤独を楽しめた感じだった。

中には中高年親子と見受けるふたり連れなども見掛けた。中年の方が子供で高齢の親御さんらしき方と歩いている。よい親孝行である。小さな子供たちを連れて‥親を連れてショッピング‥自分にもこんな時期があった‥などと少々「上から目線」で周囲の人々を見ていたのは許していただきたい。

「家族連れ」の真っただ中にいた かつての自分

最近、皆無になったわけではないが、子供たちを連れて外出することは少なくなった。コロナの影響もあるが、実質的には子供たちが大きくなってきたからだ。長男が高校1年生、次男が小学5年生‥むしろ親と肩を並べて歩くなど嫌がる。もちろんいくつになっても友達のように子供と接する考え方もあろうかと思うが、私は「無理に一緒」でなくてもいいと思っている。なので最近の外出はほとんどひとりだ。

思えばこのショッピングモールが「グランドオープン」した十数年前、私は家内と車椅子の母、そしてヨチヨチ歩きの長男を連れて買い物に来た。次男はまだ生まれていなかった。おばあちゃんの車椅子を押したがる長男と一緒に母の車椅子を押して歩いた。もちろん母も大喜びだった。車椅子を押して喜ぶ子供、押されて喜ぶ母‥二人の様子を見てこちらが癒される‥そんな「家族連れ」の光景の真っただ中にいた。


時が流れて母は亡くなり子供たちも成長した。そして今、私は一人でここ(ショッピングモール)に来ている。どうやら私の「家族連れ」の時期は終わりを告げたようだ‥時の流れを感じずにはいられなかった。モール内にある野外食堂で楽しそうにおやつを食べている家族連れを横目に、私は自動販売機で買った棒アイスをベンチに座ってひとりで食べる‥でも不思議と寂しさはなく充実感すら感じられるのは、そんな思い出に支えられているからなのかも知れない。。

気付いたら買ったのはすべて自分のモノ

今日は私にしては珍しく、服と靴を買いに来た。フリースの上下とタートルネックのインナーと最近始めた釣りの時に履くズボン(最近はパンツと言うらしいが‥)、そして会社用の革靴‥以上の5点だ。服はすべて某大手衣料品販売店ユ〇ク〇ですべて用が足りた。靴もしま〇らで何と1,680円!で手に入れた。以前、同じしま〇らで2,000円で革靴を買ったのだが、2年近く雨天時の水漏れもなく履けたので今日も何となく覗いてみたらあったのだ!1,680円で(喜)。


若かりし頃は服や靴を買うためにわざわざ渋谷、上野、お台場に出向き、数千円、数万円を惜しみなくつぎ込んだ‥当時は「身だしなみ」などともっともらしい理屈を付けていたが、結局は「女子にもてたい」の一心だったのだろう。30代、40代と歳を重ねるに連れて「洋服代」はどんどん減少。人の価値観なんて変われば変わるものだ。。

珍しく多くの買い物を終えて車に戻ろうとしている時だった。ふとある事に気付いた。。

そういえば今日買ったのはすべて自分のモノ‥

「一点買い」なら最近だって何度もしている。でもこんなに自分のモノをまとめて買ったのはいつ振りだろうか‥結婚後は覚えがない‥ましてや子供が生まれた後なんて皆無だ。たぶん20代の頃まで遡る‥そう、こんな買い物をしたのは20数年ぶりなのだ。。。

別にそんなつもりはなかった。ただ必要なモノが増え、たまたま会社が連休になったので買い物に来ただけだった。なのにこんな感慨の連続‥こりゃ歳取ったのかな‥。


2020年11月12日木曜日

子供に話せないアメリカ大統領選挙の憂鬱

父親の立場から思うアメリカ大統領選挙 

バイデン議員とトランプ大統領が争ったアメリカ大統領選挙。政治的なことは詳しくないので、いわゆる「法廷闘争」が取り沙汰されている今の状況の是非を論じるわけではない。ここでは子を持つ一人の父親としての立場からの話である。


私には高校1年生と小学5年生の息子がいるのだが、結論から言えば今の状況をあまり子供と話したくない。話す気がしないのだ。

理由は簡単‥「正々堂々」「潔さ」「フェアプレイ」‥こういった言葉から明らかにかけ離れている。運動会の徒競走で2位の子が、1位の子に「お前、フライングしただろ!」と言ってるのとあまり変わらない感じがする。

