2022年5月30日月曜日

今日も釣れた!連勝気分で上々の一日

新しい釣り場へ やっぱり開放感がほしい!

今日はGWとは違い堤防釣りではなく、3月に行った漁港に再チャレンジした。今日は漁港の外側、正確には河口となっているところをポイントとした。


新規の場所だったが、平日だったので場所取りの必要もなく気楽だった。3月に行った漁港内側に比べると海がよく見え、何より開放感があって良かった。やはり海釣りは開放感が付いてほしい‥という私のちょっとした願望も満たしてくれる場所だった。

ただ、今日は快晴で、当然ながら炎天下での釣りとなった。1時間程釣っては休憩(日陰で休む・トイレに行く‥)するなどして体調管理には気を遣った。日焼け止めクリームもばっちり塗っての釣りだった。


新しいアイテム導入 撒きエサの釣り

前回の小鯖20匹が忘れられず、今日は釣針を4号と小さ目にして、撒きエサをして釣ってみた。新しいアイテム、新しい釣り方である。


エサを浪費する感があるが、いちいち小網にエサを注入するサビキ釣りに比べると楽チンな感じがした。しばらくはこちらの方式を主流にして行きそうである。

そして、釣りを開始して間もなく、15㎝程のサバが釣れた。

快調である。人気も少なく、広々した空間でゆっくり釣りをする‥しかも釣れる!幸先が良い!


初めて釣れた!30㎝クラスのコハダ

そして、釣り開始から1時間ほどしてから、今までにない大物が釣れたのだ!30㎝クラスの「コハダ」という魚である。


3年程前、釣りを始めてまだ間もない頃、アジの回遊に遭遇して爆釣れしたことがあった。20~30㎝クラスのアジがバンバン釣れ、夢中になっていた‥あの時のアジの大きさを上回っていた。コハダの1匹目が取れた時はドキドキものだった。

結果的に3匹のコハダが釣れた。

4時間程釣ってエサが無くなった11時頃に今日は終了とした。

前回のGWの時は小さな小鯖がたくさん釣れ、今日は大物がバンバンと‥連勝気分に浸って大満足の釣りだった。


釣れるようになって来た 充実感のある釣り

本やネットで得た情報に加え、釣り場で見た「ウマい人」の釣り方を真似たりして、少しずついろいろな釣り方を覚えて来た事が効果を発揮して来ているのだろうか。釣れる回数が増えるほど、充実感が加速する。。

とても良い気分転換になっている「釣り」が、最近はさらに充実しつつあるように思える。

追伸

二日後、釣った魚たちは天ぷらにしておいしくいただきました。



2022年5月5日木曜日

小鯖大漁! 混雑覚悟の釣りは大成功!

朝3時起床 ギリギリで場所取り成功

今年のGWは3連休のみとなった。そのうちの1日は自宅持ち込みで仕事をするような有様だったが、そこそこ充実できた3日間だった。

長く避けていた「休日の釣り」であったが、最近は平日に行くこともなかなか実現できていないため、3連休最終日の今日、混雑覚悟で行ってみた。

今回は前回の漁港ではなく、いつもの堤防の釣り場に行った。工事のために行われていた釣り場閉鎖がGW中だけ解禁になったからだ。


朝3時起床。5時には現地到着。「休日の釣り」は最初に「場所取り」という大仕事があるのだが、なんとかギリギリで場所確保!

場所は確保できたが、やはり混み混み・・。

風景などあまり堪能することもなく、早々に釣り開始となったのだが、今日は釣果の方が快調だった。一投目から小鯖が釣れた。。


小鯖大漁! 仕掛けを入れると釣れる!

今日は「小鯖デー」のような日だった。海面に魚がいるのが見える。見える所に仕掛けを入れると釣れる!!といった感じだった。周囲の家族連れも大喜び。小さな子が小鯖をバンバン釣っていた。さぞ良い思い出になったのだろう。


私も例外なく釣れた。最初は深い底の方にサビキを落としていたのだが、あまり釣れなかったので、周囲の皆さんの真似をして海面付近で狙い出した途端に釣れ始めた!結局、私は20匹の小鯖が釣れた。

人の目から見えるところ(海面付近)で魚を狙う(そして釣れる)なんてちょっと目から鱗だった。今日は行き当たりばったりで始めてしまったが、次回はしっかり調べて50匹を目指したい。

釣った魚はありがたく天ぷらにしていただいた。

GWで家にいた子供たちも喜んで食べていた。もちろん私も食べたが、極上のウマさだった!繰り返すが、次回は本当に50匹越えを目指したい!


