2023年8月20日日曜日

カブトムシと金魚たちとの10年も今日で終わり

カブトムシと金魚 気付けば10年

 昨夜、飼育していた最後の一匹の金魚が死にました。水槽の底で静かに横たわっていました。亡骸は庭の隅に埋めました。最後の一匹が死んだことで水槽やポンプなど飼育用品が不要となったため、簡単に洗って後日処分する予定です。


 子供たちが小さな頃から、ウチではカブトムシと金魚を飼っていました。約10年。先に始めたのはカブトムシでした。長男が本などを見て何かとカブトムシに興味を示すため、カブトムシの飼育から入り、数年後に金魚が合流。全盛期はカブトムシ十数匹、金魚7匹を飼育しており、家の中が賑やかでした。


オスとメス一匹ずつ捕獲に成功!

 ウチは近所に山里があり、自然の中でカブトムシを捕まえることができます。ラッキーだったのか、初めて私がカブトムシを捕まえに行った日(夜でした)にたまたまオスとメスを1匹ずつと捕獲する事ができ、本格的な飼育が始まりました。

 子供に見せたら逃がしてやろう。から始めたのですが、いつの間にか卵から成虫になるまで面倒みており、最終的には5シーズン(5年間)飼育しました。

 カブトムシが好きだったはずの長男ですが、実物は・・怖かったのか、それほど興味を示したような反応はなく、何となく空振り感がありましたが、卵⇒幼虫(1期~3期)⇒蛹⇒成虫⇒交尾⇒産卵などのサイクルを実際に観察できることはとても有意義で興味深い日々でした。

 長男が中学生になった頃にはほとんど興味も示さなくなり、最後は成虫7匹を元いた山里に放して終了しました。


次男を喜ばせるために大所帯に

 金魚飼育の発端は次男が「カエルを飼いたい」と言い出したところでした。

 父親としては何とかしてやりたいとも思いましたが、そもそもカブトムシの飼育にも前向きでなかった家内が猛反対。。また、カエルの飼育は生きたエサを与える必要があるなど、やや難易度が高かったこともあり断念。その後、巡り巡って金魚に落ち着きました。


 ただ、カエルを飼いたいと言っていた次男が喜ぶようにと、金魚の数は多目に水槽も2つ購入して大所帯にすることにしました。最盛期は7匹。もっと増やそうと思っていたのですが、ある年、金魚すくいで取って来た金魚を合流させたら病気が入り込み全滅したこともありました。

 やがて次男も小学校高学年くらいになると興味も薄れ、次第に事務的にエサを与えるだけになって行きました。近年は夏になると一匹ずつ死に、昨日が最後となりました。当然ですが死んだカブトムシや金魚はすべて庭に埋めました。


また来た 様々な「終わり」 今回は金魚

 今後、新たに飼育する予定はありません。既にカブトムシの飼育は終わり、金魚もこれで終わりです。

 始まりがあれば終わりがあります。子供に関する事で初めて「終わり」を感じて寂しく思ったのは、車に使う「チャイルドシート」でした。子供の成長は嬉しいものですが、反面、終わって行くものに対する寂しさがあることも事実です。


 カブトムシや金魚は子供たちにどんな影響を与えたのだろうか。はたまた影響などなかったのか・・知る由もありませんが有意義な時間を与えてくれたことは間違いありません。

 今、主がいなくなり片付けた飼育セットが庭に置いてあります。なんだか寂し気に感じるのは、これまでの思い出があったからだと思います。

 子供の前に出て来てくれたたくさんのカブトムシや金魚に心から感謝です。


2023年8月17日木曜日

5連休のはずだった おとうさんの夏季休暇2023

5連休のはずがバラバラに

 会社の予定上は5連休・・であったが、概ねの予想通り連休などにできず、急遽の出勤と在宅ワークに明け暮れた5日間だった。ホントに最低だ。事前に立てていた休暇の予定だけを消化してその他は仕事か家事。最終日の15時にやっとフリーになった。


 でも何故だろう。悲壮感はない。むしろ休暇最終日の半日だけの自由を満喫しようという気になり、それで何となく事足りている。

 ネットで読んだのか、ラジオで聞いたのか、内容もほとんど忘れたのだが、人の幸せについて、強く印象に残っている話があった。「人の幸せなんて身近にある。足元にあるモンだ」というものだ。


 連日の残業、休日返上で仕事し、たまの休暇もクタクタで昼過ぎまで寝る。金もなければ恋人もいない。ひとりで昼飯を食って午後はやることもない。

 でも一人でのんびり神宮球場に行って野球を見ながら焼きそばを食べてビールを飲む。そんな時間があるだけで十分幸せなんて感じられる。贅沢言えばキリがない。幸せなんて目の前にあるモンだ


 そんな話だったような気がする。そして、その話が妙に自分を納得させる。5連休がまともに1日も休めなかった。でも何となく大丈夫。歳によるものか?

