2022年3月19日土曜日

16年目の父命日 不思議に感じた最後の急変

16年目の命日 もう16年 早いものだ

今日は16回目の父親の命日だった。もう16年経つのだ。。当時1歳だった長男は17歳。生まれていなかった次男は12歳。長い時間が過ぎたのだと実感せざるを得ない。今日の休暇は午前中早々に墓参りに行った。


いつも命日には「亡くなったその時」の事をどうしても思い出してしまう。命日に限るわけではないのだが、この日は色濃く思い出してしまう。そして、表題にも書いた父の「最後の急変」には今でも不思議に思っていることがある。


急に倒れて急に亡くなった父

10年近く病気や認知症と戦った母とは違い、父は「ある日、急に倒れて急に亡くなった」のだ。それまで普通の元気な生活を送っていたのに、脳内出血で急に倒れ、救急車で運ばれ、一度も意識が戻ることなく一週間後に亡くなった。当時、あまりのショッキングで急な出来事にどのように対応してよいのか・・悲しみと戸惑いで自分が委縮してしまっていることを強く感じたものだった。


最初の急変は自宅だった。この時、重篤な脳内出血で、緊急開頭手術、緊急輸血が必要と医師から話があった。家族で検討する余地もなく輸血の同意書にサインした。

2回目の急変は2日後の早朝だった。医師から「出血が脳幹に達してしまい、脳幹が機能を失った」と言われたのだが、混乱している母と私の耳に入っていなかった。

その日に集中治療室から一般病棟に移ったのは、病院からしてみれば「最期のお別れのため」という意図だったのだろうが、母と私は「入院時よりも顔色もよく血圧も平常時レベルである。助かったんだ。回復するんだ。」と思ってしまっていた。


小康状態の中で母と話した今後

2回目の急変から3日ほど小康状態が続いた。3日目の夕方に母と今後の話をした。父が倒れてから5日ほど会社は休んでいたのだが、小康状態が続くのであれば、会社を休んでばかりはいられないので、明日から出勤しようと。


ここで、母が「私は病室でおとうさんを見守りたい」と言い始めた。当時、既に足腰が弱り、外出時には車椅子を使っていた母であった。母の体力から考えると病室で寝泊まりするのも得策ではない、母の希望は「私が出勤前に母を病院に連れて行き、会社から帰宅後に病院に迎えに行く」というものだった。


私は承諾したのだが、一抹の不安を覚えた。


当時、通常でも1時間半程度の通勤時間であった。自宅から病院まで往復して車椅子の母を病室まで連れて行って帰宅するまでには1時間程の時間を必要とする。8時30分の出勤時間に間に合わせるためには、4時頃起床しなければならない計算になる。しかも、仕事の状況を考えれば、夜は12時前後の帰宅時間になることは容易に想像できた。


この生活を続ければ、私が倒れるかも知れない。。


そう思ったが、やるしかなかった。


最後の急変は父の意図なのか

しかし、その日の夜に、父の「最後の急変」が起こった。130台で安定していた血圧がどんどん低下していく。下がっては止まり、止まってはまた下がる。。そして、次の日の明け方に父は亡くなった。


この時、言い知れぬ悲しみと無力感の中で不思議に思ったことがひとつあった。3日間安定していた血圧が、なぜ急に低下の一途を辿ったのだろうか。何か意図すら感じるようなタイミングと容態の悪化だった。


意図・・・とは・・・


誰の意図・・・


まさか父の・・・


夕方に母と私で交わした「今後の話」は父が横たわるベッドのすぐ隣でしていた。父に意識があれば普通に聞こえる場所である。でも父は昏睡状態である。


まさか・・・聞いていたのか・・・


それとも、通勤前後に毎日母を病院へ送り迎えする時間的・体力的な厳しさに躊躇した私の気持ちが何らかの形で父に伝わったのか・・・状況を察して、家族に負担をかけたくないという気持ちから、父は自らの命をコントロールして去って行ったのか。


もはや絶対に真相などわかるはずもない。そして、その「タイミング」は単なる偶然である可能性の方が高い。考えても無駄である。永遠に結論は出ない。


命日が来るたびに・・・そんな思いに耽ってしまうのだ。



2022年3月16日水曜日

シーズン2022開始! 新規釣り場を開拓

釣り場って結構ある 新しい場所でシーズン開始

冬場はどうしても寒くて行く気になれないのだが、最近はかなり温かくなって来た。昨年同様釣り開始は3月となった。シーズン2022の始まりである。今日は平日の休暇、大潮を狙っての日程であった。

