2022年9月15日木曜日

罹患後初めて行って来た やっぱり釣りはおもしろい

リハビリも兼ねて釣り実行!

減塩・禁煙・水分補給・食事改善・野菜、果物接種などなど新しい試みを始めたばかりであるが、釣りに関しては「やめる」の考えが頭をよぎる。海釣りを始めて2年。冬場は冷たい風に1日中晒されることもあれば、夏は熱中症になることもあった。気候に左右され血圧に影響を与える要因が多いのだ。


でも結局今日は釣りに行った。葛藤は多かったが、釣りに行かなければ何だかモヤモヤした感じが払拭できない。釣りに行けることが仕事中のモチベーションに繋がったりすることもある。やっぱり釣りが好きなのだ。。病気になってもこれなのだから、釣り好きは本物なのであろう。腕前は別だが。。(汗)

ただ、都合よく言えば「リハビリ」も兼ねての釣りであると言うこともできる。暑さ寒さ対策はこれまで以上にしっかり対応しながら、身体の続く限り釣りは続けて行きたい。


なるべく避けたい非日常の高揚感

少し気になったのは、今日は血圧が昨日より上がっていたことだ。罹患後下がり続けていたのだが、今日は明らかに上がっていた。起床時から身体が高揚していることは何となく感じていた。「これから釣りに行くぞ」と思っているからなのだろうか。。


出勤日より30分だけ早く4時30分起床。これも血圧対策のひとつだった。最近は4時起床して釣り・・が標準だったが、一時は3時起床なんてこともやっていた。身体にムリがあるなんて明らか・・でも朝まずめの時間にはなんとか間に合いたい・・そんな考えもあって4時30分起床にしたのだが、早朝釣りは避けた方がいいのか。。。ウーン考え物である。

また、車の中や釣り場で食べていた朝食は、今日は自宅で食べた。薬を飲むためでもあり、減塩対策でもあった。起床後、朝食後、釣りの準備中、運転中、常に気持ちは腹の血管へ・・考えても仕方ないのだが・・今週から職場復帰して3日間特に異常なかったのだから大丈夫と思いながらも常に神経は腹に行く・・当面は仕方ないのか、こう思う気持ちが大事なのか、もうよくわからん。


あ、釣り竿忘れた!

そんなこんなで釣り場に着き、準備を始めた時に気付いたのだが。。。


釣り竿を忘れた。。。。。

バーベキューに行って炭を忘れるようなものか。野球するのにバットを忘れるようなものか。いずれにしても、どーしよーもない状況である。。仕方がないので釣り場のそばにある釣具店に行き一番安い竿を買った。釣具店のご主人が「よくある事ですよ。道具箱を忘れるなんて人もいますよ。」なんて言ってフォローしてくれた。


ヒイラギを始めて釣った 煮付けに挑戦

今日の釣果はヒイラギが5匹だった。ヒイラギを釣ったのは初めてだったのだが、4匹は2cmほどの稚魚だったのでリリースしてしまい、10㎝程のものだけ持ち帰った。


ところが後で調べてみると、ヒイラギはそもそもそれほど大きな魚ではなく、2cmほどのモノでも天ぷらにして食べることも多いそうで、竿忘れに続いてやっちまった気分となった出来事だった。

まぁ、釣り自体はやや低調だったが、天気は曇りで少し寒いくらいの感じだったので気候は悪くなかったし、ここ数週間は本当にいろいろな事があったので、しっかり気分転換も出来た。

たまたまなのであるが、明後日から3連休なので、ヒイラギは煮付けに挑戦してみようと思う。釣りから帰って今のところ体調も問題ない。リハビリとしても良かったのだと思う。

罹患後の釣り。こんな感じだった。

これからは寒くなるシーズンになるが、身体に気を付けてなるべくたくさん釣りに行きたいと思った。


2022年9月7日水曜日

日々の生活への感謝と亡き父からの警告

人生初の救急搬送から10日

人生で初めて自分が救急車で運ばれてから10日ほど経つ。


在宅勤務をしながら自宅での療養。腹部の痛みは日に日に弱くなっているように感じるし、血圧も処方された降圧剤の効果もあり順調に下降している。10日の再検査では是非とも良い結果が出ることを望みたい。

ただ、例え今回十分に回復したとしても、病気と付き合って行くことを避けることはできないだろう。これは年齢によるものである。いわば宿命のようなモノである。


まだ死にたくない もう少し生きていたい

あの痛みを経験して率直に思うのは、やはり「まだ生きたい」「今死にたくない」である。


イキがって「もう人生に悔いなどない。いつでも死んでやる」なんて間違っても口にできない。あの痛みを経験して、自分自身まだ死を受け入れる程の覚悟が出来ていないことを十分に悟った。正直、死ぬのは怖い。

死そのものに対してだけでなく、家族のことを考えると、怖さは増大する。まだ早い。今はまだ死ねない・・。そんなことを考えてしまうと気分は下がる一方であるが、あの痛みは、そんなことを考えさせるのに十分だった。


そう、まだもう少し生きていたい。


毎日生きられることへの感謝

今までの人生の中でも、時折こんな言葉を耳にすることがあった。何の興味も感慨もなく、眉唾な印象さえ感じるような言葉・・


しかし今回の経験で、この言葉の意味を思い知らされた。今は思う、毎朝目が覚めた時、食事をする時、夜眠る時、仕事をしている時でさえ、感謝の念が湧く。。

今まであたり前に迎えられていた日々。あたり前に朝起き、あたり前に食事をしてあたり前に仕事をする。あたり前に風呂に入ってあたり前に眠る。大袈裟かも知れないが、命の危機を感じた瞬間に、そのあたり前が「あたり前ではない」ことに気付かされた。

