2022年1月19日水曜日

国際宇宙ステーション(ISS)が見えた!

今日はISS観測のチャンス!

今日は休暇だったのだが、朝起きて何気なくパソコンでネット見ていたら。「今日はISS観測のチャンス」の記事が目に入った。


ここ数年来「ISS観測のチャンス‥」の記事は何度も目にしたが、なかなか見ることができなかった。自分一人ならどうにでもなるのだが、子供たちにも見せたい‥となると条件が一気に厳しくなるのだ。

 ◆私の休暇日である

 ◆時間は夕方から夜にかけて(真夜中はNG)

 ◆自宅から見やすい方角をISSが通る

 ◆天気が良い

この辺の条件が揃うことはなかなか難しい。まだ幼稚園児だった長男と初めてISSを見てから、もう十数年経っている。次男にもしっかり見せてやりたいと思って何度もトライしているのだが、なかなか叶わなかった。

ISS観測の個人条件が揃う!!

しかし今日は、天気以外の条件が揃っていた。午前中は曇っていたのだが、天気予報は「曇りのち晴れ」。ここ数年来、類を見ない絶好の好条件だった。

そして夕方。予報通りに雲は晴れ、南西の空はほぼ快晴。小学6年の次男と共に自宅2階のベランダから空を眺めた(高校2年の長男は学校から帰っていなかったので‥)。数分後に程なくISSが現れた!バッチリ見えた!!


写真はスマホで撮影したものを拡大したものである。たぶん間違いないと思うのだが‥こんなにしっかり撮れるものなのだろうか‥スマホ恐るべしである。。

低い位置から見え始めたが、最初は赤い星が動いているような印象だった。光は徐々に強くなり、次第に赤から白色系に変化して行った。音もしないし、肉眼では「点」が動いているだけなので、飛行機ではないということは容易に実感できた。

ゆっくり動くのだから流星でもない。もちろんUFOでもない。次男にとっては「始めて見るもの」である。あまり興味もなさそうな様子だったが、「こういうものもある」ということを実感できればそれでいいと思っている。ただ、今日の「こういうもの」は宇宙ステーションという超大物だ!

SFの世界が現実になっている実感

「宇宙ステーション」なんて、私が子供の頃はSFの世界そのものだった。でもそれから40数年後に、私の子供たちはリアルに「宇宙ステーション」を目の当たりにしている(400㎞離れた彼方からだが‥)。

あと40年後には、本当に「夏休みは月へ3泊4日で家族旅行」なんて世界になっていてもおかしくないように思える。


2022年1月10日月曜日

足が動かなくなった恐怖を感じて思うこと

雪の日の夕方 足に激痛が走った

先日、仕事始めの当日、午後から大雪となった。夕方になっても雪は止まず、電車が止まらないことを祈りながら会社を出た。社屋を出てから数分経った頃からだった。


左足が痛い…


そう感じた。

特に気にもせず傘をさして足早に駅を目指したのだが、思いがけず痛みは増し、痛む範囲も広がって行った。それでも気になるのは雪の積もった路面で滑らないようにする事だった。滑りに気を付けるがために少々ぎこちない歩き方にもなるので、多少足にも負担がかかる…そして足が多少痛くなることもあるだろう…などと思っていたのだが…


そんな「多少」の範疇を軽々と越えて痛みは増大して行った。


認めざるを得ない足の痛み

社屋から駅まで7,800mである。歩いて10分足らず。とうとう、自分の中で痛みを認めざるを得ない状況まで来てしまった。足が痛い。足が動かない…。左足のみならず右足も…一歩を進めるだけでも苦痛を感じる。


立ち止まろうとも思ったが、立ち止まればますます痛みは増大するように感じた。直感的にではあるが「冷え」によるものであると思ったので、何とか早く駅に辿り着こうと思った。社屋から出る時は何の痛みもなかった…急にである。急に歩けなくなるほどの痛みが下半身全体に走ったのだ。

体調が悪い訳ではない、だるさも頭痛も喉の痛みやセキもない。私の体の中で何が起こっているのか…わけが分からずやっとの思いで駅に辿り着いた。ちなみに階段など登れるわけもなく、エレベータで駅の中を移動してホームに着いた。

電車に乗ると痛みが引いて行った。ゼロにはならなかったが、大幅に痛みが引いている実感があった。やはり「冷え」から来る痛みであることには間違いないようだが…しかし自宅そばの駅に着き、電車を降りると再び痛みが増した。やっぱり歩くのも大変である。通常、駅からは健康のために30分程歩いて帰宅するのだが、その日はたまらずバスを使った。

