2022年8月20日土曜日

夏季休暇最終日 ひとりで行く夏の墓参り

飛び飛びの夏季休暇も今日で終わり

 今日は墓参りに行った。自分としては毎月行っている父と母の月命日の墓参りなのだが、そういえば今月は8月。以前は夏休みの子供たちを連れて、家内の方の実家の墓参りに行ったものであるが、ここ数年は行っていない。

 子供たちも連れて来ればよかったかな。。でも家を出る時には思いつきもしなかった。やはり今年は「連休」でないことが大きな原因かもしれない。そして、飛び飛びの夏季休暇も今日で終わりだ。


花がない! 墓参り前のハプニング

 いつもの調子で一人車に乗り、お墓のある公園に向かう。途中のホームセンターで花を買うのだが、今日はここでハプニングがあった。。

「今日の分がまだ届いてないんです」

いつもの場所に花が置かれていなかったので店員に尋ねるとまさかの回答。そうか・・花だもんな・・毎日仕入れているんだ。


 月命日の墓参りを始めてもうすぐ2年になるが、初めての出来事だった。こんなこともあるんだ・・と妙な納得をしながら、花は別のホームセンターで入手した。公園の事務所にも売っているのだが、ホームセンターの2倍近い値段なので・・。

思いがけないハプニングだったが、結構いい花が入手出来てちょっとした満足だった。塞翁が馬。。←違うかな??

 ところで、夏休みの土曜日の割には公園にはほとんど人がいなかった。まぁ、正確に言えばお盆期間ではないが、ここまでガラガラとは思わなかった。むしろ、お盆期間を過ぎたばかりなので、逆に誰もいない・・といった感じだったのかも知れない。今日は天気が曇りだったこともあり、酷暑は避けられたし、ゆっくりと墓参りをすることができた。


墓参りを終えた後の癒し

 最近は墓参りを終えた後に周辺の草花や風景を見渡すことが多くなった。敷地内にはとてもキレイな花が咲いていることも多いし、空気が澄んでいる秋冬は抜けるような澄んだ青空を見る事ができ、また遠方に富士山を眺めることもできる。今日は花がきれいだった。

 ネットで調べてみると。こちらは「アメリカノウゼンカズラ」と言うそうだ。花びらにたくさんアリが群がっていた。花粉に甘味が多いのだろうか。。


こちらは「サルスベリ(百日紅)」

公園内の何カ所にも咲いており、とてもキレイだった。


 もう少し涼しくなれば公園内をゆっくり散策するのも悪くない。きっと秋は紅葉がキレイなのだと思うし、空気が澄んで鮮やかな空や富士山が見られるのだろう。思いがけない楽しみが増えたものである。


いつしか聞かなくなったCD

 最近はひとりで車を運転することが多い。ひとりなので好きな音楽を聴きながら運転するのだ。一時期はラジオばかり聞いていたこともあった。それは家族で乗車することがほとんどだったからだ。十数年来、ひとりで車に乗る事などなかった。

 家族であっても自分の趣味を押し付けるようなことはしたくない・・という考えから、自分で持っていたCDなどを車の中でかけるようなことはほとんどなかった。そして、いつしか通勤や自分の部屋などでも聴かなくなって行った。

なので、最近、ひとり車に乗り、10代、20代の頃に聞いていたCDを聞いている。懐かしくもあり、当時の思い出が蘇ることもある。

そして、今日、なんとなしにふと思ってしまった。


人生でやり残しなどない・・か

 この歳になってもはや人生にやり残したことなどないと思っていた。・・というか今から何かをやろうなどと思う気力も体力もないと思っていた。本当にそうなのか。そう思うように自分を無理に納得させてきたのか。。


 このブログでも何度か書いたが、子供たちが成長と共にに手が掛からなくなり、母が亡くなり、大局的には転換期である。「自分の時間がない」状態から「自分の時間がある」状態に変わっている。また、子育てはひと区切り、介護・見守りは終えて力が抜けている時期でもある。

 若かりし頃に聞いていたアーティストの曲は、若かりし頃に共感するような曲。つまり「熱い曲」が多い。聞いていると若かりし頃を思い出すだけではなく、何か胸が熱くなる。何かココロを動かすものがある。それは何なのだろうか・・。