毎日が無事に送られていること、食事ができること、仕事ができること、命が続いていること、すべてに感謝の念が湧く。


そろそろ気を付けろ 父親からの命の警告

20年以上身体の疾患と戦いながら亡くなった母とは逆に、私の父はある日突然倒れて一週間後に亡くなった。脳内出血が原因だった。頭の血管が切れて病院へ救急搬送されたが、搬送された時点で既に手遅れだった。


私は幼少の頃から容姿だけでなく体質も父親似であると母親や親戚からよく言われていた。そんなこともあり、歳を取れば私も父親と同じような疾患を患うのだろうという予感はしていた。

父親は67歳だったが、私は52歳・・。ちょっと早すぎるのでは・・などとも思ったが、一方でこんなことを感じた。


父親からの警告


「お前も気を付けなければオレのようになる。」


父親が私の腹の血管を少し切って警告のサインを出してくれたのかも知れない。頭の血管が切れれば、即救急車で運ばれても手遅れになりかねないのだから・・父親のように。


「オレみたいにならないよう今から気を付けろ」


そんなメッセージであると前向きに受け取って病気と付き合って行こうと思うのだ。


長生きするために。


2022年9月6日火曜日

上腸間膜動脈解離 自分自身が命と向き合う日

突然の腹痛 激しい痛み 駅員さんに頼る

とうとう来たな・・。

いずれは私にも来るだろうと思っていた日。自分ではコントロールできない痛みや苦痛に襲われる日。少し早いような気もしたけれど・・ついに来てしまった。


8月29日。会社帰りの駅のホームで突然の腹痛。腹のど真ん中がキリキリ痛む。結構痛い。最初はすぐに止むだろうと気にも留めていなかったが、痛みは強くなる一方。ベンチに座っても、トイレに駆け込んでも一向に止まない。痛みは増すばかり・・。

最後は駅員室を頼り救急車を呼んでもらった。

時世を反映していた。搬送先病院が決まるまで救急隊のは7~8件の病院に断られていたようだ。救急車に収容されてから出発まで小1時間経過していたように感じる。


上腸間膜動脈解離 血管にヒビが入って出血

救急搬送された病院で1日だけ入院。痛み止めで抑えて様子を見る方針だったが、結局退院後の翌日に痛みが再発。近所のクリニックに駆け込み再検査。次の日さらにクリニックから総合病院で再々検査。


そして、痛みの原因が分かった。「上腸間膜動脈解離」。胃部付近を流れる血管(動脈)が裂ける疾患だそうだ。

医師の話によると、本当に裂ければ大量の出血を伴い緊急手術を必要とするそうだが、私の場合は「少しヒビのような亀裂」が入り、「少量の出血があるが今は止まっているようだ」とのことで、一週間後に再検査となった。再再々検査だ(汗)。

医師からは再検査までの一週間は再解離を防ぐために安静。入院することが一番安心だとの話があったが、入院中、特に治療をするわけでもなく、再解離しないように安静にするだけ・・とのことだったので、在宅勤務を条件に自宅療養させてもらうことにした。この時点で既に4日会社を休んでいた。急な疾患とはいえ、おいそれと長期休暇などしていられない・・そんな考えもあった。


歳だから・・がとうとう具現化

痛みは落ち着き。ここ2、3日は在宅勤務をしている。今日は休暇。釣りにでも行きたいところだが絶対ムリ。安静にするだけである。


「少しヒビ・・」だけで救急車を呼ぶほどの痛みだったのだ。本当に「裂けて」しまったら、恐らく意識を保っていられないのであろう。そのまま命を失う可能性だってある。そんな危機感が私の行動を強く制限する。

最初の痛みは駅のホームを普通に歩いている時に起こった。何か特別に無理な動きや急な運動をしたわけではないのだ・・ということは、安静にしている今だって、次の瞬間、スマホを見ようと腕を挙げた瞬間にも痛みが起こる可能性も否定できない。心配を廻らせればキリがないのだ。

この疾患は罹患例が少なく、原因がよく分かっていないらしい。ただ、罹患者は50~60歳の男性がほとんどで、加齢・ストレス・疲れ・高血圧などが重なって突発的に起こる・・という見方が一般的なようだ。私はドンピシャの年齢である。要は「歳でとうとう身体にガタが来た」のだ。とうとう「ガタ」が具現化してしまった。


絶望的な事か?それとも普通の事か?

例え今回最もよく回復したとしても一度入ったヒビはいつまでも残るのだろうか。当然、ヒビの入った部分は弱くなるだろうから、またそこが裂ける可能性はないのか。そして血管なんて身体中にあるのだから、他の血管が裂ける事だってあるだろう。。


大げさに言えばいつ爆発するか分からない爆弾を身体の中に抱えてしまったわけだ。絶望的な気持ちにもなるが、私ももう52歳。。そんな歳なのだ。身体は弱って来てあたり前。病気の一つや二つはあたり前。付き合いながら生きていく・・これが普通なのだろう。


病気を受入れ、病気と付き合って生きていく。


あと何年生きられるのだろう。できればもう少し長く生きていたい。


今、厳粛な気持ちである。


父命日の墓参り 18年目に思うこと

思い起こすこと18回 父が倒れてから亡くなるまで 昨日が父の命日。毎年の事であるが「倒れた日」の3月14日から「亡くなった日」の19日までは私の中で当時の回想が優先される。特にそうしようと思っているわけではないのだが、頭の中に蘇ってしまうのだ。 今年も例外なく父が倒れたあの日、泣...