試行錯誤の結果 辿り着いた考えはカゼ薬…

次の日は出勤したのだがちょっとした格闘だった。痛みは前の日と変わらない。外に出て冷えると痛みは増し、屋内では痛みが引く。階段の上り下りでは常に痛みが走る…明日は休暇なので今日だけ我慢しよう…その思いだけで1日乗り切った。


体調が悪くないのなら…もしかして年齢によるもの…足腰の弱体化によるものなのだろうか…そこに考えが及んだ時にはかなり落ち込んだ。ここ数年来、下痢、遠視、血圧上昇など、年齢によるものであろう身体の変化が次々と現れていたからだ。


今度は足腰…


足腰の自由が利かなくなれば決定的に生活に影響が出る。考えれば考えるほど悪い方向に思考が走る。不安な気持ちに浸りながら1日を過ごした。


年の功 先年の経験が回復のヒントに

ただ、その日の夜、ふと以前に「急性胃腸炎」を患った時のことを思いだした。簡単に言えば「腹にくるカゼ」である。冷えるとうずくまってしまうような強い腹痛を感じ、温かい場所では痛みが治まる。体調不良が伴う場合もあれば、体調が悪くないのに腹痛だけがある場合も…腹に何か悪い病気でもあるのでは…と強い不安を感じたものだ。


もしかすると今回もそんな感じではなかろうか…カゼと足…何の関係もない可能性の方が高いが…失笑される可能性もあるが…急性腸炎の時も「カゼからくる…」と言われ驚いた経緯がある…今回だって驚くようなことがあってもおかしくない…

そんなこんなで、試しに普段飲む市販のカゼ薬を飲んでから就寝した。すると次の日の朝…なんとすっかり痛みが消えていたのである!

飲んだのはどこにでもあるカゼ薬である。どこにでもある総合感冒薬である。完全に効いたようだった。でも昨日までの苦痛を考えると医者に相談しない手はなかった。朝食後にすぐに近所の医者に行った。

受付では「整形外科でなくていいのですか」と聞かれたが、筋肉やスジの痛み…いわゆる外科的な痛みではないように思えたことや、昨夜飲んだカゼ薬が効いていることも踏まえて内科の受診をお願いした。

診察ではこれまでの経緯を説明したが先生も首をかしげていた。「足腰にくるカゼ」「カゼの菌が足(下半身)に入る」…そんなことがあるのかどうか…先生の結論は「様子を見ましょう」だった。総合感冒薬が効いているのならそれで様子を見ましょう…とのことだった。

痛みが消えても考えさせられた

結局、痛みは完全に消えた。自宅から駅までの歩き通勤も再開した。もちろん油断は禁物だが、今回は「カゼ」で結論付けてよささそうな感じである。

たった3日間の騒動だったが、今回はいろいろな事を考えさせられた。今、私が歩けなくなったらどうなるのだろう。働く事ができなくなり収入を絶たれた父親を家族はどう思うだろう。それは紛れもなく恐怖だった。

子供たちはもしかしたら「おとうさんを支えなくてはいけない」「家を支えなくてはいけない」などと思って奮起してくれるかもしれない。でも経済的な負担を子供たちや家内に背負わせることは到底できない。ただ、今の家内との関係を踏まえれば「金の切れ目が縁の切れ目」になる可能性の方が強い。

詳細を書けばキリがないが、その後は絵に描いたような転落人生になるだろう。。そんなことを想像させるくらい今回の足の痛みはインパクトがあった。

もちろん、今回の痛みをカゼと断言できるわけではない。年齢による身体の弱体化が原因になっている部分もあるかも知れない。

これまでも健康にはかなり気を遣って来たつもりではあるが、これまで以上に健康のことを考えて行かなければならないと痛感させられた出来事だった。


2022年1月2日日曜日

天文学者が夢だったけど ホントにやりたかったことは

天文学者を志した小学生時代と現実

なぜ今こんなことを書くのかとも思うが、正月に時間もあるのでちょっと書いてみた。

私が小学2年の時、「宇宙」の図鑑と天体望遠鏡を親に買ってもらったことがきっかけで、星を見るようになった。太陽、月、木星、土星、金星、水星‥などなどである。

中学生の時、宇宙を扱う月刊誌を読むようになり、毎月、ひとりでプラネタリウムを観に行くようになった。親に頼らず電車に乗って出かけられるようになったきっかけは「宇宙」だった。加えて、星座の位置などがすぐに表示できるという事を聞いたため、当時はまだ目新しかったパソコンを始めた。