そして、今日は釣り場を変えた。いつもの堤防釣りは、堤防自体が工事中となってしまっていて、まだ終わらないためである。なので近隣で別の釣り場を探してみたところ、釣り場は結構あることに気付いた。そして、いつもの堤防よりも近い場所に程よい釣り場があった。今回は漁港である。


観光地であった前の釣り場に比べると派手さはないのだが、よくよく見てみると敷地も広く釣りができる領域も広い。平日なのでガラガラ。。場所取りをする必要もなく10時半頃現地に到着して11時頃から釣り開始となった。

新しい釣り場 新しい気分転換

漁港の特徴なのだろうか、港内は波が全くない。広大な釣り堀で釣りをしているようだった。静かに釣りを楽しみたいのであればうってつけの場所だった。漁船が出入りすることも多く、ここが港であることが実感できる。そんな光景を見ているだけでも結構な気分転換になる。


職場異動から半年。そろそろ異動先の職場でも残業が増えて来た。身体が疲れていることもあるのだが、今年はなるべく「朝4時起き5時釣り開始」なんてのはやめようと思っている。単純に疲れるからである。なので今日は8時に起床。ややグタグタ感があったが、11時頃から開始して3時間。。眠気もなく静かに楽しく釣りができた。


釣果はイワシ1匹‥その他アタリなし

今日は初めての場所の偵察も兼ねての釣りでもあったので、無理せずサビキ釣りを行った。案の定、3月では足下にまで魚が来ているなんてことは難しいのかも知れない。また、今日は漁港内深く外海から離れたところで釣っていたこともあるだろう。まったくアタリすらなかった。昨年と同じような状況である。

唯一、3cmほどのイワシ(‥かな)が釣れた‥というより引っ掛かったのだが即リリース。。3時間で釣果はこれだけだった。


ただ、周囲を見るとめざしを連針でバンバン釣っているおじいちゃんが何人もいた。5m級の長い竿でたぶん疑似餌を使っているのだろう。6、7本の連針すべてにめざしが掛かっている竿を上げている‥うらやましいと思うと同時にどうしたらあの域に到達できるのだろうか。たくさん釣っためざしを天ぷらにして食べたら、さぞウマイのだろう‥想像は膨らむばかりだった。


今シーズンも1日でも多く釣りに行きたい

温かく天気も良く平日で釣り場はガラガラ。。空と海に挟まれて釣り場で一人昼食のパンを食べる‥今年もこんな時間を多く作りたいものである。


総じて今日は収穫の多い日だった。新しい釣り場はリピートするのに十分条件が揃っていたし、何より前の堤防より移動時間が15分ほど短いところが利点だった。15分‥往復で30分‥貴重な時間に思ってしまう‥これは冴えない会社員の悪いクセなのだろう。。

これで釣果が伴えば最高なのだが‥このブログで同じことを何度も書いているようだが、今日もそんなことを思ってしまった。とにかく2022のシーズン始まりは悪くないスタートだった。


2022年2月12日土曜日

友達って何だったのだろう 友達がひとりもいない今考えてみる

ふと、昔の友達からショートメールが来た

先日、高校時代の友達から十数年ぶりにショートメールが来た。

数年前、スマホが破損してしまった時に電話帳が消去されてしまったため、正直、そのメールが誰からなのか分からなくなっていた。仕方なく「誰?」と返信して名前を教えてもらった。十数年、年賀状だけの付き合いでしかなかったが、久しぶりの「年賀状以外」でのやり取りとなった。本当に久し振りで、何だかいつもと違う心の和みを感じた。


もう、はっきり認識しているが、今の私には友達付合いがない。皆無である。

仕事・子供の世話・父母祖母の通院、介護などに追われ、いつしか友達との付き合いが無くなっていた。自分の時間は「寝る」とか「掃除する」とか‥である。自分の時間がないわけではない。でも短くて、疲れている場合がほとんど。その時間に友達と予定を合わせて遊びに出る‥なんて余裕もパワーもない‥だから友達と会わなくなるのだ。

いつしか十数年来友達と会わなくなった。ご近所付合いもせず、何かの集まりに参加することもない。会社での人間関係と家族だけ、気付けばスマホの電話帳に友達の名前はなかった。