休日釣りのあるある 釣り場の割込み

ところで「休日の釣り」ではどうしても起きてしまう状況なのだが、「狭い所に無理に割り込んで来る輩」がいる。今日は、残念ながらその輩が私の隣に来てしまった。

手を横に広げれば隣の人に接してしまうようなスペースに割り込んで来た‥20代後半~30代前半くらいのおひとり様男子だった。

「マナー」を語ることは好きではないが「あー‥いるよな‥こんなヤツ‥」というのが隣に来てしまった。いい気分はしない。

輩の表情から察するに、自分のやっていることは理解しているようであったが、我を優先したのだろう。自身もいい気分ではないだろう。こーゆー輩のためにGWの良い雰囲気が台無しになってしまう。そうならないように私も完全無視していた。

ところがその輩、相当上級者で小鯖をバンバン釣上げる。腕は見事だった。しばらくして、向こう隣のお年寄りたちが「スゴイねぇ」と声を掛け出した。すると、輩はお年寄りたちに釣り方を教え始めた。

輩が教え始めて間もなく、それまで釣れていなかったお年寄りたちが次々に小鯖を釣上げる。当然、みんな大喜びだった。


我を貫いてサッと引き上げる輩

1~2時間くらいだったろうか。輩はお年寄りたちに釣り方を教え、自分もそこそこ釣ったところで引き上げて行った。お年寄りたちは「楽しかったよ。ありがとうね」と声を掛けていた。

ただ、擦れた考えかも知れないが、輩は「親切に教えた」わけではなく「聞かれたから答えてやった」くらいの感覚でいるように私には思えた。お年寄りたちが声を掛けなければ、至近距離で気まずい雰囲気の漂う釣り場になっていただろう。

良くも悪くも釣りをしていると、こんなこともある。今回もそのようにしたが、これからも、そのような輩にあまり惑わされる事なく、釣りを楽しみたいと思う。


2022年5月1日日曜日

万年ヒラの理由 スイッチを切ってしまった日

会社入社時 私のスイッチが切れた日

今年の4月、私の5年後輩の女の子が管理職に昇進することが分かった。今は別部署で一緒に仕事をすることはないのだが、長年、先輩後輩の間柄で接してきた間柄。4月1日からは私が彼女に敬語で話している。


情けなくも不甲斐なくもあるが、年下に頭を下げる生活になって、もう12、3年になるだろうか‥良くも悪くも慣れてしまった。いつの間にか職場では最年長クラスの万年ヒラである。

原因を挙げればキリがない。40代の頃は何かと会社のせい、人のせいにして来たように思うが、今となっては最大の原因は自分にあるのだと認めざるを得ない。20年前、私が今の会社に入社した時、私は完全に自分の中でスイッチが切れた状態になってしまっていたのだ。


安心感からスイッチ切れに

私は31歳の時に今の会社に中途採用で入社した。

20代は前職に就いていただが、学生時代を含め、10代後半から20代にかけては、完全な「スイッチON」の状態。常に目標を掲げ、それに邁進して進み続けるような生活を送っていた。いくつかの段階を踏み、いくつかの目標を達成し、転職して今の会社に中途で採用された事も「目標達成」のひとつだった。


しかし、今の会社に採用が決まった途端にスイッチが切れてしまった。今思えばそうなのだ。大きな転換点だった。

自分のスキルを伸ばしつつ、次の目標に進み続けられる。比較的安定した会社なので、無理なく焦らずやっていける‥そんな安心感すらあった。人生の大成功に直結できるステージに立てたと感じた。あとは努力次第で目標達成できると思い込んだ。これが逆に自分の中にあった原動力を失わせてしまったのだ。

燃え尽き症候群‥と呼んでいいのだろうか。


20年経ってようやく入ったスイッチ

転職を甘く見ていたところもあった。職種が変わるのに、その職について事前に調べることもなかったし、今までとは全く違う日々の業務‥困難であるのはあたり前なのに、前向きに取り組もうとしなかった。逃げの姿勢が前面に出てしまっていたのである。