カッコイイ大統領カッコイイ大人

今回のアメリカ大統領選挙において不正があったのかどうかはわからない。「勝者が不正をしたのか」「敗者が言い掛かりをつけているのか」それはわからない。ただ、いずれにしても「全力で戦った者同士のリスペクト」「勝者の敗者に対する労い」「敗者の潔さ」が表に見えてこない。単純に見ていて見苦しいのだ。

「政治は大人の世界のものだからドロドロしてあたり前」そんな考え方もあるだろう。しかし、アメリカ大統領選挙たるや子供たちの夢や希望、お手本であってほしい願いもある。「将来は総理大臣や大統領になりたい」と思う小さな子供も見ている。将来は政治の世界を志す中高生も見ている。この事態を私たち大人は何と言って子供たちに説明すればよいのだろう。

物事のありのままを伝えて子供に判断させる‥日常的には私はこんな感じで子供に接してはいるが、今回の選挙の事態は、何となく「ありのまま」を伝えることにためらいを感じる。「失望」とまでは行かないのだろうが、政治に対して関心を薄れさせる原因となってしまう。そんな気さえする。いい大人が勝負の後に揉めている‥それが国会議員だとして‥大統領だとして‥誰がそれをカッコイイと思うだろうか。

フェアプレイ精神を伝える役割

昨年5月の令和への改元、今年8月の安倍総理の退陣など、政治的な大きな出来事の時には、なるべくそのことを子供たちと話すようにしていた。少しでも政治に関心を持たせたいという気持ちもあるが、今回の大統領選挙については、政治への関心だけでなく「勝負に対する姿勢を学ばせたい」気持ちもあった。

後者はスポーツ観戦などでもできそうだが‥案外テレビ中継などで試合後にお互いを称える‥なんてシーンはほとんど放映されない(サッカーのワールドカップやオリンピック‥くらいか‥な)。勝敗(開票結果)が決した後にお互いが称え合い、握手をし、敗者は潔く負けを認めて政権を譲る‥そして選挙によって一時的に「分断」した人々が統合に向かって協力し合って行く‥そんな「フェアプレイ」のプロセスをテレビ越しにでも見せたかった‥そんな話を子供に伝えたかったのだが‥台無しだ。

アメリカ大統領選挙 今回は話さない

事の真偽がどうなのかはわからないし、それを論じるつもりもない。大袈裟かも知れないが、民主主義の頂点、子供たちの夢や希望、お手本となるべくアメリカ大統領選挙で、投票が済んだ後になって「不正」だの「法廷闘争」だのと騒がれている時点でNGである。それは「正々堂々」でもなく「フェアプレイ」でもなく、勝負を決した後の「潔さ」もないからだ。

なので、今回のアメリカ大統領選挙のことは子供たちと話していない。


2020年11月7日土曜日

釣り場の人間模様 左隣のジィサンと右隣のお爺さん

快晴!青い海!コンディション良好! 

一昨日、釣りに行って来た。母親のこともあり、しばらく止めていた。気分的にも複雑な感じだったが、気分転換が必要だとも思ったので行ってみた。初めて平日の午後のタイミングで行ってみた。秋晴れの快晴、風も弱くコンディションはとても良かった。


まさに秋晴れ!青い海!気分転換にはよい感じだった。人出もまばらで難なく場所取り成功。午後3時からの釣り開始となった。堤防釣りなのでいつも釣り人が横並びになるのだが、今日は間隔も広く、隣の人をほとんど気にすることもなかった。気分よく竿の準備をしている時に、何の気なしに両隣がおじいさんであることは分かっていた。

そして、釣りを開始して1時間程経った頃だろうか‥左隣のジィサンが急にベラベラと話し始めた。ジィサンにしては結構な勢いだが‥何となく不自然な空気‥何となく無理して会話を持ち出している雰囲気に息苦しさを感じた。

ふと見てみると、いつの間にか私の隣で若い感じのカップルが釣りを始めていた。夫婦のようだった。ふたりとも帽子とマスクをしていたので表情までは分からなかったが、男性は大柄でスポーツマン風のイケメン。女性はジーンズ姿がスラリとしたスタイルの良い上品そうな方だった。要するにイケメン、イケジョカップルである。