気が付けば友達がいなくなっていた

あたりまえだが、学生時代は友達との付き合いがほとんどだった。学校、部活動、バイト先‥友達の友達がまた友達になる。それが何故今は皆無なのか。友達なしでもやってこれた十数年来の現実‥友達って何なのだろう‥。


ここ数年、職場でふと思うことがある。自分と同年代でやたらと年下の職員となれなれしく交流しようとする人物‥職場でやたらと友達関係を築こうとする人物‥そんな輩に限って同年代とはウマク仕事ができない。

もちろん、人間関係の構築は必要であるが、本来必要なのは「仕事を遂行するために必要な関係」であり「学生時代のような友達」ではない。周囲の空気を読まず、忙しい雰囲気の中で堂々と長時間世間話をしている姿は怒りを覚える。

そんな輩は基本的に「友達」としてではなく「自分の防御壁」として人間関係を築く。あくまでも「一人でいられない恐怖」から人との接触を望む。相手の迷惑は考えずに自分のために繋がりを求める。だから同世代から見放され、近しい後輩からも見放され、大きく離れた年下としか繋がることができないようになる。「自分だけのため」に関係を構築する輩の顛末である‥と私は思っている。


自己中心的な考えを実感した時

でも、そんな輩を悪くばかりは言えない。私自身はどうなのだろう。会社では仕事優先の人間関係。プライベートでは友達なし。会社の人とプライベートで会う事など皆無。仕事帰りに本当に稀に飲みに行く程度である。それだって年に数える程だ。


「自分だけのため」

それは私にも心当たりがある。正直に言えば、学生時代の「友達」には、皆、付き合うための目的があったように思える。純粋に友達と呼べる繋がりがあっただろうか‥そもそも「純粋な繋がり」とは何なのだろうか。

「クラスの中で孤立を避けるため」「自分自身を成長させるため」「恋人を作るため」

こんなところだろうか。中学から高校生の頃は最初の目的だったっと思う。目的としては後ろ向きだ。10代後半から20代になると、どんどん2番目から3番目の目的にシフトしていく‥要するに自分だって「自分だけのため」に友達を作っていたことは否定できない。

33歳で結婚した。仕事や家庭を持った事も大きな要因ではあるが、その頃から急速に友達との交流が減ったことも確かだ。ただ、それは仕事や家庭の要因だけでなく、そもそも自分自身が友達との繋がりを必要としなくなったことが最も大きな要因である。

この「必要としなくなった」と実感してしまっている自分自身の人格に、何か失望を感じてしまう時期もあった。自分の本質はこんな冷たい自己中心的にモノなのかと‥。


一生の友達は一生かけて作る

ただ、今は違う。先日もらった昔の友達からのメール。心の中は懐かしさだけだった。目的も損得勘定もなしに付き合える関係。そんな関係を構築できるのは、もしかしたらこれからなのかも知れない。そんな希望が見えた。

人生の3分の2を過ぎて初めて理解できる(かも知れない)友達という存在。

「一生の友達は一生かけて作る」

そんな言葉が実感できた友達からのメールだった。


2022年2月7日月曜日

隠れた交流 秘密の交流 前プロセスは終わった

交流が深くなるにつれて気になる周囲の目

アルバイトのYさんとの交流がどんどん深くなっている。職場には他にもアルバイトの女性が多くいるので、Yさんだけに偏った態度にならないように心掛けてはいるが、たぶん、話す時間の長さや内容が、そろそろ偏り始めているのでは‥それを周囲の職員に気付かれているのでは‥と疑心暗鬼になってしまう。。


20~30代の頃は、噂になったって別にいい‥と思う面もあった。噂が意中の相手との関係を深める材料になると思っていたからだ。

でも50代の今は違う。正直、噂は立ってほしくない。率直にみっともないと思うからだ。

職場で顔を合わせれば何か話し掛けたい衝動を感じる‥何かしら理由を付けてはYさんに絡もうとする。やってることは小・中学生の頃と変わらない。昨年9月の異動時にはこんな状況が訪れるなんて夢にも思っていなかった。

二人だけの時間を感じた幸福感

ウチの職場は事務室とは完全に離れて別室になっている給湯室がある。キッチンや電子レンジ、冷蔵庫などが設置されていて、アルバイトさんを含めた職員全員が使用できる。もちろん、私もYさんも毎日出入りしている。


