2021年2月28日日曜日

モンスター社員との冷戦激化 なぜか冷静

モンスター社員だらけの職場

ウチの職場には「モンスター社員」が6人いる。長年その職場に居続け、発言力だけは一人前、上司の指示をほとんど受け入れず、気に入った仕事を気に入った量だけやる。いわば「やりたい放題」。さぞ職場の居心地がいいだろう‥。でも昇進するわけでもなく、「モンスター」ゆえになかなか異動もできない(受入れ先がない)。人事の風通しを悪くしている「フン詰り社員」というのがモンスター社員の「私の定義」である。


私が所属する部署には、現在20名程の職員がいるが、そのうちの6人はかなり割合が高いと思う。私もこの歳になるまで「転職」「異動」は何度か経験していくつかの「職場」を見て来ている。どこ職場にも「モンスター社員」はいるモンであるが、せいぜい1、2名いるかいないか‥というところである。今の部署には多過ぎるのでは‥というのが私の実感だ。

まぁそんな「モンスター」にも大人の対応をして行かなければならないのが会社員のキビシイところではあるが、私の中でどうしても手に負えない3人がいる。「モンスター6人」の中でも最も調子に乗っているS雄とK子、そして、まだ若い社員のM輔である。

私の中では前のS雄とK子は「天皇」、M輔は「荒くれ」と呼んでいる。

避けるべきモンスターとの交戦にあえて踏切る

こういう連中については「当たらず触らず近からず遠からず」に問題を起こさずに付き合って行くしかない。コイツらに「礼儀」や「常識」は通用しないからである。私も長年コイツらには「大人の対応」をして来たのだが、ここ数カ月はそれを止めて真っ向「シカト」。廊下ですれ違っても会釈もせず「シカト」。K子は隣に座っているが「シカト」。。


昨日のことだが、私が出社すると、珍しくモンスター同士で朝から話が盛り上がっていた。仕事のミスを上司に注意されたことが気に入らず、その場にいない上司の悪口を叩いていた。このような空気の場合、周囲がモンスター同士の話に加わろうとする。そして、一応「(注意した)上司は悪者、私はモンスターの味方」をアピールする。。そんなことを繰返してモンスターとの「イザコザ」を回避するのだ。

しかし昨日、私は「完全無視」した。「モンスター+周囲の社員」の4,5名の「話の輪」の傍をポケットに手を突っ込んで通ったりもした(その日の作業上、仕方なかったので)。当然、モンスター達はそんな私の態度を敏感に察知しているだろう。。「ケンカを売られた」気分になっていることだろう。私もそれを承知で「シカト」したのだ。

ポケットに手を突っ込んで上司と話す若手社員

そしてもう一人、M輔は私より後にウチの部署に異動して来た。20代の男である。当初は素直で話す機会も多かったのだが、徐々に態度が悪化。今では廊下ですれ違っても挨拶もしない。時には上司の前でポケットに手を突っ込んで話す‥等々の「悪態」が前面に出ているが、上司は注意していないようだ。職場には他に数人管理職がいるが、なぜか「お友達」のようにM輔に接する。。要はコイツも「モンスター」なのだ。


ちなみに私は数年前、M輔のあまりの悪態にキレて注意したことがあった。当時は素直に聞き入れ、一旦態度は良くなったが、数年で元に戻ってしまった感じだ。まだ若い男なので「天皇」にはあまりしたくない。将来ある身なので教育し直せば立ち直るようにも思える‥なので私としては「天皇」ではなく今のところは「荒くれ」と呼んでいる。

ただ、日々の悪態に大人の対応をすることには疲れたので、コイツにも今は「冷戦対応」というか「ケンカ対応」をしている。「完全シカト」だけでなく「廊下ですれ違う時は睨みつける」である。M輔の悪態はそのくらいしないと釣合が取れないくらい尖ったモノなのだ。コイツは「人の好き嫌い」がかなり激しいようで、一旦「嫌い」になると態度が明白になるタイプの人間で「お気に入りの人」には本当に普通に話している。。特にキレイな女子社員とか‥。