これも理由を挙げればキリがないだろうが、最大の原因は自身のスイッチが切れてしまっていたことにある。やる気不足、パワー不足‥誰も助けてくれるわけはない。

あれから20年経ち、今になってようやく自分の中でスイッチがONになったような気がする。20年切れていた気持ちが入った気がするのだ。

それは後輩に先を越されたからではない。万年ヒラで減俸まで喰らってしまったからではない。あくまでも自分。自分の中で何かに気が付いたからだ。


自分の場合は会社を辞めれば転落人生

大して前向きな考えではないが、待遇に不満を持ち、会社を辞めたところで事業を立ち上げるパワーも実力も覚悟もない。収入が途絶え、待っているのは単なる転落人生だ。


ならば今の会社にしがみつき、年下に頭を下げ、どんな陰口をたたかれようと、前向きに頑張ってみよう‥と思った。それが、今の私の原動力なのだ。

今さら遅い。昇進などとも無縁であろう。夢も希望もない。頑張る動機としてはあまりにも低俗‥。なのだろうがそれでもよい。思いがけず、今、私はスイッチが入った状態になっている。

定年退職まであと13年。私の会社人生の後半戦は「ON」で進んで行く。


本当の自由はある 10代の自分の問いに答える

自由ってなんだ 問いかけた10代の自分

卒業・入学、退職・入社シーズンも一段落した。会社では私の所属する部署に新卒で新入社員がひとり加わった。家庭では次男が小学校卒業、中学に入学した。


毎年の事なのだが、このシーズンになると卒業をテーマにした音楽などを思い浮かべることが多い。私の世代でも誰もが知る卒業ソングは多くある。

そんな中で、当時「10代のカリスマ」と呼ばれていたアーティストの事を思い出した。

語ればキリがないが、楽曲の中に「自由」をテーマにしたものが多く、10代の頃の私は、そのカリスマ性に熱狂したものだった。

「自由ってなんだ」「仕組まれた自由」「縛られ続ける人生」

ここまで書けば、誰のことを言っているか分かる方も多いと思う(笑)。


50代となって思う自分なりの本当の自由

心で熱い何かを感じつつも、答えの出ぬまま、自由を見つけることもできぬまま、気付けば35年の月日が流れた。。でも実は、今になって思うようになったことがあった。

結論から先に書けば、

「自由ってあるんだ」

ということだ。


あくまでも持論である。他の方から見れば失笑に値するかもしれない。だから持論の域を越えないのだが、今になって私は自由を感じている。そして、10代の頃に喚いていた「本当の自由」とはこれなのかも知れない‥と感じている。

51歳‥大偉業を成し遂げたわけではない。事業を立上げて成功したわけでもない。会社で昇進を重ね重役に成り上がったわけでもない。万年ヒラである。でも、今、偽りなく「自由を感じられる」と言える自分がいる。


ぽっかり空いた休日の時間

言い方が悪いかも知れないが、振り返れば普通の人生だった。

卒業-入社-転職-結婚-子育て-介護‥


仕事は相変わらず忙しい。常にプレッシャーと時間との戦いである。会社に寝泊まりしたことも、人間関係に悩んだことも何度もある。でも、そんなこんなで25年生き残って来た。

私には子供がふたりいるが、成長し手が掛からなくなって来た。「日曜日はお父さんと遊ぶ」なんて事もなく。私の休暇日を子供のために使うこともほとんどなくなった。

一方で私は母親の見守り・介護を10年以上続けた。「買い物」から始まり、短い期間だったが「在宅介護」も経験したが、一昨年、母が亡くなったことで介護に使う時間もなくなった。今は月命日に墓参りに行っている。


本当の自由は安心感の上にある

子育てや介護に充てていた時間が、そっくりそのまま「空き」となる。平日は仕事で終電に乗って帰ることもあるのだが、休日はホントに休日なのだ。ホントに時間が空くのだ。。

そして‥

ホントの自由ってこれなのかも

と感じる自分がいる


人に言わせれば「大したことやって来てない」と言われるかも知れない「ありきたりの人生」なのかも知れないが‥「これはやっておいた方がいい」「これはやるべきだ」と思えることはすべてやったような気がする。