 成功の如何に関わらずではあるが、人生にやり残したことなどない・・と思っていたが、そう思い込んでいただけなのかもしれない。熱い気持ちをぶつけるところ。。心当たりがないわけではないが、それは若かりし頃に実現できなかった夢。。夢と言いつつ、それに突き進んでいるつもりが、いつしか方向を見失い、いつしかそこから離れていた。。

 恥ずかしくて具体的に今ここで書く気にはなれないが、人生の最後にもう一度夢を見てみたい・・と思うようなエネルギーを放つ時が来てもイイのかな。。

ひとり、帰りの車の中で感じた想いだった。


2022年8月15日月曜日

釣りと自然とお刺身と おとうさんの日帰り渓流紀行

夏季休暇2日目 渓流釣りへ出発

 今年の夏季休暇、連休は3日だけ(涙)。その後、飛び飛びで2日ほど休みがあるが、完全に連休を崩された感じである。来年はもう少し仕事の日程をウマク組み立てて行きたい。

 さて、今日は3連休の2日目。昨日ゆっくり休めたので、今日は釣りに出掛けることにした。今回は、台風の影響と暑さを考え、海ではなく渓流釣りにした。


 以前は夏休みに毎年子供たちを連れて行っていた場所であるが、今も年に1~2回は訪れている。自然に囲まれた綺麗な川辺でゆっくりとできる釣りは格別である。海のような開放感こそないが、こちらはこちらで魅力たくさんの釣りができる。

 いわゆる「管理釣り場」というところで、養殖しているニジマスを放流している。釣り堀のようにクローズした場所ではなく、普通の川なので場所は広々としている。駐車場もあればバーベキューもできる。家族連れで1日楽しめる場所だ。


現地到着5時30分も受付前は既に行列

 そう。。家族連れで楽しめる場所なのだ・・ということをすっかり忘れていた。大人はお盆休み。子供は夏休み。。3時半起床、5時半に現地に着いたが、受付事務所前は既に人が並んでいた。


 私は10番目くらいだったかな。15分ほど待って受付完了。立ち上がりから「夏休み」の洗礼を受けてしまった。ちなみに事務所は6時からなのだが、行列は7時頃まで続ていた。この釣り場も結構な人気である。


釣果10匹 食べる分だけ釣る

 釣りの方は順調だった。「朝まずめ」なのだろうか・・6時から8時頃までは結構な勢いで釣れた。仕掛けを放り込んで少し待ってヒット・・の繰返し。釣り堀のように地上から魚が見えるというわけではないが、コツさえ掴めばかなり釣れる・・。でも8時過ぎた頃からピタリと釣れなくなった。


 でもそこは管理釣り場!絶妙の時間(9時30分)に「放流タイム」がある。釣り場の何カ所かで「ハイ!行きますよ~!!」と係員の方が放流してくれる。今日はたまたま、私の隣でも放流してくれた。

 まぁ~興ざめすると言えばそれもそうなのだが、釣れれば子供たちは喜ぶし。。「アタリ」を感じることは、結構リアルに命を感じる事にもなる・・ように思うので、夏休みの思い出としてはオススメかな・・と私自身は思っている。

 1時間程、止まっていた「アタリ」だったが、放流を境に周りの家族連れにアタリが戻り始め、私も数匹釣上げた。そんなこんなしているうちにエサもなくなったので10時に釣りを止めて釣り場を後にした。釣果は10匹である。


 「1日券」を購入しているため、本来は夕方5時まで釣り可能なのだが、「食べる分だけ」と考えると10~15匹で十分である。なので、キリのいい(エサが無くなった)タイミングでエサの再購入はせずに帰ることにした。


管理釣り場のちょっとしたコツ

 ちなみに管理釣り場で多くの釣果を上げるコツのひとつは「釣った後の処理」である。魚を釣り上げた後に、いかに早く次の投入を行う事ができるかだ。


 ニジマスは結構ガッツリエサに噛み付く、時には釣針を飲みこんでしまう事もある。魚から釣針を外すことに時間が掛かり過ぎれば、いかに放流されて魚がたくさんいても他の人に釣られてしまうし、「釣り堀」ではないので、魚たちも下流へ泳いで行ってしまう。

 私も、今ではすぐに針を取り出せるようになったが、かつてはここに時間が掛かり過ぎて1日釣っても10匹を下回ることも度々だった(でも、釣れたことで子供たちは喜んでましたが・・)。