職場ではM輔の悪評はかなり耳にする。これはM輔がまだ若手だからである。「天皇」にはなり切れず敵だけが出来てしまう‥。まぁ私も敵の一人だが‥。

戦えど私は案外冷静 少なくなった職場ストレス

昨日の土曜出勤。人影まばらな職場、在宅勤務導入でさらに人は少なく‥そんな中に昨日はたまたま「二人の天皇」と「M輔」がいた。なんという濃い高い職場‥。私は長年「社会人としての常識」というよりも「イザコザに巻き込まれたくない」という気持ちの方が強く、「モンスター」と思える連中には「大人の対応」をして来た。そしてそれが少なからず「会社でのストレス」の大きな割合を占めていることも理解していた。

上にも書いたが、今の職場にはそういった「モンスター」が多過ぎて、日々気遣いし過ぎることに疑問を感じていた。そして昨年の後半くらいから「なんでコイツ(モンスターたち)らのために神経尖らせる必要があるんだ‥」と思うようになり、たぶん今までの鬱積が手伝う部分もあるのだろう、強烈な怒りすら感じるようになった。


今はその「怒り」が支えになっている。仮にS雄やM輔が殴り掛かって来ても、負けはしないだろう(まぁ勝ちもしないだろうが‥笑)。‥いや「勝ち負け」ではなく「手が出る状況」になったとしても精神的に折れることはないだろう‥と思えるのである。それは「怒り」が強いからである。

長年「敵対はストレス」であると思い、戦うことを避けて来た結果、ストレスを抱え込んでいたように思える。しかし翻ってモンスター達といざ戦ってみると、案外ストレスは少ない。。妙な言い方なのだが、今は職場に行って連中を睨みつけたりシカトすることに愉快さを感じる程だ。これは今まで経験した事のないおかしな感覚である。結構冷静なのである。

そうはいっても、S雄、K子、M輔の他にもモンスターは多く、以前記事にした「M子」も例外ではない。「敵ばかりの職場」になりつつある事には変わりないのだ。ただ、M子はここ数日私に対しての態度を改め始めた。M子自身に別に新たなイザコザが発生したからのようだが‥

あーなんだか虚しくもあるが‥敵ばかり作っても仕方がない。当面はS雄K子M輔とは戦うことになるだろうから、今はM子は味方にしておいた方がイイのだろう。こうやって職場を生き抜いていく‥サラリーマンの平社員もラクではない。。


2021年2月20日土曜日

遺品整理も最終段階 思い出の品々を供養に出す

葬儀屋さんの遺品供養サービス

今日は葬儀屋さんから購入した「遺品整理用ケース」に遺品を入れた。「遺品整理用ケース」は「小」が8,000円、「大」が15,000円。ケースに遺品を入れて葬儀屋さんに連絡すると引き取りに来てくれる。そして供養した後に焼いてくれる。最後に「供養証明書」なるものまで発行される。


亡くなった方が大事にしていたものを「捨てる」のは心苦しい‥かといって未来永劫タンスや押入れに保存しておくわけにも行かない。そんな事情を踏まえ、遺族の心の負担やストレスにならないように行われているサービスが「遺品整理」である。

有難いサービスである。ただ‥費用がちょっと高いかな。。

今日はこの「遺品を供養してくれる」ことの有難さが身に染みて実感された。今日「ケース」に入れた品々は、本当に「捨てる」や「処分する」という表現をしたくないモノばかりだったからである。

手紙、年賀状、アルバム、指輪、ネックレス、五月人形(私の節句ためのモノ)‥アルバムには父や母だけでなく、私の幼いころの写真や結婚式の時の写真、孫(私の子供)の写真などなど‥どのようなタイミングであっても、通常は「保管」と判断するモノばかり‥でも今日は腹を括ってすべて「遺品整理用ケース」に入れた。

母のモノを処分することへの葛藤

思えば母の体調が本格的に悪化したのが7年前。入院した母が暮らしていた二世帯住宅の一階部分の「掃除」を始めた。最初は「台所」と「冷蔵庫の中」だった。以降、病院の入退院の繰返し、介護施設の入出所を繰返す年月‥母の体調など鑑みながら「もはや使わないであろう電化製品」や「洋服」は少しずつ処分していった。


