2022年5月30日月曜日

今日も釣れた!連勝気分で上々の一日

新しい釣り場へ やっぱり開放感がほしい!

今日はGWとは違い堤防釣りではなく、3月に行った漁港に再チャレンジした。今日は漁港の外側、正確には河口となっているところをポイントとした。


新規の場所だったが、平日だったので場所取りの必要もなく気楽だった。3月に行った漁港内側に比べると海がよく見え、何より開放感があって良かった。やはり海釣りは開放感が付いてほしい‥という私のちょっとした願望も満たしてくれる場所だった。

ただ、今日は快晴で、当然ながら炎天下での釣りとなった。1時間程釣っては休憩(日陰で休む・トイレに行く‥)するなどして体調管理には気を遣った。日焼け止めクリームもばっちり塗っての釣りだった。


新しいアイテム導入 撒きエサの釣り

前回の小鯖20匹が忘れられず、今日は釣針を4号と小さ目にして、撒きエサをして釣ってみた。新しいアイテム、新しい釣り方である。


エサを浪費する感があるが、いちいち小網にエサを注入するサビキ釣りに比べると楽チンな感じがした。しばらくはこちらの方式を主流にして行きそうである。

そして、釣りを開始して間もなく、15㎝程のサバが釣れた。

快調である。人気も少なく、広々した空間でゆっくり釣りをする‥しかも釣れる!幸先が良い!


初めて釣れた!30㎝クラスのコハダ

そして、釣り開始から1時間ほどしてから、今までにない大物が釣れたのだ!30㎝クラスの「コハダ」という魚である。


3年程前、釣りを始めてまだ間もない頃、アジの回遊に遭遇して爆釣れしたことがあった。20~30㎝クラスのアジがバンバン釣れ、夢中になっていた‥あの時のアジの大きさを上回っていた。コハダの1匹目が取れた時はドキドキものだった。

結果的に3匹のコハダが釣れた。

4時間程釣ってエサが無くなった11時頃に今日は終了とした。

前回のGWの時は小さな小鯖がたくさん釣れ、今日は大物がバンバンと‥連勝気分に浸って大満足の釣りだった。


釣れるようになって来た 充実感のある釣り

本やネットで得た情報に加え、釣り場で見た「ウマい人」の釣り方を真似たりして、少しずついろいろな釣り方を覚えて来た事が効果を発揮して来ているのだろうか。釣れる回数が増えるほど、充実感が加速する。。

とても良い気分転換になっている「釣り」が、最近はさらに充実しつつあるように思える。

追伸

二日後、釣った魚たちは天ぷらにしておいしくいただきました。



2022年5月5日木曜日

小鯖大漁! 混雑覚悟の釣りは大成功!

朝3時起床 ギリギリで場所取り成功

今年のGWは3連休のみとなった。そのうちの1日は自宅持ち込みで仕事をするような有様だったが、そこそこ充実できた3日間だった。

長く避けていた「休日の釣り」であったが、最近は平日に行くこともなかなか実現できていないため、3連休最終日の今日、混雑覚悟で行ってみた。

今回は前回の漁港ではなく、いつもの堤防の釣り場に行った。工事のために行われていた釣り場閉鎖がGW中だけ解禁になったからだ。


朝3時起床。5時には現地到着。「休日の釣り」は最初に「場所取り」という大仕事があるのだが、なんとかギリギリで場所確保!

場所は確保できたが、やはり混み混み・・。

風景などあまり堪能することもなく、早々に釣り開始となったのだが、今日は釣果の方が快調だった。一投目から小鯖が釣れた。。


小鯖大漁! 仕掛けを入れると釣れる!

今日は「小鯖デー」のような日だった。海面に魚がいるのが見える。見える所に仕掛けを入れると釣れる!!といった感じだった。周囲の家族連れも大喜び。小さな子が小鯖をバンバン釣っていた。さぞ良い思い出になったのだろう。


私も例外なく釣れた。最初は深い底の方にサビキを落としていたのだが、あまり釣れなかったので、周囲の皆さんの真似をして海面付近で狙い出した途端に釣れ始めた!結局、私は20匹の小鯖が釣れた。

人の目から見えるところ(海面付近)で魚を狙う(そして釣れる)なんてちょっと目から鱗だった。今日は行き当たりばったりで始めてしまったが、次回はしっかり調べて50匹を目指したい。

釣った魚はありがたく天ぷらにしていただいた。

GWで家にいた子供たちも喜んで食べていた。もちろん私も食べたが、極上のウマさだった!繰り返すが、次回は本当に50匹越えを目指したい!