「釣って」「針から外して」の繰返しをテンポよく行う事がちょっとしたコツである。


癒しの景色とおいしい刺身で休暇を満喫

 釣り場を後にした帰り道にほんの少しだけ寄り道をした。釣り場はちょっとした山地の一部のため、近くに「ダム」があるのだ。「ダム湖」の周辺は広大な公園と展望台などあり、パーキングエリアのようになっている。その景色にはいつも癒さている。


 そして、帰宅後に今日は初めての挑戦を試みた。釣って来た魚を「刺身にする」ことである。子供たちからは以前から言われていたが、私自身腹をこわし易い体質だったため、基本的に釣って来た魚はすべて「天ぷら」だった。

 ただ、今日は比較的時間もあり、一番安全であろう管理釣り場のニジマスだったので、満を持して「刺身」に挑戦した。正確には「洗い」であるが。。帰宅後、3匹だけ「洗い」にしてみた。


工程は下記のとおり

・釣り場にて釣れたらすぐに締める(血ぬきと氷締め)

・帰宅後、内蔵・血合いトリ・ウロコを落として水洗い

・3枚におろして食べやすい大きさにカット

・水洗い後、氷水に10分程浸す

・氷水から上げてペーパータオルで水気を取る

・皿に乗せて完成!

 そこそこ手間は掛かった。加えて「3枚おろし」は散々(涙)。要するに包丁捌きは「全然ダメ」なのだ。まだまだ経験が必要だし、包丁もきちんとした出刃包丁を使った方が良いような気もして来た。おろした後の魚を見て「成仏できたのかな・・」などと妙な後ろめたさを感じたのも事実であった。

 でも、「洗い」の味は格別だった。子供や家内にも大好評!今日は「お試し」ということで少な目(3匹だけ)だったが、次男は「あと5匹くらい刺身でもいいね」と言っていた。それだけウマイと思ってくれたのだろう。3匹の洗いはあっという間になくなった。

 渓流釣り・大自然と景色、おいしい刺身。。今日は盛りだくさんで充実した日帰りの一日となった。


2022年8月14日日曜日

最後の海水浴は中止 子供の親離れは寂しいか

我が家のチョイ海水浴 台風で中止に

今日は家族でチョイ海水浴に出掛ける予定だったが、いきなり日本近海で発生した小型台風が昨日まさかの関東上陸。今日は晴れてはいたものの、海は大荒れだろうから海水浴は中止した。


昨今の社会状況を考えると海水浴にも行き難い。なので、昨年、早朝から海に入り昼頃混んで来たら海水浴は止め、海の幸の昼ごはんを食べて早々に帰宅する。。いわば「半日海水浴」である。それでも結構充実できたので今年もやってみようかと考えたのだが・・。


明らかに気が進まなそうな子供たち

長男は高校3年生、次男は中学1年生。。夏休みとはいえ、もう親と行動したくない年頃である。。数日前に今回の海水浴の話を持ち掛けた時も、あまり進んでいない様子はよくわかった。


昨年は次男がまだ小学生。。かろうじて「夏休みに1度くらいは海に行きたい」と言い出したことがきっかけで行った「チョイ海水浴」だったが、中学生になり、部活動などが始まったこともあり、小学生だった頃の夏休みとは全く様相が異なるのだろう。次男もほとんど海水浴に興味を示さなかった。


15年目の海水浴も今年で最後

思えば初めて家族で海水浴に行ったのは長男が2歳の頃だったと思う。それから15年。次男が生まれた年以外は毎年海水浴には行っていた。

夏休みは「海水浴」「お祭り」「おじいちゃんの家に2泊3日」が定番だったが、ここ2、3年の間に急速に実行されなくなった。もちろん、感染症の影響もあるが、最も本質の部分は子供たちの成長であろう。「海水浴」「お祭り」「おじいちゃんの家」に行きたがらなくなったのである。


まぁ、そりゃそうなのだろう。。自分もそうだった。中学生、高校生ともなれば、部活動や友達との行動が中心になる。親と一緒に海なんて行きたくはないだろう。それでいい。それで普通なのだ。