最も多くの「モノ」を処分したのは「令和」の元号に代わった年のゴールデンウィーク。10連休を使って多くのモノを処分した。

この時もかなりの葛藤があった。既に入院生活が長期化、歩くこともほぼできず、認知症も進行しており「自宅に戻って今まで通りの生活」はほとんど現実的ではなかった。しかし、その時点で既に4年以上、空家同然になっていた一階。このまま長く放置することがこの家を建てた父母の本意なのかどうか‥それとも私たち家族(私と家内と子供たち)が使うべきか‥でもそれは母が元気を取り戻して家に帰れる状況になった時、母の「戻る場所」を奪ってしまう事にならないか‥。

最期に母が使ってくれた「母の部屋」

結局、母の介護に必要なモノだけを残し、一階部分の「母の部屋」は私が使い、母が戻ってきたらすぐに私が移動できるようにして一階部分の使用を始めた。

そしてその一年半後、母は「家に帰れる状況」になった。私は慌てることなく母を自宅に戻す事ができた。ただ、その時母は歩くことも出来ず、話をすることも目を開けることもなく、5日間「母の部屋」で横になり、ゆっくり休んだ後にまた出て行ってしまった。

しかし、最期に「母の部屋」が役立ち、長く母の居場所を確保し続けたことを今は後悔していない。

そんな経緯があってか、最後の遺品整理は案外早く終わった。母が亡くなってから四カ月。葬儀、告別式、入院費の清算、親戚への挨拶、銀行、保険、相続関係の手続き等々、これですべての「やること」が終わった。あとは位牌と遺骨を大切に守り、十五年前に亡くなった父と共に末永く母の供養を続けて行くこと‥かな。

一昨日が2月の月命日であった。明日は墓参りに行こうと思う。


2021年2月14日日曜日

礼節を欠く者に礼節を尽くすストレスほど苦痛なものはない

会社で不要なストレスを溜め込まないために

会社にはいろいろな「ストレス」がある。上司からのストレス。新しい仕事に取り組む時のストレス。疲れから感じるストレス。売上が上がらない時のストレス‥数えればキリがないが、一般的にはストレスの大部分は「人的要因」からくるものがほとんどではないか‥と私は思っている。


上に挙げた中でも「上司からの‥」は人的要因に入るが、私自身はあまり苦になっていない。これは決して「今の上司が優しい」わけではなく、むしろ厳しいことを言われる毎日である。しかし、基本的に上司は部下の能力を上げるために「厳しい指導」をする。「能力」というものは「負荷」をかけないとなかなか向上するモノではないので、会社では「部下への負荷の与え役が上司」と私は理解している。そうしないと「会社の継続性」が失われるからだ。

ちなみに世に「セクハラ」「パワハラ」なる言葉もある。自分に対する上司の接し方をそんな風に感じてしまうようなら、迷わず「上司の上司」に相談しよう。上司が管理職でなく「先輩」とかなら課長に、上司が課長ならその上の部長に、上司が部長なら取締役に‥である。とにかく会社では「ストレス」を抱え込んだら危険である。

「下輩にも礼節」で大人の対応をするのが社会人

私が職場で一番ストレスを感じるのは、表題にも書いたが「下輩にも礼節をもって接しなければならない」部分である。


「下輩」を少し詳しく書くと「礼儀知らず」、「ワガママ」、「バ〇」である。「礼儀知らず」は職場ですれ違っても挨拶もしない。上司、先輩にもタメ口であるような輩。「ワガママ」は気に入った仕事しかしない。職場のルールは基本的にはオレには適用外‥という体でいる輩。「バ〇」はホントに仕事ができない。。それが本当に自身の能力であれば仕方ないが、努力した形跡もなく「できなくて仕方ない」をあたり前と思っている風な輩。

