2022年7月30日土曜日

冷めた目 冷えた目 冷たい目

冷たい目線に浸かった日常

いつからだろう。こんな目線を日常的に受けるようになったのは。気付けばもう慣れてしまっているようだ。


今の職場では左の座席には同期の上司Y、右の座席には人見知りアラフォー女のT。共に違う理由でだが私には態度が冷たい。他の人には和気あいあいと親しく話すが、私に対すると態度が一変する。やってる方は気付いているのかどうか知る術もないが、やられている方は結構キツイ。直接何か言われるわけでもないのに、そんな空気を感じるだけでもストレスになるのだ。そんな二人に挟まれての今の座席。。あーしんどい。


慣れてはいるが心はヘコむ 冷たい戦い

でも、そんな空気にはもう慣れてしまっている。別に会社で友達を作ろうとも思わない。親しく話してくれる人だけと話はすればいい。ここ数年はそんな感じで職場にいる。敵が増えるばかりだ。


最近は家でもそんな感じだ。

夫婦関係が完全に倒壊している家内とはコミュニケーションなし。成長した子供たちは、今のところ「おとうさんウザイ」という年頃。理由は違えども家族全員、私に対しての目線は冷たい。

冷めた目、冷えた目、冷たい目。毎日・・毎日である。そんな目線にどっぷり浸かっての日常。慣れているとはいえ結構ヘコむ。


大物職員のお別れ会

そんな日常の中で、昨日、事業所内の大物職員の「お別れ会」があった。本来なら大々的に送別会となるところだが、感染症の影響で簡単な挨拶と花束贈呈のみとなった。仕方のない事である。


ただ、私もそうなのだが、「大物」だったために「お世話になった」私と同世代の職員が大勢いる。私はたまたま昨年東京事業所から戻ってきたが、異動して他の事業所にいる職員もこれまたたくさんいる。大物だけに「息のかかった者」がたくさんいるのだ。

そんな事情で、昨日KとMという職員が東京事業所から「お別れ会」に参加した。「会」とはいっても本当に挨拶程度の5分程度ものである。そのために1時間以上かけてやってきたのだから恩義の感じ方はハンパでないのだろう。


弾まない会話 動きのない表情

KとMは部署こそ違ったが、私と同世代で私と同様に横浜から東京事業所に異動した職員である。横浜時代からの面識で、東京にいても挨拶程度ではあったが、親しい感じで話をすることもあった。昨日はそんな感じで・・久し振りに親しい会話が交わせるのだろう・・などと思っていたのだが・・。


「お久しぶりです」「お元気ですか」

二人とも年下だが、既に管理職のKとMには敬語で話す。それでも親しい返事を期待して二人に挨拶したのだが。

「・・・・・」

弾まない会話。動きのない表情。冷めた目、冷えた目、冷たい目。。。

2、3分と会話は続かなかった。「久しぶり」トークなど皆無。何の話をしたのかよく覚えていない。止まった空気感と気まずさだけが残る後味の悪い終わり方。。。


これは堪えた。


これはヘコんだ。


建前なのか感情なのか 思いがけず走った衝撃

思えば二人も管理職。ウチの会社だけではないだろうが、管理職は社員育成の建前があり、あまり一般職と「お友達関係」にはなりたがらない傾向がある。今の上司Yもそんな調子だ。かつては同期生として親しく付き合ったが、今は上司と部下。組織の建前を通した付合いになってしまっている。隣の席にいて仕事の話以外はほとんどしない。でもそれは会社組織上仕方のない事だとわきまえているつもりである。


KもMもそうだったのかも知れない。直属ではないにせよ、管理職である。万年ヒラの私に甘い顔はできないのかも知れない。

でも今日は「恩義のある人のお別れ会」である。そんな日にそんな組織論を持込まなくてもよいのでは・・そんな風にも思ったのだが、他方で私なんぞと親しく話しても何のメリットもない。老害ジジイと関わりたくもない・・そんな個人の感情を反映しての態度だったのかも知れない・・などと勘ぐってしまう自分がいた。