私としては、昨今の社会状況で旅行に行く気にもなれない。子供たちには「友達とどっか行って来い」と後押ししたいところだが、それも何となく気が引ける。。結局、苦し紛れに昨年と同じ「家族でチョイ海水浴」を企画。子供たちが夏休みに家にこもりきりにならぬようにと気を遣ったつもりだったが、それも不要のようだった。


気の進まなそうな子供たちを横目に、12日頃から急に現れた台風8号。実際、危険が伴うので海水浴など中止にするのが妥当であろう。私も気の進まない子供たちと無理に海に行きたいとも思わない。

親としては寂しい部分もあるが・・という考え方もあるかも知れない。でもそうではない。これは子供が成長した上での親離れである。親としては歓迎して後押しすべき・・というのは私の考え方である。

そして「家族で海水浴」は今年で終わり。。中止だったけど。。


いろんな時間が急に縮小 急に与えられた自由

以前、別の記事でも書いたが、15年というと、私が身体の弱い母親を見守り、介護して来た時期に重なる。


この時期は子供たちに費やす時間と母親に費やす時間が私の生活の大きな比重を占めていた。GW、夏季休暇、年末年始は特にそうであったが、母親の他界と子供たちの成長により、そんな「費やしていた時間」がここ2、3年で一挙に縮小されたのだ。


今年の夏季休暇は顕著にそんなことを感じる。


「やることがない」と寂しがるか、「何をやっても自由」と喜びを感じるか、それは自分次第である。私の場合、直感的に後者かな。。

今年は仕事の都合で3日しかない夏季休暇だが、ホントにやることがない。ホントにヒマである。今日はまず丸1日ボーっと休んで明日は釣りにでも行こうと思う。それでも明後日は1日空いている。。

他人から見れば大した話でもないのだろうが、小さな自由を満喫している自分がここにいる。


2022年8月6日土曜日

格下としか人間関係を構築できなかった末路

人間関係における格・ランクの意識

思えば中学・高校生の頃からだったと思う。「友達」という存在との向き合い方に悩んだ時期があったが、これは概ね誰でも通る道ではなかろうか。親、親戚、先生、友達、先輩、後輩、子供・・人生にはいろいろな人間関係がある。


それとは別に、良くも悪くも相手に対して「格」「ランク」を探る一面が人にはあると私は思う。これを論じることは大いに賛否が分かれるだろう。また、身分を公表しないブログでこのようなことに触れる自分の格こそ低俗なのであろうが、今回はそれには触れない。

ここでは私が今まで生きてきた中で、人の「格」を意識する部分があり、その結果として良かった部分とそうでなかった部分を書いてみたい。


格下の人間とばかり付き合う理由

振返って考えてみると、私は基本的に格下の人物と人間関係を構築しようとする傾向があった。格上・目上との関係は最小限に留め、また、その最小限の中でも継続してウマク付き合えた関係はほとんどない。。かといってケンカするわけではない。社会的に必要とされる期間は継続するが、それ以上はない。必要なくなれば終わる関係。要するに「最小限」で終わるのだ。


なので、友達や恋人といった自由な人間関係においては、基本的に自分よりも能力が低そうな人、我の強くなさそうな人を選んできたように思える。

ネットなどで調べると、そのような人物(格下の人とばかり付き合おうとする人)は、自尊心が強く、自分を否定されることを強く拒み、また、優越感に浸りたいがために格下と付き合おうとするなどなど・・散々な言われ方である(涙)

まぁ・・もちろん、そんな部分もあるのだろうが、私としては、新しい人間関係ができそうな時、直感的に相手は「自分のペースを乱す可能性」があるかどうか・・を見ていたような気がする。

「自分のペースを乱さない人」は「安心」だからだ。


格下との付き合いで良かったところは

結果的に「選んだ」人物のほとんどが「格下」だった。自分のペースを乱さない存在、自分の意見を通してもなんらトラブルになったりしないであろう存在。。そんな人物のみ自分の周りに置く・・こーゆーのを「人見知り」というのかも知れない。


結局、人間関係において、大きく振り回されて悩むようなことはほとんどなかった。人との関係においては、会社での上司との関係以外は自分でコントロールできるレベルで対処できるからだ。「悩みが少ない」という面においては「良かったところ」と考えていいのだと思う。

