2022年2月12日土曜日

友達って何だったのだろう 友達がひとりもいない今考えてみる

ふと、昔の友達からショートメールが来た

先日、高校時代の友達から十数年ぶりにショートメールが来た。

数年前、スマホが破損してしまった時に電話帳が消去されてしまったため、正直、そのメールが誰からなのか分からなくなっていた。仕方なく「誰?」と返信して名前を教えてもらった。十数年、年賀状だけの付き合いでしかなかったが、久しぶりの「年賀状以外」でのやり取りとなった。本当に久し振りで、何だかいつもと違う心の和みを感じた。


もう、はっきり認識しているが、今の私には友達付合いがない。皆無である。

仕事・子供の世話・父母祖母の通院、介護などに追われ、いつしか友達との付き合いが無くなっていた。自分の時間は「寝る」とか「掃除する」とか‥である。自分の時間がないわけではない。でも短くて、疲れている場合がほとんど。その時間に友達と予定を合わせて遊びに出る‥なんて余裕もパワーもない‥だから友達と会わなくなるのだ。

いつしか十数年来友達と会わなくなった。ご近所付合いもせず、何かの集まりに参加することもない。会社での人間関係と家族だけ、気付けばスマホの電話帳に友達の名前はなかった。


気が付けば友達がいなくなっていた

あたりまえだが、学生時代は友達との付き合いがほとんどだった。学校、部活動、バイト先‥友達の友達がまた友達になる。それが何故今は皆無なのか。友達なしでもやってこれた十数年来の現実‥友達って何なのだろう‥。


ここ数年、職場でふと思うことがある。自分と同年代でやたらと年下の職員となれなれしく交流しようとする人物‥職場でやたらと友達関係を築こうとする人物‥そんな輩に限って同年代とはウマク仕事ができない。

もちろん、人間関係の構築は必要であるが、本来必要なのは「仕事を遂行するために必要な関係」であり「学生時代のような友達」ではない。周囲の空気を読まず、忙しい雰囲気の中で堂々と長時間世間話をしている姿は怒りを覚える。

そんな輩は基本的に「友達」としてではなく「自分の防御壁」として人間関係を築く。あくまでも「一人でいられない恐怖」から人との接触を望む。相手の迷惑は考えずに自分のために繋がりを求める。だから同世代から見放され、近しい後輩からも見放され、大きく離れた年下としか繋がることができないようになる。「自分だけのため」に関係を構築する輩の顛末である‥と私は思っている。


自己中心的な考えを実感した時

でも、そんな輩を悪くばかりは言えない。私自身はどうなのだろう。会社では仕事優先の人間関係。プライベートでは友達なし。会社の人とプライベートで会う事など皆無。仕事帰りに本当に稀に飲みに行く程度である。それだって年に数える程だ。


「自分だけのため」

それは私にも心当たりがある。正直に言えば、学生時代の「友達」には、皆、付き合うための目的があったように思える。純粋に友達と呼べる繋がりがあっただろうか‥そもそも「純粋な繋がり」とは何なのだろうか。

「クラスの中で孤立を避けるため」「自分自身を成長させるため」「恋人を作るため」

こんなところだろうか。中学から高校生の頃は最初の目的だったっと思う。目的としては後ろ向きだ。10代後半から20代になると、どんどん2番目から3番目の目的にシフトしていく‥要するに自分だって「自分だけのため」に友達を作っていたことは否定できない。

33歳で結婚した。仕事や家庭を持った事も大きな要因ではあるが、その頃から急速に友達との交流が減ったことも確かだ。ただ、それは仕事や家庭の要因だけでなく、そもそも自分自身が友達との繋がりを必要としなくなったことが最も大きな要因である。

この「必要としなくなった」と実感してしまっている自分自身の人格に、何か失望を感じてしまう時期もあった。自分の本質はこんな冷たい自己中心的にモノなのかと‥。


一生の友達は一生かけて作る

ただ、今は違う。先日もらった昔の友達からのメール。心の中は懐かしさだけだった。目的も損得勘定もなしに付き合える関係。そんな関係を構築できるのは、もしかしたらこれからなのかも知れない。そんな希望が見えた。