そこでピンときた。

このジィサン‥軽いナンパモードに入ってるな‥。

69年目のナンパ 空気読めないジィサンの憂鬱

釣りの指南を口実に無駄話を吹っ掛けていた。私の左隣にいるので、嫌でも会話が聞こえてしまう。基本的に釣り場は静かだし‥。ジィサンは聞かれてもいない自己紹介を一方的に話し出す。何でも現役のボクシング世界チャンピオンとサッカーJ1リーグの選手と知り合いなのだそうだ。。自己紹介に「有名人と知り合い」を強調する胡散臭さ‥。


しばらくは「釣り」と「雑談」が交互に強引にジィサン主導のもとに展開され、やがて年齢の話になった。ジィサンは69歳だそうだ。聞かれもしないのに自分から言っていた。

69歳‥シックスナインだ‥ガッハッハ‥

別に私も下ネタが嫌いなワケではないし、一般的な男子の遊びもそこそこしてきたつもりだが‥シックスナイン‥釣り場でこの言葉は聞きたくなかった。。しかも若い夫婦の前で‥。下品この上ないジィサンの巻き沿いになってしまったご夫婦に同情するしかなかった。

男性は40歳だそうだが、女性の方は恐らく年下。30代前半から後半くらいだろう。2年前に海の傍に引越したばかり‥(こめんなさい‥聞こえちゃったので‥)。幼稚園くらいのお子さんがいてもおかしくない感じだったが、いれば連れて来るだろうし、今のところはいないようだった。秋晴れの青い海、開放感あふれる静かな釣り場で夫婦団欒を満喫するつもりだったのだろう‥空気の読めない下品なジィサンに台無しにされた形だ。

それから1時間程‥どうやらそのジィサンは「一緒に釣りをしている」「釣りを教えてやっている」という体でいるようだった。何かにつけて「ねぇ奥さん‥」といちいち女性に話を吹っ掛ける。下心丸出しの声が釣り場に響く‥。

その夫婦にとっては「お年寄りを無下にできない」という慈悲心からウマク会話を合わせてやっていた感じだったが、このジィサンにそんなココロは無用なようだった。元気一杯!頭の中は「オンナ」の想像でいっぱい!この世の終わりにイイオンナと‥くらいの勢いだった。釣り場に何を求めて来たんだか‥。マスクもせずに‥。

釣りの達人 右隣のお爺さん

一方、右隣にいたお爺さんは黙々と遠投釣りをしていた。仕掛けからして上級者である感じだった。3、40cm級の「アイゴ」をポンポン釣上げては「チッ」と言いながらリリースしていた。「アイゴ」は毒があり、食べられないことはないが「食べ難い魚」だからだ。私から見たら「スゲェ‥」と言うしかなかった。

しばらくすると、そこに学生風の女の子が現れた。アイゴをリリースしようとしているお爺さんに「リリースするなら‥」とモジモジ何か言おうとしている‥。お爺さんは察したようで「持って帰る?」と聞く、女の子は嬉しそうに「はい!」と答える。


すると、お爺さんはアイゴの毒の処理方法を教え始めた。驚いたのは、その女の子はお爺さんの話を聞きながら、自分で魚を締め、内蔵処理までやっていたことだった。‥私より上級者だった(汗)。

アイゴを捌き終わっても女の子はお爺さんの釣りを見ていた。上級者の釣りを参考にしようといった感じだ。程なくお爺さんは再ヒット!タイの仲間が釣れたようだ。これも3、40cm級!

「これも持って帰る?」とお爺さんが聞く。「いいんですか?」とワンクッション置いてから「では、いただきます!」と言える礼儀正しい女の子‥。それ以外、特に会話は無かったが、そこには新鮮な空気が漂い、微笑ましささえ感じた。知らない同士のはずなのに「お爺さんと孫」のようだった。女の子は「自分は釣れてないのに大漁‥エヘッ‥ありがとうございました!」と言って去って行った。何とも素朴でキレイな光景。釣りを通してお手本のような世代間交流だった。

左のジィサン再び 性欲は永遠なり

すると、後ろから「あの釣り方は〇〇で…◆◆がポイントでオレやったことはあるが‥」と左のジィサンがエラそうに右のお爺さんの釣りを解説している声が聞こえた‥聞こえてるんだかそうでないのか‥右のお爺さんは完全無視で淡々と釣りを続ける‥。左右いる同世代のおじいさん。。恐らく年齢は近いのだろうが品位の差は天地ほど‥この差はどうして生まれるのか?