長くなったが、ここからが本題。本音である。


格を結婚相手にも持込んでしまった

私は結婚においても「格下」の考えを持込んでしまった。今のところ、このことに関して後悔の念が強い。安心・安全であろう女性を選び、友人から入って人間関係を構築し、やがて恋人になり、ほぼ断られる可能性がないであろうプロポーズをして結婚に至る。。


付き合って3年で結婚。結婚生活も順調。子供も2人産まれた。家内は金遣いが荒いわけでもなく、贅沢なわけでもない、人間関係も異性関係も派手な部分はない。要は、自ら家庭を乱したり、経済的に破たんさせるような要素は持っていない。私としては私のペースを乱さない安心な存在。「格下」の存在なのだ。

ただ、自分のペースを乱さないだけではない。安心なだけではない。あくまでも格下は格下。それは人としての総合力やモラルにも影響する。能力が格下なら人間性も格下。こんな簡単なことに長く気付かなかった。そして、気付いてももう手遅れだった。


家内に抱いた強い不信感

今思えば、最初の子供が産まれて3、4年したころからだろう、家内の子供に対する接し方に大きな違和感を覚えた。長くなるので詳しくは書かないが、夫婦の修復し難い溝が生じたのはこの頃であると思って間違いない。


その数年後、私の母親の在宅介護を廻って溝は決定的となった。完全に心は離れ、現在は必要ななこと以外は会話もない状況に陥っている。そのような状況となってもう5年になる。母は2年程前に他界した。

当時、病気を理由に特養から退居させられた。病気の進行が緩やかだったため、病院への入院も断られた。残された道は在宅介護。要介護5だった介護保険の適用範囲をすべて使い、訪問ヘルパーさんに1日2回来てもらい、私は会社を続けながら在宅介護を行う。下の処理はヘルパーさんと私が行い、食事は高齢者用の宅配食を利用。尽くせる手の限りを尽くしての在宅介護態勢を整えた。

そんな状況でも、家内が私のサポートに前向きでなかったことは態度で察した。たった2ヶ月しかない在宅介護期間(母が体調不良となり緊急入院したため)であったが、その時に私が感じた家内への不信感はいまだに消えない。夫婦としての感情など皆無。離婚しないのは子供たちを不憫に思うからである。


人間性やモラルだけが格上なんてことはない

能力が格下ならモラルも格下。

前者には結婚前から気付いていた。でもそれは自分がカバーすればよいことと考えていたが、後者には気付けなかった。


「特養からの退去依頼」は私としては完全な想定外だった。

不測の事態に遭遇し、仕事と介護の板挟みになっている私を目の前で見ていたにもかかわらず、私が面と向かって状況を説明し助けが必要である旨を話しても承知できなかった家内・・その心境は私には理解できなかった。もし、逆の立場であれば私は積極的に協力したと思うのだが、家内はそうでなかったようだ。

問いただしても明確に答えようとしない家内。言葉の端々を捉えると「できないからやらない」「分からないからやらない」それでいいと思っている節がある。自分の能力以上のことは分からないのだから・・


やらなくていい。


格下をパートナーに選んだ末路

会社でもプライベートでも「分からないこと」は分かるように取り組んでできるようになる・・これが進歩につながるのではなかろうか。私自身はそんな風に考えている。これをしない人物をパートナーに選んでしまった私。。


自分のペースを乱さない人物は、

困っている自分に手を差し伸べることもできない

そんなことを実感したのが40代後半、結婚10年以上経過してからのことだ。たぶん、格下のパートナーは私自身が倒れても私の手助けはしないであろう。

もちろん、当初から家内をアテにするようなするような発想などない。母親の介護の時も同じだった。家内に手伝わせるようなことはあってはならないと思っていたが、当時は不測の事態(特養からの退去依頼)が起こった上でのことだった。

「介護問題」とは性質が少し違うのではなかろうか。夫婦として、家族としての信頼関係の問題であると私は思う。

要するに今のパートナーは「困った時に頼れない」ということ。それが経済的なことではなく、命に関わる身体的なことであっても。。これを夫婦と呼んでいいのだろうか。私は大いに疑問を感じる。