先日、その給湯室でYさんにバッタリ会った。

「バッタリ」は別に初めてではないし、他の職員も頻繁に出入りするので「二人きり」という空気にはならない。。はずだったのだが、その日は土曜日で出勤者が少なく、自然と給湯室を出入りする人も少なかった。

そうであっても「全職員出入自由」の給湯室である。いつ誰が入って来るか分からない。「二人きり」の空気感なんてすぐに伝わる‥すぐに噂になる‥給湯室で会ってもなるべく濃い空気感をださずに‥でも親しく話す‥そんなつもりだったのだが‥

その日はYさんと私の間で「他の人が入って来てもいい」といった雰囲気になった。世間話程度だが10分、15分だったろうか‥話し込んでしまった。「二人きり」の空気感満載だった。

他の職員が入って来れば一発で伝わるだろう‥その空気感。。噂になることを承知で‥という気持ちで彼女と接した。とても幸せな気分だったし、彼女はとてもいい香りがした。

土曜日とは言っても偶然性は高かったと思う。結局、私たちが話し込んでいる時間には誰も入ってこなかった。「二人きり」の時間は本当に「二人だけ」が共有する時間になった。言い知れない満足感がココロを満たした。職場で何やってるのだろう‥と思う反面、近年にないココロの充足を感じた。

どこに進む Yさんとの最善の関係は

挨拶する程度‥から始まり、親しく会話できるようにまでなった。職場の仲間で割り切るのなら、この関係を続けることが最善である。これ以上踏み込むなら男女の関係となる。もはや前段階のプロセスは完了。あとは、きっかけ次第である。そこに踏み込むかどうか‥思わぬ葛藤を感じる今日この頃である。


ただ、長年の経験から「すべて勘違い」「相手(Yさん)は何にも感じていなかった」なんてオチになる可能性の方が高い。。下手に食事に誘ったりして断られたりしたモンならば、一挙に職場で気まずくなってしまう。

まぁ、そーならないように慎重に行動しよう‥と心引き締めているところである。


2022年1月19日水曜日

国際宇宙ステーション(ISS)が見えた!

今日はISS観測のチャンス!

今日は休暇だったのだが、朝起きて何気なくパソコンでネット見ていたら。「今日はISS観測のチャンス」の記事が目に入った。


ここ数年来「ISS観測のチャンス‥」の記事は何度も目にしたが、なかなか見ることができなかった。自分一人ならどうにでもなるのだが、子供たちにも見せたい‥となると条件が一気に厳しくなるのだ。

 ◆私の休暇日である

 ◆時間は夕方から夜にかけて(真夜中はNG)

 ◆自宅から見やすい方角をISSが通る

 ◆天気が良い

この辺の条件が揃うことはなかなか難しい。まだ幼稚園児だった長男と初めてISSを見てから、もう十数年経っている。次男にもしっかり見せてやりたいと思って何度もトライしているのだが、なかなか叶わなかった。

ISS観測の個人条件が揃う!!

しかし今日は、天気以外の条件が揃っていた。午前中は曇っていたのだが、天気予報は「曇りのち晴れ」。ここ数年来、類を見ない絶好の好条件だった。

そして夕方。予報通りに雲は晴れ、南西の空はほぼ快晴。小学6年の次男と共に自宅2階のベランダから空を眺めた(高校2年の長男は学校から帰っていなかったので‥)。数分後に程なくISSが現れた!バッチリ見えた!!


写真はスマホで撮影したものを拡大したものである。たぶん間違いないと思うのだが‥こんなにしっかり撮れるものなのだろうか‥スマホ恐るべしである。。

低い位置から見え始めたが、最初は赤い星が動いているような印象だった。光は徐々に強くなり、次第に赤から白色系に変化して行った。音もしないし、肉眼では「点」が動いているだけなので、飛行機ではないということは容易に実感できた。

ゆっくり動くのだから流星でもない。もちろんUFOでもない。次男にとっては「始めて見るもの」である。あまり興味もなさそうな様子だったが、「こういうものもある」ということを実感できればそれでいいと思っている。ただ、今日の「こういうもの」は宇宙ステーションという超大物だ!