 50代なんてそんなモンなのだろうか。私がおかしいのか。知る由もない。。飛び飛びだった夏季休暇の出来事を簡単に記録しておく。


家族で回転寿司を食べに行く

 7月にちょっとだけ臨時ボーナスが出た。大した額ではないので家族でちょっと外食することとなった。回転している寿司である(笑)。まぁ今回は何かのお祝いと言う事でもなく「ちょっと臨時収入」程度なので、回転寿司くらいが妥当だった。

 子供たちも大学生1年生と中学2年生。スマホを向けると嫌な顔をするだけなので写真はない。なので記念品だけ写真に収めた(笑)


 まぁ知る人ぞ知る「記念品」である。アニメキャラクターのマグネット。欲しくはないのだが、寿司を食べているとガチャが回り、出て来てしまうシステム。昔は子供たちが飛びついて取り合いになったものだが、今は見向きもしない。捨てるのももったいないので、自宅の冷蔵庫にくっつけてある。

 この日は夏季休暇1日目。休暇返上で朝から出勤。15時頃帰宅して夜に寿司を食べに行った。


Aとプラネタリウムを観に行った

 次の日はAとプラネタリウムを観に行った。ないと思っていた「共通の趣味」があったのだ。プラネタリウムは街中の科学館の中にあり、半日ほど科学館見学と昼食などもできた。私たち二人に小さな子供が一緒であればドハマリのキャスティングだったが、お互いに子供が中学生以上で当然連れて来ていない。オッチャンとオバチャンが不思議なデートをしていた。周囲にはどう見えたのだろう。。


 科学館内には宇宙にちなんだガチャがあった。その日、たまたま私たちの間で「はやぶさ」という衛星の話が出ていた。「サンプルリターン」という大ミッションを成し遂げた衛星であるが、なんと、そのガチャで「はやぶさ」が出たのだ!


 デートの演出にはもってこいである!若かりし日であれば運命をも感じる出来事だろうが、まぁこの歳だし。。でも正直うれしかった。私がガチャで出したのだが、Aに渡した。

 プラネタリウムは17時終了。その後はいつも通りラ〇ホで愛し合ったことは言うまでもない。。22時にラブホを出て24時前に帰宅。

 この日は朝6時から9時頃まで在宅ワークをしてからのお出掛けだったため、予想以上に疲れたようだった。


在宅ワーク後の墓参り

 プラネタリウムの日以降は2日ほど在宅ワーク。解放されたのは休暇最終日の15時頃。底知れぬ開放感を感じるが、できることなんてたかが知れている。まずは墓参りに行った。


 ご先祖や両親には申し訳ないと思っていた。仏壇には毎日線香をあげていたのだが、ここのところ仕事に翻弄されて墓参りに行けなくなっていた。数カ月ぶりの墓参りである。

 霊園内は草花が豊富で冬以外はいろいろな花や紅葉が私を癒してくれる。今日も例外ではない。ちなみに冬は富士山などがくっきり見え、風景がきれいだ。



 以前、花の名前は調べたのだが、忘れてしまった(涙)。そして夕方だったこともあり、空が幻想的な感じだったのでパチリとしてみた。


 家を出てから帰宅するまでに1時間半ほど。ホントに短い時間だったが、人出も少なくゆっくり静かな充実した時間を過ごす事ができた(暑かったけど・・)。


あと3時間くらい

 ゆったりした気分でこのブログを書いているのも休暇ならではである。また明日からは分刻みで仕事が降りかかってくるのだろう。憂鬱だがそれは考えないこととして、今日寝るまであと3時間くらいある。


 映画でも見るかYoutube動画でも見るか・・何をやっても自由だ。決して長い時間ではないが、こんな時間を過ごせることに、少しの喜びを見いだせる。。これは悪いことではないと思うのだ。

 まぁ可もなく不可もなく。2023年の夏季休暇はこんな感じだった。


2023年8月10日木曜日

欲望と愛情が交錯 親密な関係は継続中

スリルと罪悪感と快楽

 Aと親密な関係となってもうすぐ半年が経過する。関係は良好である。たまに職場の昼休憩中、彼女の休憩室に行ってキスを重ねることがあるのだが、昨日初めて口でイかせてくれた。年齢的に口でなんてもうイけないと思っていたのだが、昨日は何故か感度が高く、数分で・・照。


 Aは「・・してあげる」と自分から言って来る。「・・好きなの?」と聞くと「そうではない」と答えるが。結構好きなのでは・・と私は感じている。。女とはそういうものなのだろうか。

 休憩室でのフェ〇。もはやア〇〇トビデオの世界である。スリルと罪悪感と快楽が入り混じって、そこは別世界となる。でも、私がAにすることをAは拒む。Aは声を上げてしまうかららしい。なので私としては余計に罪悪感が大きくなる。。


Aが怒って泣いてしまった日

 今、そんな状況だが、1カ月程前に危機があった。ちょっとしたことでケンカとなったのだ。2週間程会わずに過ごしたが、お互いの関係に対しての考え方や、会う頻度を変えるなどして和解した。・・と思うのは自分だけかもしれないが、とにかく、関係継続となったのだ。