いずれにいても強くヘコんだ。


胸が痛い 強いストレスを感じたが

私は強いストレスを感じると胸の中心あたりに痛みを感じるのだが、昨日はその痛みを感じた。身体まで反応するような出来事だったようだ。長年、他部署にいながら比較的親しく言葉を交わしてくれていたKとMだったが残念だった。本当に残念だった。


ただ、一方で親しい会話に期待する・・そんな純粋な気持ちをまだ持っていたのかという小さな発見もあった。まだまだ私も捨てたモンじゃないかな。。。

冷えた目に囲まれる日常。でも、案外ストレスなど大して感じていないのかも知れない。なぜなら、月日の流れを早く感じるからだ。横浜から東京に異動して8年。戻って来てそろそろ1年になる。早かった。本当に早かった。もはや会社ではいい事などない。下を見て息を止めて目を閉じて生きているような毎日かも知れないが、案外充実しているのかも知れない。


2022年7月20日水曜日

ようやく分かって来た 51歳での異動の意味

腑に落ちない異動から1年

今の事業所に異動してからもうすぐ1年となる。あっという間だった。このブログでも何度か書いたが、ここは元々私が12年いた神奈川事業所である。その後、異動となり8年、東京事業所でそれまでとは違う業務に携わって来た。そして昨年まさかの再異動。さらにまさかの神奈川事業所への再異動。。


異動のたびに職種が変わり1から出直し。年下に頭を下げて1から仕事を教わる。気分のイイものではないが、その話はいつかまたするとして、この再異動は本当に「まさかの」だったのだ。東京事業所にも不満はあったが、別に仕事を放り出したわけでもなく、異動願を出したわけでもなかった。

元いた事業所に歓迎されて戻って来れるような優秀な人材だったわけでもない。かといって前の事業所で人間関係が上手く行かず(まぁ大して上手く行っていたわけでもないのだが・・)元のところに戻してくれと泣き言を言ったわけでもない。


要は「なぜ私が呼ばれたのか」腑に落ちない部分が多かったのだ。


他人でもできる仕事 別事業所から異動させる理由

今の私の上司は年齢こそひとつ上だが、会社の同期生のY。長年組んで同じ仕事をした。言ってみれば、私は彼との昇進争いに敗れた結果異動となった。絵に描いたようなリストラ劇である。彼にしてみれば、会社全体を通して最も部下にしたくない、関係を持ちたくない人物は私なのだろうと容易に想像できる。


1年ほど仕事をして何となく思うのだが、今の仕事は別に「私でなくてもできる仕事」がほとんどだ。わざわざ別の事業所から扱い難い老害ジジイを異動させてまでする仕事ではないように感じる。私以外にふさわしい人材はいくらでも探せると思うのである。

最初にYから異動の理由について「ウチ(今の事業所)の事情をよく知っている人物が必要で、全く目新しい人はなるべく避けたい」と説明を受けたが、「だから私」というには、あまりにも説得力を感じなかった。

でも、それが最近、あることで答えが見えて来たのだ、それは、ある業務を一緒に組んでに仕事をしている女Tのことであった。

結論から書けば、異動後1年にして既に人間関係が破綻している。

そーゆー女である。


素敵に歳を重ねていない職場のアイドル

Kは以前、アルバイトとして今の事業所で仕事をしていたが、そのまま就職したようで私からしてみれば後輩。歳も7歳ほど下である。人見知りが強く気分屋な部分があり、あまり良い印象を持っていない人物だった。


ただ、いわゆる「美人」で社内ではアイドル的存在。チヤホヤもてはやされる部類の女であった。しかし私が再異動で8年振りに戻った今は見る影もなかった。。容姿のことばかり言うつもりはないが、簡単に言えば「良い年齢の重ね方をしていない」という印象を強く持った。まぁ、Tの内面をよく知っているわけでもないので、私の一方的な決めつけなのかも知れないが・・。

