本当の「退院後」はこれから始まる
一昨日、右膝の脱臼で入院していた次男が退院。膝はギブスでガチガチに固定したまま次の通院日までは過ごさざるを得ない。経過は良好で何よりなのだが課題は満載である。
母親の時の経験が活かされた。退院手続きや帰宅後の生活などで特に慌てることはなかった。何より入院して一週間、昨今の社会情勢の影響で面会ができずにいた次男だったが、想像以上にしっかりした足取りだったことに驚いた。
でも「退院後」の生活はこれからである。これからの方が断然長い。
片足が動かないという条件下での「現実」が次々と見えて来る。
玄関の段差からシャワーの浴び方まで
次男を乗せた車が家に到着。早速難関が待っている。8段の階段である。普段は何の問題もない。何も考えずに上り下りする階段だが、足が不自由な者にとっては大難関である。
階段をクリアしたら次は玄関の上り下り、椅子の座り方、ベッドへの入り方・・問題は絶えない。ひとつひとつ入念にチェックする。
湯船に浸かった入浴はできないのでシャワーを浴びるのだが、ギブスが濡れないように超大型ビニールを用意してギブスへの撒き方を次男と研究。。
ギブスを巻いた方の足は曲げられないので靴下は自分で脱げない。ここは親が介助。
ほんの些細なことからできる事とできない事の判断が必要。。あれこれしているうちに1日などあっという間に終わってしまう。そんな年末年始休暇前半だった。
低迷する学校の成績 勉強の必要性を解く
自宅での生活が出来てきたところで、次はリハビリ。昨日から30分程だが近所を散歩。当然、ひとりでは危険なので私が付き添うことに。真冬とは言っても快晴の昼間であれば比較的暖かい。散歩することは気分もいいのだが、休暇前に誰がこのような状況を予想できただろうか。
そしてリハビリと平行してもうひとつ大きな課題があった。次男が怪我をした次の日が2学期の終業式だった。想像以上に成績が振るわなかった1学期。2学期は私がいくつか勉強を見たのだが、思った程効果もなく引続き振るわなかった2学期の成績。
怪我と成績不振。。
5歳上の長男はあまり手が掛からなかったためか、私自身少し油断していたのかも知れない。リハビリだけでなく、勉強の方も手を掛けて行くことになる。昨夜、家内を含めて「家族会」となった。。
成績が振るわない場合、私は「怠け」を一喝するよりも「勉強することの必要性」を伝えるようにしている。「どうして勉強が必要なのか」・・これを理解できれば自発的に勉強し始めるではないか・・と思っている。必要なのだから・・
一喝して無理やりやらせるのは手っ取り早いかも知れないが、子供の長い人生を考えると「必要性を解く」方が得策と思えるのである。
釣り三昧から一転 次男と向き合う日々
今年の年末年始休暇は10日。終わりきらない仕事で2~3日費やすことは覚悟していたが、その後は毎年の年末年始ルーチン(掃除と年賀状)のみ。余った時間は「釣り三昧」の予定だった。しかし、予想に反して次男と向き合う日々となった。
当然、リハビリも学業も子供にとっては人生に直接影響する事柄である。焦らずじっくりと私のすべての時間を費やしても別に問題ないのだが、ホントに「予想外」だったことに驚いている。「人生、何が起こるか分からない」を実感した最近だった。
2022年 家族の災い2件
残念ながら、今年は私と次男に災いが起きてしまった。二人とも入院に至る状況。そして、二人とも「急に起きた出来事」だった。
今のところ私も次男も「その後の状況は良好」であることは大きな救いではあるが「急変」はホントに起きてほしくないモノだ。2023年はそれぞれの回復を目指しながら、新たな急変が起きないよう最善の注意を払って行きたい。
「家族が健康でありますように」
初詣でお決まりのように聞く言葉。若かりし日は他に言うことがないのかと、やや軽く聞き流していたような言葉。この言葉がこんなにも重く大事に聞こえるようになったのも歳を重ね経験を重ねた故なのかも知れない。
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