私は数年前に他部門から異動して来たこともあり、こういった輩にも「新入り」として礼節をもって接しなければならない状況があった。仕事というより、そちらのストレスが大半だった。被害妄想かも知れないが、ウチの部署は上記のような輩の巣窟のような気がしている。そんな連中ばかり。。異動して来て今年で丸7年になるが、よく耐え忍んできたように思う。

「下輩にも礼節」を止めたらストレスが激減した

この7年の間に私から見て「まとも」と思われる2人が数年前に他部署に異動している。その2人は私と同様、上記の「輩」たちより後にウチの部署に来た方々だ。ウチの部署は今、明らかに「後から入った順に離れていく」傾向が強い「非循環型」が常態化している。


残っているのは長くその仕事に携わっているにもかかわらず昇進するわけでもない化石のようなメンバー。私も「後から配属になった身分」なのでコイツらに「礼節をもって接する」立場を取っていたのだが、仕事においても人間性においてもリスペクトできない輩に頭を下げるほどストレスを感じることはない‥

なので最近、こいつらに頭を下げることを止めた。

当然、「敵対関係」となったが不思議なことにストレスは激減。「社会人なのだから、大人なのだから、当り障りない大人の対応」に拘り、ストレスを溜め込むのであれば、いっそこちらも「ワガママ」「バ〇」と同じ対応を‥と思って始めたのだ。。

最近、トラブル関係となっているM子にも同様に対応した。M子は「後輩」で「強度のアニメオタク」「中度の礼儀知らず」「アラサー」であるが「後輩」であることを理由に私としては多少の非礼は「大人の対応」で接して来た‥しかしこれも止めた。

会社なので仕事上の関係を断裂するわけには行かない。それをしてしまうと上司が絡んできて結果的に私が悪者になってしまう。なので「仕事上の関係は温存しておいて、人的関係は冷却する」のである。日常的にはM子と絡む仕事はしっかりこなすが、仕事外での雑談などは一切しない。挨拶などは最小限‥当然こちらから話し掛けるなど皆無‥要は「優しく接する」「礼節をもって接する」ことを止めたのだ。

無駄なストレスを排除する自己防衛策

まだ、30代のM子に50歳オヤジがそのように接するのは全く大人気ない。男らしくもないかも知れない。しかし、そんな気高い志に捉われストレスを溜め込み、頭や胸を痛めて倒れては本末転倒である。


事実、昨年ウチの職場では「脳梗塞」で1名、「心筋梗塞」で1名、私と同じくらいの年齢の職員が倒れた。後者は課長だった。そりゃ「礼節」だけのストレスではないだろうが、倒れる一因にはなっているだろう。そして上述した「輩」たちはのうのうと何食わぬ顔で職場に居座っている‥。

まぁ、いくら「下輩」相手だったとしても、こんな非礼を続けていれば最後には地獄に落ちるかも知れないが‥礼節の通じない下輩相手に「いつかは分かってくれる時が来る」などと期待するのではなく、「目には目を」「下輩には下輩の」方法で生き抜いていく‥そうやって無駄なストレスを排除している今日この頃である。


2021年2月11日木曜日

暴走するアラサーオタクM子 もはや人格倒壊か

M子の暴走 アタシとっても忙しいんです‥

以前このブログでも記事にしたアラサーオタクM子が暴走し始めている。仕事のパートナーだった先輩社員Nさんが倒れ、一人ぼっちになって以来「私は大変」「私は被害者」と言わんばかりにあちこちに自分の仕事を振りまくっている。。


Nさんが頭に関わる疾患で休業してからそろそろ半年。パートナーが倒れたにも関わらず、人員補充されないことが相当に不満らしく、あたり前のように周囲に仕事を振りまくり‥数カ月前に私にも、とある仕事を引継がせた。

しかし、仕事中にネットサーフィンをしているのは‥もはや知らない者はいない。「コイツホントに忙しいんだろうか‥」そんな空気が職場内に蔓延。それを察しての事なのか知る由もないが、最近のM子は開き直っていると言うか‥キレやすくなっていると言うか‥。「アタシ大変なんですアピール」が顕著である。