「達成感」と言えば美化しすぎだろうが、一応、自分の中でやるべきと思えることはできた‥と思える安心感‥。

その上に与えられる「自由な時間」こそが「本当の自由」なのかと。


人生そんなに悪いもんじゃない

今、休日は残った仕事を家ですることもあるが、それ以外は「自由」だ。誰に気兼ねすることもなく、誰にも拘束されず自由に時間を使っている。誰にも文句言われない。


「仕組まれた自由の果て」なのか‥「誰にも相手にされない中年男の負け惜しみ」なのか‥でも、偽りなく「自由を感じられる自分」を実感できていることも事実なのである。

10代の頃の自分へ答えとして、そして、できれば自分の子供たちに伝えられればと思うのだが、上手く伝えられるだろうか‥

人生は、そんなに悪いもんじゃないと。


2022年3月19日土曜日

16年目の父命日 不思議に感じた最後の急変

16年目の命日 もう16年 早いものだ

今日は16回目の父親の命日だった。もう16年経つのだ。。当時1歳だった長男は17歳。生まれていなかった次男は12歳。長い時間が過ぎたのだと実感せざるを得ない。今日の休暇は午前中早々に墓参りに行った。


いつも命日には「亡くなったその時」の事をどうしても思い出してしまう。命日に限るわけではないのだが、この日は色濃く思い出してしまう。そして、表題にも書いた父の「最後の急変」には今でも不思議に思っていることがある。


急に倒れて急に亡くなった父

10年近く病気や認知症と戦った母とは違い、父は「ある日、急に倒れて急に亡くなった」のだ。それまで普通の元気な生活を送っていたのに、脳内出血で急に倒れ、救急車で運ばれ、一度も意識が戻ることなく一週間後に亡くなった。当時、あまりのショッキングで急な出来事にどのように対応してよいのか・・悲しみと戸惑いで自分が委縮してしまっていることを強く感じたものだった。


最初の急変は自宅だった。この時、重篤な脳内出血で、緊急開頭手術、緊急輸血が必要と医師から話があった。家族で検討する余地もなく輸血の同意書にサインした。

2回目の急変は2日後の早朝だった。医師から「出血が脳幹に達してしまい、脳幹が機能を失った」と言われたのだが、混乱している母と私の耳に入っていなかった。

その日に集中治療室から一般病棟に移ったのは、病院からしてみれば「最期のお別れのため」という意図だったのだろうが、母と私は「入院時よりも顔色もよく血圧も平常時レベルである。助かったんだ。回復するんだ。」と思ってしまっていた。


小康状態の中で母と話した今後

2回目の急変から3日ほど小康状態が続いた。3日目の夕方に母と今後の話をした。父が倒れてから5日ほど会社は休んでいたのだが、小康状態が続くのであれば、会社を休んでばかりはいられないので、明日から出勤しようと。


ここで、母が「私は病室でおとうさんを見守りたい」と言い始めた。当時、既に足腰が弱り、外出時には車椅子を使っていた母であった。母の体力から考えると病室で寝泊まりするのも得策ではない、母の希望は「私が出勤前に母を病院に連れて行き、会社から帰宅後に病院に迎えに行く」というものだった。


私は承諾したのだが、一抹の不安を覚えた。


当時、通常でも1時間半程度の通勤時間であった。自宅から病院まで往復して車椅子の母を病室まで連れて行って帰宅するまでには1時間程の時間を必要とする。8時30分の出勤時間に間に合わせるためには、4時頃起床しなければならない計算になる。しかも、仕事の状況を考えれば、夜は12時前後の帰宅時間になることは容易に想像できた。


この生活を続ければ、私が倒れるかも知れない。。


そう思ったが、やるしかなかった。


最後の急変は父の意図なのか

しかし、その日の夜に、父の「最後の急変」が起こった。130台で安定していた血圧がどんどん低下していく。下がっては止まり、止まってはまた下がる。。そして、次の日の明け方に父は亡くなった。


この時、言い知れぬ悲しみと無力感の中で不思議に思ったことがひとつあった。3日間安定していた血圧が、なぜ急に低下の一途を辿ったのだろうか。何か意図すら感じるようなタイミングと容態の悪化だった。