Tと一緒に組んでしている仕事は、部署内でもやや難易度の高い業務。今まではTがひとりでやっていたようだが、そこに私が加わった形だ。Kから業務内容、仕事の進め方、手順等々一から聞きながら行うのだが、初日から感じた違和感・・。

説明する時の口調が荒く、早く、説教を受けているような感覚になる。説明が早過ぎて理解がし難い部分を聞き返したりすると、怒り度合いが一段増しての口調になる。仕事が非常にやり難いのだ。


意見した途端に始まった完全シカト

そんな状況に半年ほどは黙って耐えて来たが、徐々に疲れとストレスを感じるようになった。そのため上司のYに相談すると、何故かTの説明を録音しながら聴くようにアドバイスされた。ある程度の効果はあったが、Tの話し方が変わるわけではない。


そんなこんなで、先日、「そーゆー話し方やめてほしい」と率直にTに話した。上司Yのいる前で堂々と面と向かって話したのだ。その時は「すみません。気を付けます」と言っていたTだが・・・・。

その後、待っていたのは「完全シカト」だった。

かろうじて仕事の話はする。でもそれ以外は「シ・カ・ト」。「私は悪くない」「あなた嫌い」という空気に満ち満ちている態度を感じる。アラフォーにしてまるでガキである。

そしてさらに先週、部署内の席替えがあった。見事にKと私は隣になった。業務上組んでいるのだから仕方ないのだろうが、よりによって隣とは。。完全シカトの女が20cmとなりで1日中仕事しているのである。気分がイイわけがない・・涙


完全シカトは偶然ではなく必然

そしてふと実感したのだ。


これは偶然ではなく必然。。


このためにオレははるばる別の事業所から呼ばれたのか。。


何故そう思うのかといえば、Tの悪態は「最初から」であるからだ。初めて仕事の説明を受けた1年程前に感じた相当な違和感。早口で荒くキツイ口調。聞き返せば口調はさらにキツくなる。。年下の後輩であれば恐怖を感じてしまうだろう。最悪の場合、会社を辞めてしまうだろう。

最初は普通のコミュニケーションであったにもかかわらず、仕事のミスを重ねるなどして次第に口調が厳しくなったのであれば理解できる。それならば私自身にも大いに反省すべき点もあるだろう。でも、Tは最初から。最初から怒り口調なのだ。

今の部署柄、後輩であれば女性の可能性が高い。女同士であればなおのこと、数カ月と耐えられないだろう。


会社における五十路ヒラ社員の隠れた仕事

異動を重ね、いくつもの職場を見て来たが、上からの言葉はかろうじて聞けるが、後進の指導が全くできず後輩を異動や退職させてしまう。。結果、いつまでもひとりで長く同じ業務をやり続ける・・そんな類の輩は珍しくない。Tはまさしくその類だ。


だから私だったのか。。。



Tに対して私は年上で先輩。関係がギクシャクしても恐怖には至らない。仮に私が会社を辞めるようなことを言えば、会社としては大歓迎だろう。上司のYが言っていた「ウチ(今の事業所)の事情をある程度知っている」「全く目新しい人は避けたい」という話は、正確には「Tのことをある程度知っている」「目新しい人はTの悪態に耐えられない」ということなのだろう。


なるほど。


悪く言えば貧乏くじ。良く言えば無二のチャンスを与えてくれた・・とも考えられる。。


まぁいろいろある。本当にいろいろある。51歳にして異動。その意味がようやく分かりかけて来た今日この頃であった。。


2022年7月17日日曜日

シンプルフィッシング より手軽に釣りを楽しむ

コンディション絶好! 久しぶりのちょい投げ釣り

今回の釣りは 前回の熱中症があったため天候・気温にかなり神経質になったが、なんと「曇り時々小雨」という、様々な面で総合的に今の時期においては絶好の天気となった。そして潮見は大潮。会社は休暇。。神様が「釣りに行け」と言わんばかりに与えてくれた一日のように思えた。


最近のコノシロ爆釣れの流れからして、釣れるイメージしかない。今回はそんな流れに乗って、まだ爆釣れの経験がない「ちょい投げ釣り」を試してみた。サビキ釣りよりも広範囲をカバーする釣りである。ざぞかしたくさん釣れるだろう・・そんな思いで釣り場に向かった。


あれ!? 全然釣れない どうして?