後年、情報処理技術者試験に合格し、仕事として10年ほどIT関連の教員をしていたが、このきっかけになったのも「宇宙」だった。

高校生になって大学受験を意識し始めた時、初めて「現実」と衝突した。「天文学者」になるには途方もない学力が必要だということ‥宇宙を仕事として行くのは大変な狭き門であるということ‥。

学者なんて身分不相応というより努力不足

色々調べて行くと「天文学」でなくても宇宙を学べる学問があることを知った。物理学だった。なので大学受験は「宇宙」「物理」「IT」を主軸として学部を選んだ。「宇宙」は夢の夢を追うため。「物理」は夢と現実の両方を見据えて。「IT」は現実的な将来の就職を考えての事であった。

結果的には「物理」の学部に進学した。4年次には「宇宙線」の研究室に入った。今思えば努力不足も甚だしかったが、若気の至りで大学院に進み、物理学者を目指している気分になっていた。ただ、力不足は明白であった。大学院は修士課程で終え、25歳で就職した。


就職後も4、5年程だっただろうか、休暇を利用して研究室に通っていた。観測機材のメンテナンスや観測したデータをパソコンで分析するようなことを続けていた。このころ、自分は研究すること・物事を調べて新しい事を知る‥といったが好きなのだということを悟った。

いつしか始めた現実的な人生 現実的な大人

就職は宇宙とは関係ない仕事だった。時が経ち仕事も忙しくなり、結婚して子供が産まれ、親を介護・見守りする必要も出て来た。いつしか宇宙・研究からは離れた生活となり、自分の見る「夢」も変わって行った。現実を即した上で、その延長線上に立った現実的な夢を見るようになっていた。


仕事・家庭の「必要な仕事」に明け暮れて十数年が経った40代後半のある日だった。子供たちも成長して手が掛からなくなって来た。会社の仕事は相変わらず忙しかったが、20年も仕事をしていれば力の入れ加減もわかって来る。次第に時間と気持ちの余裕を感じるようになった。

古本屋で拾った夢 100円で売っていた本から

母の病院見舞いの帰りにふと立ち寄った古本屋で「物理」の本が100円で売られていた。手に取って読んでみると懐かしさと共におもしろさを感じて止まなかった。おもしろくておもしろくて‥とってもおもしろくて‥100円なら無駄になってもいい‥結局その物理の本を買って読んでしまった。


古本と言っても一般的な教科書として使われるような本である。多くの数式や例題・問題なども盛り込まれている。次第に目で追うだけでなく数式を紙に書いて理論を追うようになった。難しい理論や忘れた公式はインターネットで調べる事ができた。ネット上では動画の解説もあり、自身で質問すればネット上で回答してくれる人もいる。。20数年前より独力で学習する環境は格段に良くなっていた。

あくまでも「仕事の合間に」ではあるが、1年程かけて上の古本(正確には物理学の「力学」というテーマの本)を完読してしまった。仕事の合間に‥他の用があればやらない‥時間的にはそんなダラダラした「趣味の領域」ではあるが、決して妥協せず、完全理解を目指した学習‥インターネットの存在がそんな独学を可能にした。

40代後半から 結構出て来た自由な時間

昨今の社会状況も後を押した。自分の時間が増えたのである。会社は定時帰宅を推奨し、家では子供たちも手が掛からない‥むしろ「お父さん関わらないで‥」といった感じである。そう‥時間があるのだ。


どうせ長く続かないだろう‥とも思っていたのだが‥継続中である。物理学では「力学」の次に学習すべき「電磁気学Ⅰ」の本をネットで購入した。ワクワクしながら少しずつ読み切った。そして、先日「電磁気学Ⅱ」の本を読み始めた。。細く長く物理学の本を読み始めてもう3年になる。物理学は学習を進めれば様々な分野に到達できるが、その中に「宇宙」の分野も含まれる。

もちろん、そんな高度なところまで学習して行けるかどうかなど分からない。でも机上の学習を続けることは「多くの時間をかければ不可能ではない」そして「その時間を確保できる見込みができた」のだ。