ちなみに、同じような時間に私も20cmほどのシマダイを釣ったのだが、左のジィサンはそれも話題にしていた。「ほら、そろそろあんなシマシマも連れ始めてる」。当然私も完全無視である。。今日の釣果はシマダイ1匹、ウルメイワシ1匹、クサフグ4匹だった。


これは想像でしかないが、たぶん左のジィサンは若かりし日に「遊び」をしてこなかったのだろう。もちろん、理由など察する術もないが、若かりし日は仕事に追われて‥ということであれば多少の同情もあるが、だからといって歳を取ってから釣り場で若い夫婦の団欒の邪魔をしていいというものではない。私も50歳。。他人ごとではないが「色ボケ」だけはしたくないものだ。。

11月‥日暮れは早く、6時には真っ暗だった。そろそろ帰る時間の左のジィサン。下心全開か‥底なしに名残惜しいか‥それじゃあそろそろ‥と言ってから30分帰らなかった。帰ろうとしては妙な話題を吹っ掛けて居座る。。あわよくば夫婦と一緒に帰り、酒でも飲んで仲良くなり‥成り行き次第では奥さんと‥ってな感じなのだろう。ジィサンの居座りは執拗だった。性欲は永遠か‥

若き夫婦のおふたりへ お疲れ様

6時半を回ったところでかなり寒くもなって来た。ジィサンは観念したようで「また会ったら声掛けてね!!」「それではサラバだ!」と言って帰って行った。その後、私は30分ほど釣り場にいたが、その夫婦も釣りを続けていた。失われた夫婦水入らずの時間を取り戻しているようだった。

この辺には、この堤防以外に数カ所の釣り場がある。この夫婦は当分ここには来ないだろう。しばらく釣りをしないか、釣りをするとしても、別の釣り場を選ぶだろう。今度そのジィサンに会えば「よう久し振り!」となる‥。考えただけでもキモイ。。

私は全く部外者でありながらも、その夫婦に「お疲れ様」と心の中で伝えて釣り場を去った。


2020年11月3日火曜日

長男の発熱 休日診療の医師の診察に疑問

休日診療 発熱外来を探す

昨日からまさかの長男(高校1年)の体調不良。夜から37.7℃の発熱。私が仕事から帰った21時には寝込んでいた。

長男は中学3年間野球部で活動し、今は高校でバトミントン部に所属している。今、家族で一番健康的な生活をしている人間であり、なおかつ今や私を越え、家族では一番体力のある人間である。ここ数日の大きな気温変化もあるだろうが‥家族で真っ先に発熱‥これには少々驚いた。


まー毎日夜中の2~3時頃まで起きてりゃ(勉強?ゲーム?Youtube?)身体にも堪えるだろうサ‥。

とにかく、昨今、世間を騒がせている一定ライン「37.5℃」を超える発熱である。否が応でも家族内に緊張感が走る。

家内が係りつけのお医者さんから「薬だけ貰って来た」と言う。なぜ診察を受けて来なかったのか甚だ疑問だったが、とにかく薬を飲ませて寝かせた。一般的な高校生男子らしく、普段は生返事の連発で「オレにかまってくれるな」という態度アリアリの長男だったが、さすがに昨日は観念したらしく素直だった。

すぐにでも診察を受けさせたいが、今日は祝日で係りつけのお医者さんは休み。私はインターネットで早急に休日診療のお医者さんを探した。

診察室は完全防備 医療従事者の皆様のご苦労

今日は朝から休日診療の予約。長男は薬が少し効いたようで、熱は37.4℃に下がっていたが、とにかく一度診察を受けたいの一心だった。クリニックは完全予約制。予約時刻20分前までに建物近くの駐車場まで車で行き、そのまま診察時間まで車内で待つ‥

順番が来たら携帯で呼出し‥診察室も一般の診察室からは隔離された「発熱外来専用」の部屋。中に入ると私たちの他に2人程いたが、複数のパーティションが設置され、個室の形となっている。さらにパーティション、テーブル、壁に至るまでビニールが被せられ、看護師さんと思われるスタッフも防護服らしきものとマスク、メガネ‥すべてが「直接接触」を防ぐべく完全装備だった。

物々し過ぎるのでは‥と思われる光景ではあるが、スタッフの方々の健康を考えれば仕方のないこと、大袈裟かも知れないがスタッフの皆さんも命懸けである‥と頭が下がる気持ちだった。

医師の対応に疑問 あなたは何がわかるの?