人生の3分の2を過ぎて初めて理解できる(かも知れない)友達という存在。

「一生の友達は一生かけて作る」

そんな言葉が実感できた友達からのメールだった。


2022年2月7日月曜日

隠れた交流 秘密の交流 前プロセスは終わった

交流が深くなるにつれて気になる周囲の目

アルバイトのYさんとの交流がどんどん深くなっている。職場には他にもアルバイトの女性が多くいるので、Yさんだけに偏った態度にならないように心掛けてはいるが、たぶん、話す時間の長さや内容が、そろそろ偏り始めているのでは‥それを周囲の職員に気付かれているのでは‥と疑心暗鬼になってしまう。。


20~30代の頃は、噂になったって別にいい‥と思う面もあった。噂が意中の相手との関係を深める材料になると思っていたからだ。

でも50代の今は違う。正直、噂は立ってほしくない。率直にみっともないと思うからだ。

職場で顔を合わせれば何か話し掛けたい衝動を感じる‥何かしら理由を付けてはYさんに絡もうとする。やってることは小・中学生の頃と変わらない。昨年9月の異動時にはこんな状況が訪れるなんて夢にも思っていなかった。

二人だけの時間を感じた幸福感

ウチの職場は事務室とは完全に離れて別室になっている給湯室がある。キッチンや電子レンジ、冷蔵庫などが設置されていて、アルバイトさんを含めた職員全員が使用できる。もちろん、私もYさんも毎日出入りしている。


先日、その給湯室でYさんにバッタリ会った。

「バッタリ」は別に初めてではないし、他の職員も頻繁に出入りするので「二人きり」という空気にはならない。。はずだったのだが、その日は土曜日で出勤者が少なく、自然と給湯室を出入りする人も少なかった。

そうであっても「全職員出入自由」の給湯室である。いつ誰が入って来るか分からない。「二人きり」の空気感なんてすぐに伝わる‥すぐに噂になる‥給湯室で会ってもなるべく濃い空気感をださずに‥でも親しく話す‥そんなつもりだったのだが‥

その日はYさんと私の間で「他の人が入って来てもいい」といった雰囲気になった。世間話程度だが10分、15分だったろうか‥話し込んでしまった。「二人きり」の空気感満載だった。

他の職員が入って来れば一発で伝わるだろう‥その空気感。。噂になることを承知で‥という気持ちで彼女と接した。とても幸せな気分だったし、彼女はとてもいい香りがした。

土曜日とは言っても偶然性は高かったと思う。結局、私たちが話し込んでいる時間には誰も入ってこなかった。「二人きり」の時間は本当に「二人だけ」が共有する時間になった。言い知れない満足感がココロを満たした。職場で何やってるのだろう‥と思う反面、近年にないココロの充足を感じた。

どこに進む Yさんとの最善の関係は

挨拶する程度‥から始まり、親しく会話できるようにまでなった。職場の仲間で割り切るのなら、この関係を続けることが最善である。これ以上踏み込むなら男女の関係となる。もはや前段階のプロセスは完了。あとは、きっかけ次第である。そこに踏み込むかどうか‥思わぬ葛藤を感じる今日この頃である。


ただ、長年の経験から「すべて勘違い」「相手(Yさん)は何にも感じていなかった」なんてオチになる可能性の方が高い。。下手に食事に誘ったりして断られたりしたモンならば、一挙に職場で気まずくなってしまう。

まぁ、そーならないように慎重に行動しよう‥と心引き締めているところである。


父命日の墓参り 18年目に思うこと

思い起こすこと18回 父が倒れてから亡くなるまで 昨日が父の命日。毎年の事であるが「倒れた日」の3月14日から「亡くなった日」の19日までは私の中で当時の回想が優先される。特にそうしようと思っているわけではないのだが、頭の中に蘇ってしまうのだ。 今年も例外なく父が倒れたあの日、泣...