そして、巡り巡ってまた新たな仕事を私に振りかけて来た。

今度は強引なプロジェクトの丸投げ

今度は前回のような「単純な一業務」ではなく、簡単に言えば「M子が抱えているプロジェクトそのものを引継げ」という話だった。ウチの会社は複数の部門が共同で行う「プロジェクトチーム」が多く編成されている。私も現状2つのチームを抱えているのだが、M子のモノを引き受ければ3つのプロジェクトを抱えることになる。


M子は課長に相当ゴネたのだろう。2月のこんな中途半端な時期に「プロジェクトの引継ぎ」なんてあり得ない(通常は4月や10月)。。Nさんの急病という非常時であるから‥ということで私自身も少々無理に納得して急な引継ぎを引き受けることにした。さすがに課長からも直々に話があり、私の業務量も調整してもらって、私自身も「これなら行ける」と考えていたのだが‥。


M子の悪態が止まない。。。


急な引継ぎなので「いきなり全部」を引継ぐことは難しい。。でもM子は「どうしても全部引き受けてほしい」という態度がアリアリ‥ここに摩擦が生まれる。

「全部引継ぎ、早急に取り掛かってほしい仕事がいくつかある」

「私(M子)から説明はするが、分らないことは他のプロジェクトメンバーから聞け」

「他のメンバーが行っている仕事で遅れがあればどんどん催促せよ」

‥これらをキレ気味に‥というかほとんどキレた感じで私に説明する。私の質問など聞こうとしない。。要は「早く全部説明して自分は解放されたい‥」そんな態度。普通なら「急な仕事は私(M子)の方でやるので、少しずつ引き継いでほしい」が本筋である。M子の態度は完全に真逆でしかも強引だ。。

もはや人格倒壊 妙な勢いにぶつかるのは避ける

こちらは協力しようとしているのだが‥M子にはそれが伝わっていない。。もはや「自分(M子)が急場から早く逃れたい」そんな意識しかないようだ。。

もはやモラルの倒壊‥人格の倒壊‥のように感じる。


私もいい気分ではなかった。むしろムカついた。ここで反撃することは簡単かと思ったが、私が反撃すればもはやM子は精神的に破滅しそうな勢いだった。そのくらいM子は強引で、そのくらい場は険悪だった。なので私はM子の説明を黙って聞いていた。

そしてM子は言うだけ言って帰って行った。

今日は祝日で1日休み。明日はM子から引継いだプロジェクトの定例会議がある日で、一応M子が進行役を行う事になっている。私とM子の雰囲気は険悪なままである。明日、M子がどういう態度に出て来るか興味はあるが、どう出てこようと私は静観しようと思っている。私の感じている「ムカつき」の感情に任せてM子に反撃することが得策のように思えないからだ。妙な「勢い」にぶつかるのは避けようと考えた。

いざという時に協力を得られない悲しさ

「忙しい」と言いながら仕事中にネットサーフィンをやっているM子‥そんなことでNさん急病の緊急時であっても周囲の協力を得られない。。「身から出た錆」「自業自得」の結果である。できれば私も関わりを持ちなくないが、会社組織上、課長から引継ぎ指示が出た以上、M子に反撃しても自分が損するだけである。


ちなみに、その課長も「引継ぎ指示の打合せ」を行って以降はほとんど介入してこない。M子には「サジ投げ」しているように見受けられる。「(業務の)詳細はすべてM子が説明して引継ぎを進めろ」という感じだ。非常時の管理職の対応ではない。もはや「(M子)の勝手にしてくれ」という感じである。

急なプロジェクトの引継ぎ。早急に仕事に取り掛かれ。説明はするが質問は受けない。そして何より悪態の連続‥こんな張り詰めた行動をいつまで続けるか‥私はあくまでも「前向きに引継ぎに取り組む」という表の顔を通して、M子の独り相撲をただ黙って見ていようと思う。当然、水面下では協力的な態度は取らない。

何故なら、もうM子に協力しようという気持ちは失せた。そしてM子に頼らなくても引き継いだプロジェクトは継続して行けると思えるからである。

M子へ 倒れるまで一人でわめいてろ!