長男は、朝飲んだ薬がさらに効いたらしく、10時にクリニックで検温した時は、熱が36度台まで下がっていた。診察と血液検査を行ったが、やはり「何かしらの細菌かウイルスには感染しているだろう」との結果だった。ただ、血液検査だけでは「何のウイルスに感染しているかまではわからない」とのことだった。


そこで私は「昨日、係りつけのお医者さんから処方された薬を飲み続けても大丈夫か」と尋ねたところ‥「わかりません」との回答。「熱が下がっているのは薬が効いているためか」と尋ねたところ‥「わかりません」との回答。「別の薬を処方してもらえるのか」と尋ねたところ‥「ご心配なら検査しましょうか」との回答。

・・・・・・・・・

「検査」とは「PCR検査」のことを言っているのだろうか?‥こちらの質問には何も答えようとしない医師の対応にかなりの疑問を感じた。このままいろいろ聞いても時間の無駄のように感じた。

なので長男の熱も下がっていることもあり「検査は結構です」と言って診察を終えた。特に追加の薬の処方も受けず、昨日係りつけのお医者さんからもらった薬を飲んで様子を見ることにした。素人の私の判断である。あのまま話を続けても喧嘩になるだけだろう‥なので早々に診察を切り上げて帰宅したのだ。

医療従事者へのリスペクト

私は十数年来母親の見守り・介護を行って来た関係で様々な医師や医療スタッフ、介護スタッフと接して来た。昨今のコロナ渦において「医療従事者」はリスペクトの対象になっているが、私自身は必ずしもそう思えない経緯があった。

大半の医療従事者は人一倍世のため、人のため、弱い人の助けとなるために一生懸命であるが、残念ながら一部そうでない方もいる。私の接した限りでは、それは「一部」を越え、単なる仕事と割り切って患者に接している人物も多い。残念ながら、今日診察を受けた発熱外来の医師は、その「一部」に該当すると判断せざるを得ない人物だった。


「わからない」を連発するのは、患者を真剣に診察していない「事なかれ主義」に依存している証拠。たとえ血液検査だけでは医学的に確実なことが言えなくて、本当に「わからない」のであっても、「今飲んでいる薬で様子を見て、再度熱が上がるようなら係りつけの医師に相談されてはいかがですか?」とアドバイスするくらいはできるはずである。

医学的結論が不明確でも「ここ2、3日どうすればいいか」くらいのアドバイスはすべきである。それが「プロの医師」「社会人としての医師」である‥と私は思う。単に医学部を卒業して医師免許を取っただけの「医療マニア」であるなら医師とし社会の役には立っていない。発熱外来の受診では得るものがなかった。

結局は親の判断で

帰宅後、夜になって長男の熱は36度台で安定している。明日は学校を休ませることにしたが、家内とも話して、登校については一旦、担任の先生に相談することにした。

単刀直入に言えば、「新型コロナウイルスに感染していない」と断言できる状況ではないので余談は許さない。寒さが厳しくなるのはこれからである。今回のような事は、これから何回も出て来るのだろう。

家族と共に私も気を付けたい。


力が出ない 燃え尽き症候群ってこんな感じか

無気力、虚脱感、空虚感‥何かが抜けた感じ

母が亡くなって2週間が経った。早い。ホントにあっという間だ。告別式当日に自宅に作った祭壇に早々にホコリが目立つようになって来たので掃除をした。位牌や花瓶、写真などを移動して拭き掃除‥20代、30代の頃の自分では考えられないような行動だ。歳取れば休日にやることも変わるモンである。


仕事に復帰してからも1週間が経った。5日間の忌引き休暇中にもやるべき仕事はやっておいた甲斐もあり、それほど後手に回って焦ることもなく1週間を乗り切る事ができた。

ただ、ふと思うのは、何となく力が出ない‥何となく無気力‥と感じることだ。実の親が亡くなったのだから当然‥といえば当然であるが、それとは別の虚脱感がある。風呂から上がって身体を冷ましながら一息ついている時、通勤電車に乗っている時、在宅勤務でパソコンを起動している時‥気付くと一点を見つめてボーっとしてしまう時がある。

悲しくないワケではないのだが‥燃え尽きた

悲しみから‥とも思ったが、母が亡くなって、結局ここまで涙を流すことは一度もなかった。亡くなる前日、容態が急変した母の姿を見た時も、次の日、亡くなった母と対面した時も、告別式前日、葬儀場に宿泊し夜に母の遺体を確認した時も、火葬場で最後の別れをした時も‥。