休日釣りのあるある 釣り場の割込み

ところで「休日の釣り」ではどうしても起きてしまう状況なのだが、「狭い所に無理に割り込んで来る輩」がいる。今日は、残念ながらその輩が私の隣に来てしまった。

手を横に広げれば隣の人に接してしまうようなスペースに割り込んで来た‥20代後半~30代前半くらいのおひとり様男子だった。

「マナー」を語ることは好きではないが「あー‥いるよな‥こんなヤツ‥」というのが隣に来てしまった。いい気分はしない。

輩の表情から察するに、自分のやっていることは理解しているようであったが、我を優先したのだろう。自身もいい気分ではないだろう。こーゆー輩のためにGWの良い雰囲気が台無しになってしまう。そうならないように私も完全無視していた。

ところがその輩、相当上級者で小鯖をバンバン釣上げる。腕は見事だった。しばらくして、向こう隣のお年寄りたちが「スゴイねぇ」と声を掛け出した。すると、輩はお年寄りたちに釣り方を教え始めた。

輩が教え始めて間もなく、それまで釣れていなかったお年寄りたちが次々に小鯖を釣上げる。当然、みんな大喜びだった。


我を貫いてサッと引き上げる輩

1~2時間くらいだったろうか。輩はお年寄りたちに釣り方を教え、自分もそこそこ釣ったところで引き上げて行った。お年寄りたちは「楽しかったよ。ありがとうね」と声を掛けていた。

ただ、擦れた考えかも知れないが、輩は「親切に教えた」わけではなく「聞かれたから答えてやった」くらいの感覚でいるように私には思えた。お年寄りたちが声を掛けなければ、至近距離で気まずい雰囲気の漂う釣り場になっていただろう。

良くも悪くも釣りをしていると、こんなこともある。今回もそのようにしたが、これからも、そのような輩にあまり惑わされる事なく、釣りを楽しみたいと思う。


2022年5月1日日曜日

万年ヒラの理由 スイッチを切ってしまった日

会社入社時 私のスイッチが切れた日

今年の4月、私の5年後輩の女の子が管理職に昇進することが分かった。今は別部署で一緒に仕事をすることはないのだが、長年、先輩後輩の間柄で接してきた間柄。4月1日からは私が彼女に敬語で話している。


情けなくも不甲斐なくもあるが、年下に頭を下げる生活になって、もう12、3年になるだろうか‥良くも悪くも慣れてしまった。いつの間にか職場では最年長クラスの万年ヒラである。

原因を挙げればキリがない。40代の頃は何かと会社のせい、人のせいにして来たように思うが、今となっては最大の原因は自分にあるのだと認めざるを得ない。20年前、私が今の会社に入社した時、私は完全に自分の中でスイッチが切れた状態になってしまっていたのだ。


安心感からスイッチ切れに

私は31歳の時に今の会社に中途採用で入社した。

20代は前職に就いていただが、学生時代を含め、10代後半から20代にかけては、完全な「スイッチON」の状態。常に目標を掲げ、それに邁進して進み続けるような生活を送っていた。いくつかの段階を踏み、いくつかの目標を達成し、転職して今の会社に中途で採用された事も「目標達成」のひとつだった。


しかし、今の会社に採用が決まった途端にスイッチが切れてしまった。今思えばそうなのだ。大きな転換点だった。

自分のスキルを伸ばしつつ、次の目標に進み続けられる。比較的安定した会社なので、無理なく焦らずやっていける‥そんな安心感すらあった。人生の大成功に直結できるステージに立てたと感じた。あとは努力次第で目標達成できると思い込んだ。これが逆に自分の中にあった原動力を失わせてしまったのだ。

燃え尽き症候群‥と呼んでいいのだろうか。


20年経ってようやく入ったスイッチ

転職を甘く見ていたところもあった。職種が変わるのに、その職について事前に調べることもなかったし、今までとは全く違う日々の業務‥困難であるのはあたり前なのに、前向きに取り組もうとしなかった。逃げの姿勢が前面に出てしまっていたのである。


これも理由を挙げればキリがないだろうが、最大の原因は自身のスイッチが切れてしまっていたことにある。やる気不足、パワー不足‥誰も助けてくれるわけはない。

あれから20年経ち、今になってようやく自分の中でスイッチがONになったような気がする。20年切れていた気持ちが入った気がするのだ。

それは後輩に先を越されたからではない。万年ヒラで減俸まで喰らってしまったからではない。あくまでも自分。自分の中で何かに気が付いたからだ。


自分の場合は会社を辞めれば転落人生

大して前向きな考えではないが、待遇に不満を持ち、会社を辞めたところで事業を立ち上げるパワーも実力も覚悟もない。収入が途絶え、待っているのは単なる転落人生だ。


ならば今の会社にしがみつき、年下に頭を下げ、どんな陰口をたたかれようと、前向きに頑張ってみよう‥と思った。それが、今の私の原動力なのだ。

今さら遅い。昇進などとも無縁であろう。夢も希望もない。頑張る動機としてはあまりにも低俗‥。なのだろうがそれでもよい。思いがけず、今、私はスイッチが入った状態になっている。