 ケンカの理由だが、月に1~2回会えればいいと思っている私に対して、Aは「毎日でも会いたい」と言う。。落としどころとして、これまで週1回会うようにして来たのだが、これも仕事との両立が難しく、私としては「無理して時間を作って会う」状態になっていた。

これが変な形でAに伝わり、Aは怒って泣いてしまった。

 この「会う回数」の考え方の違いは、薄々察してはいたのだが、私は性欲の解消が第一、Aは愛を確認することが第一。。という根本的な考え方の違いが原因なのだろう。


昔、ミスチルが唄ってたっけ


「君が望んでる愛と僕を満たす悦びが激しく揺さぶるジェラシー」♬


身体の関係と心の繋がり

 性欲の発散と疑似恋愛・・その辺まで突っ込んで話をした、Aはゆくゆくは再婚相手も探したいと言っていた。ただ、これは関係を始める当初から話していたが、私はAの再婚相手にはなれないということを再度伝えた。


 その上での関係という認識は再確認して、結局は隔週で会うという付き合い方にした(してもらった・・かな・・苦笑)。なので、「会う回数」についての負担が解消され、自分としては理想的な形となった。

まぁ、当面関係を楽しみたいが、Aの本音を聞いた以上、この関係どこまで続くものだろうか、どこまで続けて良いものだろうか・・考えなければいけない時も来るのかも知れない。


2023年8月4日金曜日

スゴイ人と思われたい心理の逆効果

残業と休日返上が心と身体の支障に

 3ヶ月振りの投稿である。一体何をしていたのだろうか。あっという間の3ヶ月であった。気付けば来週から夏季休暇。1年の半分はとっくに過ぎ「仕事」に明け暮れた日々が心と身体に支障をきたすレベルに陥ってしまった。


 2度目の異動からもうすぐ2年。総務課所属になって2年になる。仕事量の多さとスピードに着いて行けず。翻弄されまくりの3ヶ月だった。決して難しい仕事ではない。でも正確に早く消化することを求められる。「正確に早く」これがうまくできない・・不得意この上ない。

 でも広報時代だって同じだ。「売り込む」「イベントを盛り上げる」ことだって不得意。「好き」と思い込んでやっていた教員時代ですら・・人をやる気にさせるように仕向ける・・なんて不得意・・思えば自分に得意なんてあるのか?


そんな自己否定に陥る思考となっていた。


わからなければ人に相談する

 「好きなことを人に教えられる」という前向きな動機を唯一持てる教員職から離れざるを得なくなってから12年。不得意に適応しなければならない、年下の職員に頭を下げなくてはならないは覚悟の上だった。


それにしても残業、休日返上の毎日で精神的にも身体的にも追い込まれて来た。

 どうしようもない状況に陥りかけ、やむなく上司に相談したところ「考え込むのを止めて他人に相談する方法」をアドバイスされた。

これに少々ウロコが落ちる思いがあった。


人に相談できない 自分自身の理由

 これまでの会社人生の中で、自分の心の底のどこかに「人に相談してはいけない」という気持ちが植え付けられていた、理由は「相談するとイヤな顔をされるから」「冷たい返事が帰って来る」からだ。これを裏返しに「自分で考えろ」という意味に捉え、いつしか仕事での疑問点は自分で考え、解決しなければならないと思い込むようになって行った。


 まぁ、それもあるのだが、それは簡単に言えば「人のせい」だ。自分自身に原因はないのか・・そこに少し思い当たる節があった。

私は心の奥底に「自分はスゴイと思いたい」とか「他人からスゴイ人だと思われたい」という心理が働いてる。その心理が様々な行動の原動力のひとつになっていることは間違いない。

思い起こせば子供の頃からだ。根本的な性格・・という部分にまで行きつくところに仕事の進め方に対する問題点があるように感じた。


人格否定しない 53歳のちょっと方向転換

 もちろん、向上心という言い方をすれば悪い意味ではない。加えて、53歳にもなってこれまでの人格を全面否定する気もない。


でも、仕事に後れを出し、精神的、身体的に追い込まれるようでは、そんな向上心もNGである。あくまでもちょっと・・仕事に対する時だけちょっと軌道修正するのである。

なので、仕事の中で適切に「相談する」という行動を加えて行こうと思った。そう思ったら急に気が楽になったのだ。

もちろん、そんなに急に変わらないだろうが、少しずつでいい。意識を改善し、行動を改善することで今まで感じていた仕事の進め方について疑問を解消できるかもしれない・・そんな希望が53歳にして湧いて来たのだった。


ちなみに、今日は休暇だが、家で仕事はしていない。。


父命日の墓参り 18年目に思うこと

思い起こすこと18回 父が倒れてから亡くなるまで 昨日が父の命日。毎年の事であるが「倒れた日」の3月14日から「亡くなった日」の19日までは私の中で当時の回想が優先される。特にそうしようと思っているわけではないのだが、頭の中に蘇ってしまうのだ。 今年も例外なく父が倒れたあの日、泣...