SFの世界が現実になっている実感

「宇宙ステーション」なんて、私が子供の頃はSFの世界そのものだった。でもそれから40数年後に、私の子供たちはリアルに「宇宙ステーション」を目の当たりにしている(400㎞離れた彼方からだが‥)。

あと40年後には、本当に「夏休みは月へ3泊4日で家族旅行」なんて世界になっていてもおかしくないように思える。


2022年1月10日月曜日

足が動かなくなった恐怖を感じて思うこと

雪の日の夕方 足に激痛が走った

先日、仕事始めの当日、午後から大雪となった。夕方になっても雪は止まず、電車が止まらないことを祈りながら会社を出た。社屋を出てから数分経った頃からだった。


左足が痛い…


そう感じた。

特に気にもせず傘をさして足早に駅を目指したのだが、思いがけず痛みは増し、痛む範囲も広がって行った。それでも気になるのは雪の積もった路面で滑らないようにする事だった。滑りに気を付けるがために少々ぎこちない歩き方にもなるので、多少足にも負担がかかる…そして足が多少痛くなることもあるだろう…などと思っていたのだが…


そんな「多少」の範疇を軽々と越えて痛みは増大して行った。


認めざるを得ない足の痛み

社屋から駅まで7,800mである。歩いて10分足らず。とうとう、自分の中で痛みを認めざるを得ない状況まで来てしまった。足が痛い。足が動かない…。左足のみならず右足も…一歩を進めるだけでも苦痛を感じる。


立ち止まろうとも思ったが、立ち止まればますます痛みは増大するように感じた。直感的にではあるが「冷え」によるものであると思ったので、何とか早く駅に辿り着こうと思った。社屋から出る時は何の痛みもなかった…急にである。急に歩けなくなるほどの痛みが下半身全体に走ったのだ。

体調が悪い訳ではない、だるさも頭痛も喉の痛みやセキもない。私の体の中で何が起こっているのか…わけが分からずやっとの思いで駅に辿り着いた。ちなみに階段など登れるわけもなく、エレベータで駅の中を移動してホームに着いた。

電車に乗ると痛みが引いて行った。ゼロにはならなかったが、大幅に痛みが引いている実感があった。やはり「冷え」から来る痛みであることには間違いないようだが…しかし自宅そばの駅に着き、電車を降りると再び痛みが増した。やっぱり歩くのも大変である。通常、駅からは健康のために30分程歩いて帰宅するのだが、その日はたまらずバスを使った。

試行錯誤の結果 辿り着いた考えはカゼ薬…

次の日は出勤したのだがちょっとした格闘だった。痛みは前の日と変わらない。外に出て冷えると痛みは増し、屋内では痛みが引く。階段の上り下りでは常に痛みが走る…明日は休暇なので今日だけ我慢しよう…その思いだけで1日乗り切った。


体調が悪くないのなら…もしかして年齢によるもの…足腰の弱体化によるものなのだろうか…そこに考えが及んだ時にはかなり落ち込んだ。ここ数年来、下痢、遠視、血圧上昇など、年齢によるものであろう身体の変化が次々と現れていたからだ。


今度は足腰…


足腰の自由が利かなくなれば決定的に生活に影響が出る。考えれば考えるほど悪い方向に思考が走る。不安な気持ちに浸りながら1日を過ごした。


年の功 先年の経験が回復のヒントに

ただ、その日の夜、ふと以前に「急性胃腸炎」を患った時のことを思いだした。簡単に言えば「腹にくるカゼ」である。冷えるとうずくまってしまうような強い腹痛を感じ、温かい場所では痛みが治まる。体調不良が伴う場合もあれば、体調が悪くないのに腹痛だけがある場合も…腹に何か悪い病気でもあるのでは…と強い不安を感じたものだ。


もしかすると今回もそんな感じではなかろうか…カゼと足…何の関係もない可能性の方が高いが…失笑される可能性もあるが…急性腸炎の時も「カゼからくる…」と言われ驚いた経緯がある…今回だって驚くようなことがあってもおかしくない…

そんなこんなで、試しに普段飲む市販のカゼ薬を飲んでから就寝した。すると次の日の朝…なんとすっかり痛みが消えていたのである!

