あっという間の2ヶ月、いつの間にかの2ヶ月
ブログの更新が約2か月振りとなってしまった。別にサボっていたわけではない。「気付いたら2ヶ月経ってしまった」という感じだ。正直、今日、久し振りに記事を書こうと思ってブログを開いたら、前の記事の日付が6月3日だったことに驚いた。そのくらいコミコミ、バタバタでいろいろあった2ヶ月だったのだ。
なぜそうなのかは、また後日の記事に譲りたいと思うが、とにかく四六時中仕事という状況になってしまった。この辺は倒れる前に改善していきたい。
51歳の誕生日 すべて「なし」の落ち着き
予想していた通りだったが、特に誰からの声掛けもなく。プレゼントなどもなく、文字通り「何もない」誕生日だった。ここ数年来はSNSに登録していた誕生日が「お友達」に通知され、「おめでとうございます」のメッセージが届く・・
ここは「メッセージもらえるだけでも有難い」と考えるべきであろう。
以前はそうであった。直接会うことが難しい昨今、メッセージ交換だけでも有難く、貴重な繋がりでもあるのだ。。でも、そんな「メッセージ」も結局は「年賀状」と同じような状況になる。。。
十数年会わず、連絡を取ることもない関係、そんな中での「誕生日おめでとう」も何度も繰返せば形骸化してしまう。形骸化すれば気持ちも入らない。気持ちも入らないから返信も疎かになり、いつしか途絶える。。かつては頻繁に投稿していたSNSも最近は全く使わなくなった。
そんなこんなで、、今回はSNSのメッセージを見ることもしていない。
そんな誕生日だったが、不思議に落ち着いている自分。周囲から見れば寂しい誕生日なのかも知れないが、どこかでこれでいいと思う自分がいる。
たまたまだったのだが、当日は休暇だった。半日自宅で仕事、午後は部屋の掃除などして静かに普通の1日を過ごした。
二世帯住宅の完全終結 1階と2階の入替え引越し
6月下旬に行ったのだが、引越し業者を呼んでの大掛かりな作業だった。単純に言ってしまえば「家の移動をしない引越し」である。
家族4人は全員それぞれ部屋が入替り、台所、ダイニング、風呂、トイレなどなど、すべての「モノ」を移動する。通常の引越しに比べ「トラックの輸送時間」はないが「荷物を移動した先の部屋にも荷物がある」ので業者のニーチャン達には厄介かもしれない。
引越し業者には「梱包」と「運搬」をしてもらう。それだけでもスタッフ6人で1日掛かりだった。朝9時から始めた作業は16時頃終了、そこで業者は解散だが「荷解き」と整理は家族の仕事となる。当然、その日には終わらないので、数日かけて整理した。
母が本格的に体調を崩し入退院を繰り返していた6年半、ほぼ空家同然だった1階が「稼働再開」となる日でもあった。
まさかの職場異動 必要とされることへの感謝
そして「引越し」後の整理もそろそろ落ち着いてきた7月中旬、まさかの職場異動の連絡が私に入った。「連絡」と書いたが、基本的には業務命令である。拒否する術はない。9月1日付けでの異動だった。
異動先は私が元いた事業所だが今までとは異なる職種。。
ただ、元々私が就いていた職種の知識がかなり活かせる内容の仕事だった。前任者が定年退職したために人員補充として私の名前が挙がったそうだ。いわゆる「専門職」であるため、ウチの管理職連中が得意とする「兼務」をさせることができなかったようだ。
絵にかいたようなリストラ劇で、今の職場で苦手な営業職に就いて7年半。。いつの間にかそんなに月日が経っていた。最近ではようやく自分なりの考えを持って仕事に取り組んだり、営業職として新しい提案を出したりできるようになり、複数の仕事を引継いだりしている矢先‥やっと仕事が軌道に乗り始めて来たところだっただけに驚いたのだ。
異動とは正反対の業務状況、異動とは正反対の精神状態‥であったと私は思っている。そんな状況ではあったが、異動には前向きに取り組むことにした。万年ヒラの減俸五十路オヤジを必要としてくれるところがまだあった・・それだけでも感謝である。
ブログ更新していない間に大きく変わった環境
そんなこんなで、ブログ更新をしていなかったこの2カ月間で、私の生活環境が大きく変わった。特に職場異動は想定外だった。今は何となく・・何とも言えない気分である。それが何なのか・・今の自分には分からない。古巣に戻る安堵感なのか、地を這う想いで身に付けた営業職の仕事を活かせなくなる空虚感なのか、退職の代替に与えられた苦手分野をやり抜いた満足感なのか・・
答えは出ないのであろう。そんなことを言っているうちにスグに9月になるだろう。そして10月には母の一周忌を迎える。