もう助けない。


2021年2月6日土曜日

遺品整理 一番手を付け難いタンスの引き出しを開けた

本格的に遺品整理を開始

母が亡くなって3カ月が過ぎ、昨日、お願いしていた司法書士さんから自宅と土地の相続登記が終了した旨の連絡が来た。


「自分でもできる」などとも言われるが、いろいろ調べてみると、やっぱり難しい‥法律の素人が仕事の休暇を利用してやるようなもんじゃない‥と判断。結局プロに相談したのだが、総額20万くらいのお金を払う価値はあった。ホントに楽チンで1ヶ月程で手続き完了。母が亡くなったことで必要になった様々な手続きの大きな山場を越えた感じである。

なので、今日からは遺品整理を本格的に始めた。

遺品供養 大切にしていたモノは処分できない

当然の事ながら76年間生きて来たのだから、母の所有物は膨大である。‥というか二世帯住宅の「一世帯分」なのだから「整理」というよりも「処分」と言う方がニュアンスは近いかも知れない。


思えば母が脳梗塞で入院した6年前、最初に処分したのは「食べ物」だった。当然の事ながら放置しておけば腐敗するからである。それ以降は「健康に戻れば‥」という可能性を信じて「処分」は捗らなかった。結果論ではあるが、母が暮らしていた二世帯住宅の一階は6年間空家同然となっていた。

遺品整理で一番悩ましいのは、「母が大事にしていたであろうモノ」の扱いである。写真、日記、年賀状や手紙、旅先で買ったのであろう記念品、人形、洋服、賞状‥これらを一般のゴミと一緒に処分することは心情的に無理がある‥しかし、そう広くない自宅の中に保管しておくのも難しい。

なので、少々費用は発生するが、霊園や葬儀屋さんで行っている「遺品供養」や「人形供養」を利用している。所定の入れ物や段ボールに遺品を入れてお願いすると、有料で供養して燃やしてくれるのだ。私の利用している葬儀屋さんの「遺品供養」では証明書まで発行してくれる。「処分」するのではなく「供養」して燃やしてもらうと思うと精神的負担がかなり軽くなる。有料とはいえ有難いことである。遺品供養の事を知ってからは、整理がかなり捗るようになった。

半世紀 保管されていた着物 整理する宿命

そして、今日、一番手を付け難いと思っていた、とあるタンスに手を付けた。

引き出し数段を使って「着物」がたくさん保管されていたタンスである。このタンスの存在は幼少の頃から知っていた。他のタンスと違い、防腐剤が多く入っておりナフタリンの強い臭いがする。。幼少の頃から「ここには相当大切な着物が入っている」と感じていたが、実際に中身を出して見たのは今日が初めてだった。


女性物の着物しか入っていないと思っていたのだが、中をすべて出して見ると男性物の着物もあった。さらに私の祖父の名前が入った着物もあった。そこで何となく察しが付いた。これらの着物は父と母の結婚式の時に使われたモノなのかな‥と。

ただ、私自身の結婚式の時には、母は着物は来ていなかったし、それ以外の慶事でも母が着物を着ていた記憶がない。恐らく父と母の結婚式の後は一度も使われていないようである。‥とすると50年以上‥半世紀このタンスの中で眠っていた着物‥驚くわけでも涙が出るわけでもないが‥表現し難い重い感慨が浮かぶ‥。これを「整理」しなければならないのも「宿命」なのだろう‥。

タンスや押入れから出した遺品は、部屋の片隅に並べているのだが、結構な量になって来た。そろそろ葬儀屋さんに供養をお願いしようと考えている。「(母のモノは)もう使わないからみんな処分」と割り切ってしまえば、どんなに早く終わるだろうと思うが、それはできない。遺品整理はまだまだ続く。。


父命日の墓参り 18年目に思うこと

思い起こすこと18回 父が倒れてから亡くなるまで 昨日が父の命日。毎年の事であるが「倒れた日」の3月14日から「亡くなった日」の19日までは私の中で当時の回想が優先される。特にそうしようと思っているわけではないのだが、頭の中に蘇ってしまうのだ。 今年も例外なく父が倒れたあの日、泣...