ふと、昔の友達からショートメールが来た
先日、高校時代の友達から十数年ぶりにショートメールが来た。
数年前、スマホが破損してしまった時に電話帳が消去されてしまったため、正直、そのメールが誰からなのか分からなくなっていた。仕方なく「誰?」と返信して名前を教えてもらった。十数年、年賀状だけの付き合いでしかなかったが、久しぶりの「年賀状以外」でのやり取りとなった。本当に久し振りで、何だかいつもと違う心の和みを感じた。
もう、はっきり認識しているが、今の私には友達付合いがない。皆無である。
仕事・子供の世話・父母祖母の通院、介護などに追われ、いつしか友達との付き合いが無くなっていた。自分の時間は「寝る」とか「掃除する」とか‥である。自分の時間がないわけではない。でも短くて、疲れている場合がほとんど。その時間に友達と予定を合わせて遊びに出る‥なんて余裕もパワーもない‥だから友達と会わなくなるのだ。
いつしか十数年来友達と会わなくなった。ご近所付合いもせず、何かの集まりに参加することもない。会社での人間関係と家族だけ、気付けばスマホの電話帳に友達の名前はなかった。
気が付けば友達がいなくなっていた
あたりまえだが、学生時代は友達との付き合いがほとんどだった。学校、部活動、バイト先‥友達の友達がまた友達になる。それが何故今は皆無なのか。友達なしでもやってこれた十数年来の現実‥友達って何なのだろう‥。
ここ数年、職場でふと思うことがある。自分と同年代でやたらと年下の職員となれなれしく交流しようとする人物‥職場でやたらと友達関係を築こうとする人物‥そんな輩に限って同年代とはウマク仕事ができない。
もちろん、人間関係の構築は必要であるが、本来必要なのは「仕事を遂行するために必要な関係」であり「学生時代のような友達」ではない。周囲の空気を読まず、忙しい雰囲気の中で堂々と長時間世間話をしている姿は怒りを覚える。
そんな輩は基本的に「友達」としてではなく「自分の防御壁」として人間関係を築く。あくまでも「一人でいられない恐怖」から人との接触を望む。相手の迷惑は考えずに自分のために繋がりを求める。だから同世代から見放され、近しい後輩からも見放され、大きく離れた年下としか繋がることができないようになる。「自分だけのため」に関係を構築する輩の顛末である‥と私は思っている。
自己中心的な考えを実感した時
でも、そんな輩を悪くばかりは言えない。私自身はどうなのだろう。会社では仕事優先の人間関係。プライベートでは友達なし。会社の人とプライベートで会う事など皆無。仕事帰りに本当に稀に飲みに行く程度である。それだって年に数える程だ。
「自分だけのため」
それは私にも心当たりがある。正直に言えば、学生時代の「友達」には、皆、付き合うための目的があったように思える。純粋に友達と呼べる繋がりがあっただろうか‥そもそも「純粋な繋がり」とは何なのだろうか。
「クラスの中で孤立を避けるため」「自分自身を成長させるため」「恋人を作るため」
こんなところだろうか。中学から高校生の頃は最初の目的だったっと思う。目的としては後ろ向きだ。10代後半から20代になると、どんどん2番目から3番目の目的にシフトしていく‥要するに自分だって「自分だけのため」に友達を作っていたことは否定できない。
33歳で結婚した。仕事や家庭を持った事も大きな要因ではあるが、その頃から急速に友達との交流が減ったことも確かだ。ただ、それは仕事や家庭の要因だけでなく、そもそも自分自身が友達との繋がりを必要としなくなったことが最も大きな要因である。
この「必要としなくなった」と実感してしまっている自分自身の人格に、何か失望を感じてしまう時期もあった。自分の本質はこんな冷たい自己中心的にモノなのかと‥。
一生の友達は一生かけて作る
ただ、今は違う。先日もらった昔の友達からのメール。心の中は懐かしさだけだった。目的も損得勘定もなしに付き合える関係。そんな関係を構築できるのは、もしかしたらこれからなのかも知れない。そんな希望が見えた。
人生の3分の2を過ぎて初めて理解できる(かも知れない)友達という存在。
「一生の友達は一生かけて作る」
そんな言葉が実感できた友達からのメールだった。