冷たい目線に浸かった日常
いつからだろう。こんな目線を日常的に受けるようになったのは。気付けばもう慣れてしまっているようだ。
今の職場では左の座席には同期の上司Y、右の座席には人見知りアラフォー女のT。共に違う理由でだが私には態度が冷たい。他の人には和気あいあいと親しく話すが、私に対すると態度が一変する。やってる方は気付いているのかどうか知る術もないが、やられている方は結構キツイ。直接何か言われるわけでもないのに、そんな空気を感じるだけでもストレスになるのだ。そんな二人に挟まれての今の座席。。あーしんどい。
慣れてはいるが心はヘコむ 冷たい戦い
でも、そんな空気にはもう慣れてしまっている。別に会社で友達を作ろうとも思わない。親しく話してくれる人だけと話はすればいい。ここ数年はそんな感じで職場にいる。敵が増えるばかりだ。
最近は家でもそんな感じだ。
夫婦関係が完全に倒壊している家内とはコミュニケーションなし。成長した子供たちは、今のところ「おとうさんウザイ」という年頃。理由は違えども家族全員、私に対しての目線は冷たい。
冷めた目、冷えた目、冷たい目。毎日・・毎日である。そんな目線にどっぷり浸かっての日常。慣れているとはいえ結構ヘコむ。
大物職員のお別れ会
そんな日常の中で、昨日、事業所内の大物職員の「お別れ会」があった。本来なら大々的に送別会となるところだが、感染症の影響で簡単な挨拶と花束贈呈のみとなった。仕方のない事である。
そんな事情で、昨日KとMという職員が東京事業所から「お別れ会」に参加した。「会」とはいっても本当に挨拶程度の5分程度ものである。そのために1時間以上かけてやってきたのだから恩義の感じ方はハンパでないのだろう。
弾まない会話 動きのない表情
KとMは部署こそ違ったが、私と同世代で私と同様に横浜から東京事業所に異動した職員である。横浜時代からの面識で、東京にいても挨拶程度ではあったが、親しい感じで話をすることもあった。昨日はそんな感じで・・久し振りに親しい会話が交わせるのだろう・・などと思っていたのだが・・。
「お久しぶりです」「お元気ですか」
二人とも年下だが、既に管理職のKとMには敬語で話す。それでも親しい返事を期待して二人に挨拶したのだが。
「・・・・・」
弾まない会話。動きのない表情。冷めた目、冷えた目、冷たい目。。。
2、3分と会話は続かなかった。「久しぶり」トークなど皆無。何の話をしたのかよく覚えていない。止まった空気感と気まずさだけが残る後味の悪い終わり方。。。
これは堪えた。
これはヘコんだ。
建前なのか感情なのか 思いがけず走った衝撃
思えば二人も管理職。ウチの会社だけではないだろうが、管理職は社員育成の建前があり、あまり一般職と「お友達関係」にはなりたがらない傾向がある。今の上司Yもそんな調子だ。かつては同期生として親しく付き合ったが、今は上司と部下。組織の建前を通した付合いになってしまっている。隣の席にいて仕事の話以外はほとんどしない。でもそれは会社組織上仕方のない事だとわきまえているつもりである。
KもMもそうだったのかも知れない。直属ではないにせよ、管理職である。万年ヒラの私に甘い顔はできないのかも知れない。
でも今日は「恩義のある人のお別れ会」である。そんな日にそんな組織論を持込まなくてもよいのでは・・そんな風にも思ったのだが、他方で私なんぞと親しく話しても何のメリットもない。老害ジジイと関わりたくもない・・そんな個人の感情を反映しての態度だったのかも知れない・・などと勘ぐってしまう自分がいた。
いずれにいても強くヘコんだ。
胸が痛い 強いストレスを感じたが
私は強いストレスを感じると胸の中心あたりに痛みを感じるのだが、昨日はその痛みを感じた。身体まで反応するような出来事だったようだ。長年、他部署にいながら比較的親しく言葉を交わしてくれていたKとMだったが残念だった。本当に残念だった。
ただ、一方で親しい会話に期待する・・そんな純粋な気持ちをまだ持っていたのかという小さな発見もあった。まだまだ私も捨てたモンじゃないかな。。。
冷えた目に囲まれる日常。でも、案外ストレスなど大して感じていないのかも知れない。なぜなら、月日の流れを早く感じるからだ。横浜から東京に異動して8年。戻って来てそろそろ1年になる。早かった。本当に早かった。もはや会社ではいい事などない。下を見て息を止めて目を閉じて生きているような毎日かも知れないが、案外充実しているのかも知れない。