もはや夢など見ることはないだろう‥と思っていた私に、ふとしたところに夢が転がっていた。。そのきっかけは古本屋だった。

自己満足でもいい 本当にやりたかったこと

10代後半、20代の頃は、どうしても自分の夢に職業を重ねてしまう部分があった。それは社会を生きる人間として仕方のない事であった。私に限ったことではないかも知れない。。50代となった今、振り返れば必ずしも成功した会社員生活ではなかった。会社に嫌気が差し、独立開業を目論んだ時期もあったが、到底力不足‥というより覚悟不足だったという方が近い‥で実行せずに終わってしまった。


これは、あくまでも私個人の話ではあるが、私は本当に天文学者に、物理学者に、独立してお金持ちになりたかったのだろうか‥今落ち着いて考えると、そうではなかったのだと思える。

子供心に、将来、何かしらの「職業」に就かなくてはならない。ならば、やりたいことを職業に‥という思考だった。「学者」や「経営者」に心底なりたかったわけではない。

地位・名誉・お金・地域への貢献‥そういったものではなく、単に宇宙の事が知りたいだけ。宇宙がどうなっているのか知れればそれでいい。身勝手で安っぽい考えなのだろうが、嘘偽りのない率直な考えである。そして、今では週に3~4時間程度ではあるが、物理の学習を続けていることが私の生き甲斐のひとつであり夢でありモチベーション維持の土台となっている。

そのことに気付いた時、少し嬉しい気持ちになった。少し自分を好きになった。

あと20~30年。長く生きた分だけ宇宙の真理に近づける。。たまに息抜きで釣りに行く。50代以降の私の生活はこんな感じになるだろう。


サンタクロースが来ない日

枕元のプレゼントを止めることにした

少し遅くなってしまったが、印象に残った出来事だったので書き留めておきたいと思う。。今、箱根駅伝を見ながら記事を書いている(汗)。

昨年のクリスマス(つい先日だけど‥)は、遂にサンタクロースが来ない日となった。長男と次男が4歳離れているので、長男に「枕元にプレゼント」をやめた後も次男には続けていた。

なので通算してサンタクロースは15、6年来たことになるだろうか‥。昨年、次男の様子を見ながらだったが‥「枕元にプレゼント」は、止めることにした。


長男の影響もあり、次男はサンタクロースに期待しなくなる時期が早く来た。小学3年の頃には既に「特にプレゼントはいらない‥」ような事を言っていた気がする。一昨年、5年生のクリスマスに枕元に置いたプレゼントには手も付けていなかった。

親としては寂しく感じる部分もあるが、私としては子供が成長してくれている事の方を歓迎したいと思っている。昨年のクリスマスは、長男(高校2年)、次男にはアマゾンギフト券を渡した。欲しいものは選ばせて、購入は私のアカウントを使って私が購入する形だ。

そんなこんなで、長男の枕元に初めてプレゼントを置いた日から15、6年になるが、昨年から、ウチにサンタクロースは来ないこととなった。

サンタなんていねぇ~よぉ~

でも、私は子供たちに「サンタクロースはいない」とは言ったことがない。これからもそうである。クリスマスに来なくはなったけれども「いない」とは一度も言っていない。これには理由がふたつある。


ひとつ目は子供たちに「考える・想像する」という機会をなるべく多く持ってほしいからである。「サンタクロースはいない」と私が言い切ってしまえば、子供たちはサンタクロースのことについて考えなくなってしまう‥想像することを止めてしまう。このことが私としては嫌なのだ。サンタクロースはいる・いない…そこをきっかけにいろいろな想像を巡らせて、いろいろな考えを膨らませてほしい。それが思考力を強くするとも思っている。

ふたつ目は、子供たちに「心の奥行き」を持ってほしい。そんな大人に成長してほしいと思う部分である。「サンタなんていねぇ~よぉ~」と言い切ってしまうより、「‥えッ‥もしかして‥いてもいいんじゃない‥」みたいなことが言える人物になってほしいものだ。

また次の世代でお世話になります

サンタクロースには、今まで私や子供たちに想像力や楽しみを与えてくれたことに感謝したい。ウチでは当面疎遠になるが、また次の世代で縁があるかも知れない。夢は持ち続けて行きたいものである。


父命日の墓参り 18年目に思うこと

思い起こすこと18回 父が倒れてから亡くなるまで 昨日が父の命日。毎年の事であるが「倒れた日」の3月14日から「亡くなった日」の19日までは私の中で当時の回想が優先される。特にそうしようと思っているわけではないのだが、頭の中に蘇ってしまうのだ。 今年も例外なく父が倒れたあの日、泣...