飲んだのはどこにでもあるカゼ薬である。どこにでもある総合感冒薬である。完全に効いたようだった。でも昨日までの苦痛を考えると医者に相談しない手はなかった。朝食後にすぐに近所の医者に行った。

受付では「整形外科でなくていいのですか」と聞かれたが、筋肉やスジの痛み…いわゆる外科的な痛みではないように思えたことや、昨夜飲んだカゼ薬が効いていることも踏まえて内科の受診をお願いした。

診察ではこれまでの経緯を説明したが先生も首をかしげていた。「足腰にくるカゼ」「カゼの菌が足(下半身)に入る」…そんなことがあるのかどうか…先生の結論は「様子を見ましょう」だった。総合感冒薬が効いているのならそれで様子を見ましょう…とのことだった。

痛みが消えても考えさせられた

結局、痛みは完全に消えた。自宅から駅までの歩き通勤も再開した。もちろん油断は禁物だが、今回は「カゼ」で結論付けてよささそうな感じである。

たった3日間の騒動だったが、今回はいろいろな事を考えさせられた。今、私が歩けなくなったらどうなるのだろう。働く事ができなくなり収入を絶たれた父親を家族はどう思うだろう。それは紛れもなく恐怖だった。

子供たちはもしかしたら「おとうさんを支えなくてはいけない」「家を支えなくてはいけない」などと思って奮起してくれるかもしれない。でも経済的な負担を子供たちや家内に背負わせることは到底できない。ただ、今の家内との関係を踏まえれば「金の切れ目が縁の切れ目」になる可能性の方が強い。

詳細を書けばキリがないが、その後は絵に描いたような転落人生になるだろう。。そんなことを想像させるくらい今回の足の痛みはインパクトがあった。

もちろん、今回の痛みをカゼと断言できるわけではない。年齢による身体の弱体化が原因になっている部分もあるかも知れない。

これまでも健康にはかなり気を遣って来たつもりではあるが、これまで以上に健康のことを考えて行かなければならないと痛感させられた出来事だった。


2022年1月2日日曜日

天文学者が夢だったけど ホントにやりたかったことは

天文学者を志した小学生時代と現実

なぜ今こんなことを書くのかとも思うが、正月に時間もあるのでちょっと書いてみた。

私が小学2年の時、「宇宙」の図鑑と天体望遠鏡を親に買ってもらったことがきっかけで、星を見るようになった。太陽、月、木星、土星、金星、水星‥などなどである。

中学生の時、宇宙を扱う月刊誌を読むようになり、毎月、ひとりでプラネタリウムを観に行くようになった。親に頼らず電車に乗って出かけられるようになったきっかけは「宇宙」だった。加えて、星座の位置などがすぐに表示できるという事を聞いたため、当時はまだ目新しかったパソコンを始めた。

後年、情報処理技術者試験に合格し、仕事として10年ほどIT関連の教員をしていたが、このきっかけになったのも「宇宙」だった。

高校生になって大学受験を意識し始めた時、初めて「現実」と衝突した。「天文学者」になるには途方もない学力が必要だということ‥宇宙を仕事として行くのは大変な狭き門であるということ‥。

学者なんて身分不相応というより努力不足

色々調べて行くと「天文学」でなくても宇宙を学べる学問があることを知った。物理学だった。なので大学受験は「宇宙」「物理」「IT」を主軸として学部を選んだ。「宇宙」は夢の夢を追うため。「物理」は夢と現実の両方を見据えて。「IT」は現実的な将来の就職を考えての事であった。

結果的には「物理」の学部に進学した。4年次には「宇宙線」の研究室に入った。今思えば努力不足も甚だしかったが、若気の至りで大学院に進み、物理学者を目指している気分になっていた。ただ、力不足は明白であった。大学院は修士課程で終え、25歳で就職した。


就職後も4、5年程だっただろうか、休暇を利用して研究室に通っていた。観測機材のメンテナンスや観測したデータをパソコンで分析するようなことを続けていた。このころ、自分は研究すること・物事を調べて新しい事を知る‥といったが好きなのだということを悟った。

いつしか始めた現実的な人生 現実的な大人

就職は宇宙とは関係ない仕事だった。時が経ち仕事も忙しくなり、結婚して子供が産まれ、親を介護・見守りする必要も出て来た。いつしか宇宙・研究からは離れた生活となり、自分の見る「夢」も変わって行った。現実を即した上で、その延長線上に立った現実的な夢を見るようになっていた。


