2023年1月2日月曜日

子供に高学歴を課さない理由 旧友の年賀状に思う

年賀状に書かれた高学歴自慢

2023年が明けた。めっきり少なくなった年賀状だが、ありがたいことにまだ私にも送ってくれる方が何人かいる。

今回は元日に届いた年賀状にちょっと引っ掛かった内容があったので書き留めておきたい。


それは旧友K君のモノだった。印刷された文面に一言手書きでお子さんが昨年4月に大学生になった旨の一言だった。ホントに一言。引っ掛かったのは大学名が書いてあったことだ。超一流私立大学の・・。

あー自慢だこりゃ・・とすぐに察した。お子さんの成長を知らせたいのであれば「大学生になりました」で済む話。。校名は必要ない。まぁ確かに書きたくなるような校名であることは分かるし、K君は良い友人であったので、その仲が崩れるものではない。お互い良いことがあれば大いに自慢しあえばいいのだと思う。


ウチの子は今年受験 中堅校志望

K君のお子さんは私の長男よりも1歳年上、1~2度ではあるが幼少の頃にあったこともある。本人たちはたぶん覚えていないような頃ではあるが。

なのでウチの長男は今年大学受験。まさにもうすぐ試験が始まる・・なんてタイミングだ。そして、志望している大学は「超一流」ではない。いわゆる「中堅校」に入れればいいかな・・くらいのレベル。。知らない間に差を付けられたモノである。。


だた、正直なところ、私も子供に高学歴を付けさせたいと思ったことはある。別にできないことではない。たぶんこのブログでも何度か触れていると思うが、学校の勉強に頭の良し悪しなど二の次だからである。どのくらい真剣に取り組むか、どのくらい勉強に時間を掛けるかで学歴は選択できると思っている。単純に本人の能力を推し量る指標ではないのだ。

ちょっと極端ではあるが、小学校(またはもっと前から)から塾に通わせ、中学、高校でも学業一直線・・そんな生活を送れば一流大学にも進学できるのだろう。

でも私はそうしなかった。長男、次男ともに小学生時代は水泳を習わせ、中学では運動系の部活動を勧め、塾は中学3年から始めた。勉強は通信教育が中心だった。


学歴ランク飛ばしに不安を感じた

なので、長男の志望校を聞いた時も納得だった。中堅校中心の選択。偏差値レベルはそのくらいのようだ。それで十分だった。

理由は私と家内の学歴。ふたりともいわゆる「Fランク大学」出身である。結論から言えば、私は子供たちには「私たちよりワンランク上の学歴を付けてくれればそれでよい」と考えていた。


あえて「ランク飛ばし」と表現するが、「Fランク」の私たち夫婦の子供に「超一流大学」への進学を促したときに、私は人間形成や健康的な体作りを同時に行う自信がなかった。それは「超一流大学」を目指すための生活を知らない・・実感がないからだ。どれだけ「自分がしてこなかったこと」を子供に課すのか、「もしかして他におかしな偏りができはしないか」など疑問が多く、私にはできなかった。

もちろん、調べるなり人に聞くなどする方法はあるのだろうが、今私も家内もいろいろ問題もあるだろうがこうして生きている。だから、無理せず「ちょっと上」「ワンランク上」を目指してくれればそれでよい。それが子供たちにも私たちにも良い緊張感として家庭全体に浸透してくれればそれでよいと思ったのだ。


ひと世代でワンランクずつ上を目指す

ちなみに私の父は中卒。母は高卒だった。なので両親からは「とにかく大学に行ってほしい」とよく言われていた。どのランクの大学なのか、理系なのか文系なのか・・そんな具体的な話はない。とにかく「大学に行ってほしい」が両親の望みだった。


両親の望みが「漠然」としていたのは「大学」は未知の領域だったからだと思う。レベルや学部の違いは「わからない」のである。とにかく私に大学に進学させることが「ワンランク上」だった。。そして私は何とか大学に進学することができた。大学のレベルや進学するためのノウハウ(勉強の方法など)を知ることもできた。

なので私の世代でも私は子供たちに「ワンランク上」を目指してもらえばよいと思った。まぁ人格形成しながら健康的な体つくりをしながら中堅レベルの大学にでも進学してくれればよい。。その繰り返しでウチの家系が少しずつレベルアップしていけばいいのではないか・・などと思っているのである。


素直に喜べることが嬉しいと思えた

なお、K君も私とほぼ同じようなレベルの学歴である。彼は「ランク飛ばし」をお子さんに促したようだ。


でもそのことを否定したり嘲笑しているわけではない。慎重な性格の彼のことだから入念に調べて事を進めていった結果なのだろうと思うし、お子さんが超一流大学に進学されたことは素直に祝福したいと思う。

また、素直に祝福したいと思えること自体、K君と私はその昔本当に良き友人だったのだろうと確信できるのである。

時が来たら、また会いたいモノである。


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