ちょい投げ釣りも立派な投げ釣りである。遠投釣り程ではないにしろ、仕掛けを遠くまで投げ飛ばすのは爽快である。人気のない釣り場で広大な海に向かって竿を振り抜く・・これで魚が釣れれば最高なのだが、どうも釣れないことが続いていた。

でも今日は違う。前回、前々回とサビキ釣りで爆釣れだったのだから、今回も必ず釣れる!一体、どんな魚が釣れるだろう。毒魚はしっかり見極めるようにしよう。。などとワクワクと想像しながら釣りをしていたが、待てども待てども魚は釣れず。アタリすらない。。釣りを始めて2時間程、待望のアタリが来て引き上げてみると・・


おーおまえ久しぶりだなぁ。。

15㎝クラスのクサフグである。たぶん今シーズンに入ってからは初めて釣上げたと思うくらい久しぶりだった。持ち帰りもしない、食べもしないので即リリースになるのだが、コイツはたまに仕掛けを飲み込むことがある。厄介なだけでなく実害をもたらすこともあるので、もはや害である。

まぁ、今回は仕掛けは無事だったのでホッとしてリリースした。

そして、しばらくして釣れた2匹目。


大きさ2cm程度のゴンスイ。7号の針に喰らいついて来た強者である。その心意気は賞賛に値するが、こちらも即リリース。今日の釣果はこれだけだった。

残念。。何とも残念な結末。


どうして釣れない 何かがおかしい

今回も潮見は大潮。波が来ると対岸の堤防に海水が溢れそうになる程だった。7月の高気温、ちょい投げ釣りで広範囲をカバー。なのに釣れないどころかアタリすらない。釣れる気配が全くしないのだ。これはちょっと釣り方を見直してみた方がよいように感じた。


思い当たるのはエサ(アオイソメ)の付け方である。はっきり言って今は適当だったので、ネットなどで調べると「通し刺し」という方法が紹介されていた。アオイソメの長さも適当な長さに切って使うそうで・・この辺のやり方を全く反映せずにやっていた。次回はこの辺を改善してみたい。

「ヒュッ」と仕掛けを飛ばし、リールを巻いて魚を釣る・・釣りを始める前に思い描いていた理想の形が実現されるまでもう少しである。ぜひ投げ釣りでしっかりした釣果を挙げてみたいものだ。


シンプルフィッシング

ところで、今回はかなり軽い準備で釣り場に行った。今回は休暇の関係で、魚が釣れても家で調理する時間が確保できなかったので「持ち帰り」をしない考えだったからである。


釣れたら即リリース。アタリを楽しむ事に特化した釣り。なのでクーラーボックスがいらない。氷も持って行く必要がない。。これだけでも準備が相当シンプルになった。

加えて、いつも持ち運んでいた釣り道具で、本当に必要なものだけを選んで持って行くように考えてみたところ、驚くほどシンプルに。中型のカバンひとつと釣り竿を持つだけで出掛けらるようになってしまった。

ゴロゴロとカートを転がして釣り場を移動していたのがバカバカしく思えるようだった。結果、釣り場で不足するモノもなく、快適に釣りを楽しむ事ができた。まぁ、あくまでも「釣れた魚を持ち帰らない」という前提なのだが・・新しい釣りのスタイルができたように思えたのは思いがけない収穫だった。


父命日の墓参り 18年目に思うこと

思い起こすこと18回 父が倒れてから亡くなるまで 昨日が父の命日。毎年の事であるが「倒れた日」の3月14日から「亡くなった日」の19日までは私の中で当時の回想が優先される。特にそうしようと思っているわけではないのだが、頭の中に蘇ってしまうのだ。 今年も例外なく父が倒れたあの日、泣...