仕事・家庭の「必要な仕事」に明け暮れて十数年が経った40代後半のある日だった。子供たちも成長して手が掛からなくなって来た。会社の仕事は相変わらず忙しかったが、20年も仕事をしていれば力の入れ加減もわかって来る。次第に時間と気持ちの余裕を感じるようになった。

古本屋で拾った夢 100円で売っていた本から

母の病院見舞いの帰りにふと立ち寄った古本屋で「物理」の本が100円で売られていた。手に取って読んでみると懐かしさと共におもしろさを感じて止まなかった。おもしろくておもしろくて‥とってもおもしろくて‥100円なら無駄になってもいい‥結局その物理の本を買って読んでしまった。


古本と言っても一般的な教科書として使われるような本である。多くの数式や例題・問題なども盛り込まれている。次第に目で追うだけでなく数式を紙に書いて理論を追うようになった。難しい理論や忘れた公式はインターネットで調べる事ができた。ネット上では動画の解説もあり、自身で質問すればネット上で回答してくれる人もいる。。20数年前より独力で学習する環境は格段に良くなっていた。

あくまでも「仕事の合間に」ではあるが、1年程かけて上の古本(正確には物理学の「力学」というテーマの本)を完読してしまった。仕事の合間に‥他の用があればやらない‥時間的にはそんなダラダラした「趣味の領域」ではあるが、決して妥協せず、完全理解を目指した学習‥インターネットの存在がそんな独学を可能にした。

40代後半から 結構出て来た自由な時間

昨今の社会状況も後を押した。自分の時間が増えたのである。会社は定時帰宅を推奨し、家では子供たちも手が掛からない‥むしろ「お父さん関わらないで‥」といった感じである。そう‥時間があるのだ。


どうせ長く続かないだろう‥とも思っていたのだが‥継続中である。物理学では「力学」の次に学習すべき「電磁気学Ⅰ」の本をネットで購入した。ワクワクしながら少しずつ読み切った。そして、先日「電磁気学Ⅱ」の本を読み始めた。。細く長く物理学の本を読み始めてもう3年になる。物理学は学習を進めれば様々な分野に到達できるが、その中に「宇宙」の分野も含まれる。

もちろん、そんな高度なところまで学習して行けるかどうかなど分からない。でも机上の学習を続けることは「多くの時間をかければ不可能ではない」そして「その時間を確保できる見込みができた」のだ。

もはや夢など見ることはないだろう‥と思っていた私に、ふとしたところに夢が転がっていた。。そのきっかけは古本屋だった。

自己満足でもいい 本当にやりたかったこと

10代後半、20代の頃は、どうしても自分の夢に職業を重ねてしまう部分があった。それは社会を生きる人間として仕方のない事であった。私に限ったことではないかも知れない。。50代となった今、振り返れば必ずしも成功した会社員生活ではなかった。会社に嫌気が差し、独立開業を目論んだ時期もあったが、到底力不足‥というより覚悟不足だったという方が近い‥で実行せずに終わってしまった。


これは、あくまでも私個人の話ではあるが、私は本当に天文学者に、物理学者に、独立してお金持ちになりたかったのだろうか‥今落ち着いて考えると、そうではなかったのだと思える。

子供心に、将来、何かしらの「職業」に就かなくてはならない。ならば、やりたいことを職業に‥という思考だった。「学者」や「経営者」に心底なりたかったわけではない。

地位・名誉・お金・地域への貢献‥そういったものではなく、単に宇宙の事が知りたいだけ。宇宙がどうなっているのか知れればそれでいい。身勝手で安っぽい考えなのだろうが、嘘偽りのない率直な考えである。そして、今では週に3~4時間程度ではあるが、物理の学習を続けていることが私の生き甲斐のひとつであり夢でありモチベーション維持の土台となっている。

そのことに気付いた時、少し嬉しい気持ちになった。少し自分を好きになった。

あと20~30年。長く生きた分だけ宇宙の真理に近づける。。たまに息抜きで釣りに行く。50代以降の私の生活はこんな感じになるだろう。


ついに終わり 2年半の愛欲の日々も終結へ

予定が合わずLINEの返信も遅れがち 今年の6月頃からだっただろうか、AからのLINEの返信が鈍くなった。誘っても日程が合わないことが多く、最近は会うのが月1回くらいのペースになっていた。 よく考えると、Aはいろいろなことが変化していた。 そっけないLINEの返事。返信の遅れ。そ...