決して悲しくないのではない。情が薄いわけではない。母の見守りを続けて来た14年間が涙を必要とさせなかったのだと思う。もう十分できることはやり切った‥そう思えることで私は涙を流すことがなかった。まぁ‥私の考える「十分」が世間的にどの程度通用するのかは知る由もないが‥単に自己満足なのかも知れないが‥。

話を元に戻すが、仕事も手に付かないほど深く悲しんでいる‥わけではない。この1週間、仕事は淡々と進めた。平日に1日休暇を取ったが、病院の清算や四十九日の法要の手配などに明け暮れた。やることは特に問題なく進めている。

でも‥ひと仕事、ひと行動終えた後に来る‥何となくボーっとする時間が‥何となく間を空けてしまう時間がある‥ボーっと何かを考えているのではなく、何も考えないならボーっとなる‥と言った方が適切かもしれない。

こういうのを「燃え尽き症候群」とでも言うのだろうか‥。

いつの間に‥気が付けば14年

思えば母の見守りを本格的に始めたのは14年前だった。なぜ「14年前」とはっきりしているのかと言えば、それは、父が亡くなったのがきっかけになっているからだ。父は文字通り「ポックリ」だった。当時、私は結婚して間もなく、両親とは別居していたのだが、ある日突然「父が倒れて救急車で病院に運ばれた」と母から連絡があった。

それから1週間で父は亡くなった。死因は脳出血。それまで普通に元気に暮らし、定年後の生活を悠々と楽しんでいたはずなのに‥倒れてから一度も意識を戻すこともなく亡くなった。突然の形で母の見守りが私にバトンタッチされたのだ。


1年程後、私は家内や子供たちと共に実家に戻り「二世帯住宅」となったが、同じ時期に、母方の兄弟の事情で祖母も同じ家で暮らすこととなった。「三世帯同居」である。当時、私は、母と祖母の両方の病院の付添いをしていた。係りつけの病院は別々である。私は平日になるべく休暇を取り、休暇の日は母か祖母のいずれかの病院付添い。「午前中は母の病院、午後は祖母の病院」なんて日もあった。そして日曜日は家内や子供たちに家族サービス。文字通り「フル回転」の日々だった。

しかし、数年後に祖母も91歳で亡くなる。病気がちで足腰の悪い母に代わって葬儀の取り仕切りや後の手続き等々はすべて私がやった。

その後は母の見守りのみとなったが‥最初は足腰が悪くてもなんとか自力で何でも出来ていた母だったが、次第に衰え、病気が進み、認知症も発症‥病院の入退院、介護施設の入退所、2ヶ月程の短い期間だったが、事情で一時は在宅で介護をしたこともあった。オムツ交換や排泄物の処理などもやった。

母の見守りを引継ぎ、途中、祖母の見守りも加わり14年‥。父が亡くなった時に1歳だった長男は高校生である。長い年月が経ったのだな‥と実感する。

やり終えた‥が正直な気持ち

私自身が一人っ子だったこともあるかも知れない。「(母の面倒を見れるのは)私しかいない」という気持ちがどこかにあった。仕事・見守り・介護・家族サービスのすべてを成立させ、なおかつ自分のココロが壊れないように‥。

そんな生活も2週間前に終わった。


今感じている虚脱感は一体何なのだろうか‥。表現が適切でないかも知れないが‥もしかすると「達成感」なのかも知れない。父も祖母も母も亡くなるという悲しい結果ではあるが、「見守り・介護」「仕事との両立」に正面から取り組み、14年間やり抜いたことに対する達成感なのかも知れない。

上にも書いたが、私のやって来た事など世間的には「普通」「大した事ではない」という可能性は大きい。世の中にはもっと過酷な状況で見守りや介護に直面している方もいるのだろう。単なる自己満足かも知れないが‥でも今の正直な気持ちなのだ。

大袈裟だが、人生における最大級のミッションのひとつ‥これをやり終えたと言っていいと思う。


父命日の墓参り 18年目に思うこと

思い起こすこと18回 父が倒れてから亡くなるまで 昨日が父の命日。毎年の事であるが「倒れた日」の3月14日から「亡くなった日」の19日までは私の中で当時の回想が優先される。特にそうしようと思っているわけではないのだが、頭の中に蘇ってしまうのだ。 今年も例外なく父が倒れたあの日、泣...