飛び飛びの夏季休暇も今日で終わり
今日は墓参りに行った。自分としては毎月行っている父と母の月命日の墓参りなのだが、そういえば今月は8月。以前は夏休みの子供たちを連れて、家内の方の実家の墓参りに行ったものであるが、ここ数年は行っていない。
子供たちも連れて来ればよかったかな。。でも家を出る時には思いつきもしなかった。やはり今年は「連休」でないことが大きな原因かもしれない。そして、飛び飛びの夏季休暇も今日で終わりだ。
花がない! 墓参り前のハプニング
いつもの調子で一人車に乗り、お墓のある公園に向かう。途中のホームセンターで花を買うのだが、今日はここでハプニングがあった。。
「今日の分がまだ届いてないんです」
いつもの場所に花が置かれていなかったので店員に尋ねるとまさかの回答。そうか・・花だもんな・・毎日仕入れているんだ。
月命日の墓参りを始めてもうすぐ2年になるが、初めての出来事だった。こんなこともあるんだ・・と妙な納得をしながら、花は別のホームセンターで入手した。公園の事務所にも売っているのだが、ホームセンターの2倍近い値段なので・・。
思いがけないハプニングだったが、結構いい花が入手出来てちょっとした満足だった。塞翁が馬。。←違うかな??
ところで、夏休みの土曜日の割には公園にはほとんど人がいなかった。まぁ、正確に言えばお盆期間ではないが、ここまでガラガラとは思わなかった。むしろ、お盆期間を過ぎたばかりなので、逆に誰もいない・・といった感じだったのかも知れない。今日は天気が曇りだったこともあり、酷暑は避けられたし、ゆっくりと墓参りをすることができた。
墓参りを終えた後の癒し
最近は墓参りを終えた後に周辺の草花や風景を見渡すことが多くなった。敷地内にはとてもキレイな花が咲いていることも多いし、空気が澄んでいる秋冬は抜けるような澄んだ青空を見る事ができ、また遠方に富士山を眺めることもできる。今日は花がきれいだった。
ネットで調べてみると。こちらは「アメリカノウゼンカズラ」と言うそうだ。花びらにたくさんアリが群がっていた。花粉に甘味が多いのだろうか。。
こちらは「サルスベリ(百日紅)」
公園内の何カ所にも咲いており、とてもキレイだった。
もう少し涼しくなれば公園内をゆっくり散策するのも悪くない。きっと秋は紅葉がキレイなのだと思うし、空気が澄んで鮮やかな空や富士山が見られるのだろう。思いがけない楽しみが増えたものである。
いつしか聞かなくなったCD
最近はひとりで車を運転することが多い。ひとりなので好きな音楽を聴きながら運転するのだ。一時期はラジオばかり聞いていたこともあった。それは家族で乗車することがほとんどだったからだ。十数年来、ひとりで車に乗る事などなかった。
家族であっても自分の趣味を押し付けるようなことはしたくない・・という考えから、自分で持っていたCDなどを車の中でかけるようなことはほとんどなかった。そして、いつしか通勤や自分の部屋などでも聴かなくなって行った。
なので、最近、ひとり車に乗り、10代、20代の頃に聞いていたCDを聞いている。懐かしくもあり、当時の思い出が蘇ることもある。
そして、今日、なんとなしにふと思ってしまった。
人生でやり残しなどない・・か
この歳になってもはや人生にやり残したことなどないと思っていた。・・というか今から何かをやろうなどと思う気力も体力もないと思っていた。本当にそうなのか。そう思うように自分を無理に納得させてきたのか。。
このブログでも何度か書いたが、子供たちが成長と共にに手が掛からなくなり、母が亡くなり、大局的には転換期である。「自分の時間がない」状態から「自分の時間がある」状態に変わっている。また、子育てはひと区切り、介護・見守りは終えて力が抜けている時期でもある。
若かりし頃に聞いていたアーティストの曲は、若かりし頃に共感するような曲。つまり「熱い曲」が多い。聞いていると若かりし頃を思い出すだけではなく、何か胸が熱くなる。何かココロを動かすものがある。それは何なのだろうか・・。
成功の如何に関わらずではあるが、人生にやり残したことなどない・・と思っていたが、そう思い込んでいただけなのかもしれない。熱い気持ちをぶつけるところ。。心当たりがないわけではないが、それは若かりし頃に実現できなかった夢。。夢と言いつつ、それに突き進んでいるつもりが、いつしか方向を見失い、いつしかそこから離れていた。。
恥ずかしくて具体的に今ここで書く気にはなれないが、人生の最後にもう一度夢を見てみたい・・と思うようなエネルギーを放つ時が来てもイイのかな。。
ひとり、帰りの車の中で感じた想いだった。