定年退職まであと13年。私の会社人生の後半戦は「ON」で進んで行く。


本当の自由はある 10代の自分の問いに答える

自由ってなんだ 問いかけた10代の自分

卒業・入学、退職・入社シーズンも一段落した。会社では私の所属する部署に新卒で新入社員がひとり加わった。家庭では次男が小学校卒業、中学に入学した。


毎年の事なのだが、このシーズンになると卒業をテーマにした音楽などを思い浮かべることが多い。私の世代でも誰もが知る卒業ソングは多くある。

そんな中で、当時「10代のカリスマ」と呼ばれていたアーティストの事を思い出した。

語ればキリがないが、楽曲の中に「自由」をテーマにしたものが多く、10代の頃の私は、そのカリスマ性に熱狂したものだった。

「自由ってなんだ」「仕組まれた自由」「縛られ続ける人生」

ここまで書けば、誰のことを言っているか分かる方も多いと思う(笑)。


50代となって思う自分なりの本当の自由

心で熱い何かを感じつつも、答えの出ぬまま、自由を見つけることもできぬまま、気付けば35年の月日が流れた。。でも実は、今になって思うようになったことがあった。

結論から先に書けば、

「自由ってあるんだ」

ということだ。


あくまでも持論である。他の方から見れば失笑に値するかもしれない。だから持論の域を越えないのだが、今になって私は自由を感じている。そして、10代の頃に喚いていた「本当の自由」とはこれなのかも知れない‥と感じている。

51歳‥大偉業を成し遂げたわけではない。事業を立上げて成功したわけでもない。会社で昇進を重ね重役に成り上がったわけでもない。万年ヒラである。でも、今、偽りなく「自由を感じられる」と言える自分がいる。


ぽっかり空いた休日の時間

言い方が悪いかも知れないが、振り返れば普通の人生だった。

卒業-入社-転職-結婚-子育て-介護‥


仕事は相変わらず忙しい。常にプレッシャーと時間との戦いである。会社に寝泊まりしたことも、人間関係に悩んだことも何度もある。でも、そんなこんなで25年生き残って来た。

私には子供がふたりいるが、成長し手が掛からなくなって来た。「日曜日はお父さんと遊ぶ」なんて事もなく。私の休暇日を子供のために使うこともほとんどなくなった。

一方で私は母親の見守り・介護を10年以上続けた。「買い物」から始まり、短い期間だったが「在宅介護」も経験したが、一昨年、母が亡くなったことで介護に使う時間もなくなった。今は月命日に墓参りに行っている。


本当の自由は安心感の上にある

子育てや介護に充てていた時間が、そっくりそのまま「空き」となる。平日は仕事で終電に乗って帰ることもあるのだが、休日はホントに休日なのだ。ホントに時間が空くのだ。。

そして‥

ホントの自由ってこれなのかも

と感じる自分がいる


人に言わせれば「大したことやって来てない」と言われるかも知れない「ありきたりの人生」なのかも知れないが‥「これはやっておいた方がいい」「これはやるべきだ」と思えることはすべてやったような気がする。

「達成感」と言えば美化しすぎだろうが、一応、自分の中でやるべきと思えることはできた‥と思える安心感‥。

その上に与えられる「自由な時間」こそが「本当の自由」なのかと。


人生そんなに悪いもんじゃない

今、休日は残った仕事を家ですることもあるが、それ以外は「自由」だ。誰に気兼ねすることもなく、誰にも拘束されず自由に時間を使っている。誰にも文句言われない。


「仕組まれた自由の果て」なのか‥「誰にも相手にされない中年男の負け惜しみ」なのか‥でも、偽りなく「自由を感じられる自分」を実感できていることも事実なのである。

10代の頃の自分へ答えとして、そして、できれば自分の子供たちに伝えられればと思うのだが、上手く伝えられるだろうか‥

人生は、そんなに悪いもんじゃないと。


父命日の墓参り 18年目に思うこと

思い起こすこと18回 父が倒れてから亡くなるまで 昨日が父の命日。毎年の事であるが「倒れた日」の3月14日から「亡くなった日」の19日までは私の中で当時の回想が優先される。特にそうしようと思っているわけではないのだが、頭の中に蘇ってしまうのだ。 今年も例外なく父が倒れたあの日、泣...