これが、格下をパートナーに選び、安心安全な生活を送ろうとした私自身の末路である。


2022年8月2日火曜日

真夏の釣りは十分な暑さ対策をと改めて実感

 連日の猛暑日。今日も暑くなるだろうと思ったが、中潮の好条件であったため釣りに出掛けた。いつもの河口付近の釣り場である。


学生が夏休みとなっているシーズンである。混雑が頭を過ったが杞憂だった。いつもよりも数人多い程度でガラガラ。やや意外だったが、場所確保の面からは問題なかった。

問題は当然ながら「暑さ」である。最も有効な暑さ対策は「釣りに行かない」だろうが、ムリだった。やはり私は釣りが好きなようである。

今日は暑さ対策の第一として「早朝のうちに釣り実行」を行った。4時に起床。5時半には釣りを開始した。もちろん、日中の暑さ程ではないが、釣り場は既にやや熱い感じがした。


ちょい投げ釣り 酷暑の中で散々の結果

釣り時間は3時間。ちょい投げ釣りをしたのだが、釣れたのはクサフグ3匹だけ。目の前で魚が飛び跳ねることもあったのに自分の竿にはかからない。どうして?


数十メートル向こうにいたニーチャンがサビキでボコボコ青魚系を釣上げている。30~40センチクラスだ。かなり羨ましく思ったが、釣れているのはたぶんコノシロ。きっとコノシロ。。間違いなくコノシロだ!

コノシロは5、6月にサビキでかなり釣ったし、できれば投げ釣りで釣果を出したいと思っていたので、今日は投げ釣りのみに集中した。・・が結果は散々である(涙)。



上達につながるか ネットで疑問解消

ただ、ちょい投げ釣りには少々疑問があった。今日も度々「エサのアオイソメが一部だけ残っている」「釣針ごとなくなっている」ということがあった。でもアタリを全く感じない。アタリもないのにどうしてこんなに仕掛けに変化が起きるのか・・不思議だった。

この疑問をネット上で問い合わせてみたところ、5人の方が回答してくださった(ありがとうございます)。全員、同じ意見だった。原因はフグ!クサフグなのだそうだ。


自分も思い当たる節があったのですぐに合点がいった。今日はクサフグを3匹も釣ってしまったし(すべて即リリース)。以前から釣針を飲み込んでしまう厄介な存在と思っていた。仕掛けを飲みこんで釣上げられるヤツもいれば、食いちぎって逃げるヤツもいたのだ!

あー厄介である。実害を出すだけにホントに厄介である。ネットでは「場所を変える」「ハリスを太くする」などのアドバイスもいただいたので、次回以降の対応策にしたい。

「ビュン!」と竿を振り、遠方から大きな魚を釣り上げる。。思い描いていた釣りができるようになるのはいつのことか・・とにかく投げ釣りを始めて以来の疑問が解消できたので、次の段階へ勧めそうな気がしてきた。

9時前には釣り終了 外気温39度!

冒頭にも書いたが、今日はとにかく「早く始めて早く終わる」を目標とした。6月の釣り時に熱中症になったこともあり、今日は絶対に無理をしないようにした。

7時頃から徐々に酷暑を感じるようになり、8時には一旦車の中で休憩。冷房にあたったのだが、その時、車の温度計が表示した「外気温」が既に39度だった!


おいおい・・まだ8時だけど。。夏休みではあるが釣り場がガラガラなのは、酷暑も一因なのだろう。私なら自分の子供をここには連れて来ない。

休憩後、30分程で用意していたエサもなくなった。9時近くなるといよいよ日差しが強くなり、また、釣り場はコンクリートの堤防のため放射熱がある。前から太陽、後ろから放射熱。。とにかく報道されているような「命に関わる危険な暑さ」を実感したため、釣りは終了した。

たぶん、魚自体はたくさんいるだろう。場所を変えて釣ったり、サビキ釣りに切り替えれば釣れるとも思ったのだが、そんな気持ちが消し飛んでしまうような暑さだった。とにかく危険を回避するために車に戻った。正解だったと思う。

夏の海釣りはどうしても「炎天下」になってしまう。暑さ対策は十分行なうべきだと改めて実感した。


父命日の墓参り 18年目に思うこと

思い起こすこと18回 父が倒れてから亡くなるまで 昨日が父の命日。毎年の事であるが「倒れた日」の3月14日から「亡くなった日」の19日までは私の中で当時の回想が優先される。特にそうしようと思っているわけではないのだが、頭の中に蘇ってしまうのだ。 今年も例外なく父が倒れたあの日、泣...