意図・・・とは・・・


誰の意図・・・


まさか父の・・・


夕方に母と私で交わした「今後の話」は父が横たわるベッドのすぐ隣でしていた。父に意識があれば普通に聞こえる場所である。でも父は昏睡状態である。


まさか・・・聞いていたのか・・・


それとも、通勤前後に毎日母を病院へ送り迎えする時間的・体力的な厳しさに躊躇した私の気持ちが何らかの形で父に伝わったのか・・・状況を察して、家族に負担をかけたくないという気持ちから、父は自らの命をコントロールして去って行ったのか。


もはや絶対に真相などわかるはずもない。そして、その「タイミング」は単なる偶然である可能性の方が高い。考えても無駄である。永遠に結論は出ない。


命日が来るたびに・・・そんな思いに耽ってしまうのだ。



2022年3月16日水曜日

シーズン2022開始! 新規釣り場を開拓

釣り場って結構ある 新しい場所でシーズン開始

冬場はどうしても寒くて行く気になれないのだが、最近はかなり温かくなって来た。昨年同様釣り開始は3月となった。シーズン2022の始まりである。今日は平日の休暇、大潮を狙っての日程であった。

そして、今日は釣り場を変えた。いつもの堤防釣りは、堤防自体が工事中となってしまっていて、まだ終わらないためである。なので近隣で別の釣り場を探してみたところ、釣り場は結構あることに気付いた。そして、いつもの堤防よりも近い場所に程よい釣り場があった。今回は漁港である。


観光地であった前の釣り場に比べると派手さはないのだが、よくよく見てみると敷地も広く釣りができる領域も広い。平日なのでガラガラ。。場所取りをする必要もなく10時半頃現地に到着して11時頃から釣り開始となった。

新しい釣り場 新しい気分転換

漁港の特徴なのだろうか、港内は波が全くない。広大な釣り堀で釣りをしているようだった。静かに釣りを楽しみたいのであればうってつけの場所だった。漁船が出入りすることも多く、ここが港であることが実感できる。そんな光景を見ているだけでも結構な気分転換になる。


職場異動から半年。そろそろ異動先の職場でも残業が増えて来た。身体が疲れていることもあるのだが、今年はなるべく「朝4時起き5時釣り開始」なんてのはやめようと思っている。単純に疲れるからである。なので今日は8時に起床。ややグタグタ感があったが、11時頃から開始して3時間。。眠気もなく静かに楽しく釣りができた。


釣果はイワシ1匹‥その他アタリなし

今日は初めての場所の偵察も兼ねての釣りでもあったので、無理せずサビキ釣りを行った。案の定、3月では足下にまで魚が来ているなんてことは難しいのかも知れない。また、今日は漁港内深く外海から離れたところで釣っていたこともあるだろう。まったくアタリすらなかった。昨年と同じような状況である。

唯一、3cmほどのイワシ(‥かな)が釣れた‥というより引っ掛かったのだが即リリース。。3時間で釣果はこれだけだった。


ただ、周囲を見るとめざしを連針でバンバン釣っているおじいちゃんが何人もいた。5m級の長い竿でたぶん疑似餌を使っているのだろう。6、7本の連針すべてにめざしが掛かっている竿を上げている‥うらやましいと思うと同時にどうしたらあの域に到達できるのだろうか。たくさん釣っためざしを天ぷらにして食べたら、さぞウマイのだろう‥想像は膨らむばかりだった。


今シーズンも1日でも多く釣りに行きたい

温かく天気も良く平日で釣り場はガラガラ。。空と海に挟まれて釣り場で一人昼食のパンを食べる‥今年もこんな時間を多く作りたいものである。


総じて今日は収穫の多い日だった。新しい釣り場はリピートするのに十分条件が揃っていたし、何より前の堤防より移動時間が15分ほど短いところが利点だった。15分‥往復で30分‥貴重な時間に思ってしまう‥これは冴えない会社員の悪いクセなのだろう。。

これで釣果が伴えば最高なのだが‥このブログで同じことを何度も書いているようだが、今日もそんなことを思ってしまった。とにかく2022のシーズン始まりは悪くないスタートだった。


2022年2月12日土曜日

友達って何だったのだろう 友達がひとりもいない今考えてみる

ふと、昔の友達からショートメールが来た

先日、高校時代の友達から十数年ぶりにショートメールが来た。

数年前、スマホが破損してしまった時に電話帳が消去されてしまったため、正直、そのメールが誰からなのか分からなくなっていた。仕方なく「誰?」と返信して名前を教えてもらった。十数年、年賀状だけの付き合いでしかなかったが、久しぶりの「年賀状以外」でのやり取りとなった。本当に久し振りで、何だかいつもと違う心の和みを感じた。


もう、はっきり認識しているが、今の私には友達付合いがない。皆無である。

仕事・子供の世話・父母祖母の通院、介護などに追われ、いつしか友達との付き合いが無くなっていた。自分の時間は「寝る」とか「掃除する」とか‥である。自分の時間がないわけではない。でも短くて、疲れている場合がほとんど。その時間に友達と予定を合わせて遊びに出る‥なんて余裕もパワーもない‥だから友達と会わなくなるのだ。

いつしか十数年来友達と会わなくなった。ご近所付合いもせず、何かの集まりに参加することもない。会社での人間関係と家族だけ、気付けばスマホの電話帳に友達の名前はなかった。


気が付けば友達がいなくなっていた

あたりまえだが、学生時代は友達との付き合いがほとんどだった。学校、部活動、バイト先‥友達の友達がまた友達になる。それが何故今は皆無なのか。友達なしでもやってこれた十数年来の現実‥友達って何なのだろう‥。


ここ数年、職場でふと思うことがある。自分と同年代でやたらと年下の職員となれなれしく交流しようとする人物‥職場でやたらと友達関係を築こうとする人物‥そんな輩に限って同年代とはウマク仕事ができない。

もちろん、人間関係の構築は必要であるが、本来必要なのは「仕事を遂行するために必要な関係」であり「学生時代のような友達」ではない。周囲の空気を読まず、忙しい雰囲気の中で堂々と長時間世間話をしている姿は怒りを覚える。

そんな輩は基本的に「友達」としてではなく「自分の防御壁」として人間関係を築く。あくまでも「一人でいられない恐怖」から人との接触を望む。相手の迷惑は考えずに自分のために繋がりを求める。だから同世代から見放され、近しい後輩からも見放され、大きく離れた年下としか繋がることができないようになる。「自分だけのため」に関係を構築する輩の顛末である‥と私は思っている。


自己中心的な考えを実感した時

でも、そんな輩を悪くばかりは言えない。私自身はどうなのだろう。会社では仕事優先の人間関係。プライベートでは友達なし。会社の人とプライベートで会う事など皆無。仕事帰りに本当に稀に飲みに行く程度である。それだって年に数える程だ。


「自分だけのため」

それは私にも心当たりがある。正直に言えば、学生時代の「友達」には、皆、付き合うための目的があったように思える。純粋に友達と呼べる繋がりがあっただろうか‥そもそも「純粋な繋がり」とは何なのだろうか。

「クラスの中で孤立を避けるため」「自分自身を成長させるため」「恋人を作るため」

こんなところだろうか。中学から高校生の頃は最初の目的だったっと思う。目的としては後ろ向きだ。10代後半から20代になると、どんどん2番目から3番目の目的にシフトしていく‥要するに自分だって「自分だけのため」に友達を作っていたことは否定できない。

33歳で結婚した。仕事や家庭を持った事も大きな要因ではあるが、その頃から急速に友達との交流が減ったことも確かだ。ただ、それは仕事や家庭の要因だけでなく、そもそも自分自身が友達との繋がりを必要としなくなったことが最も大きな要因である。

この「必要としなくなった」と実感してしまっている自分自身の人格に、何か失望を感じてしまう時期もあった。自分の本質はこんな冷たい自己中心的にモノなのかと‥。


一生の友達は一生かけて作る

ただ、今は違う。先日もらった昔の友達からのメール。心の中は懐かしさだけだった。目的も損得勘定もなしに付き合える関係。そんな関係を構築できるのは、もしかしたらこれからなのかも知れない。そんな希望が見えた。

人生の3分の2を過ぎて初めて理解できる(かも知れない)友達という存在。

「一生の友達は一生かけて作る」

そんな言葉が実感できた友達からのメールだった。


おとうさんの休日 転職後初めての釣り紀行

休止していた趣味の釣りを再開  4連休2日目。介護職に転職後、初めての釣りとなりました。約1年半ぶり・・。やっぱり昨年は気持ちの部分でも休暇日程の部分でも釣りに行くゆとりがなく、結局、趣味で月2回くらい行っていた釣りを1年以上休止してしまっていました。 今後も月2回は難しいですが...