2023年3月19日日曜日

父命日の食事とかけがえのない心の支え

毎年思い出す父急死の過程

今年で17年目。また父の命日がやって来た。当時1歳だった長男が4月から大学生。次男はまだ産まれていなかったが4月からは中学2年生である。そのくらい年月が経ったのだ。


毎年この時期になると当時の事を思い出してしまう。17年経っても変わらない。父は言ってみれば「急死」だった。それまで元気だった父が急に倒れて一週間で亡くなった。一度も意識を戻さぬまま。あまりにもショッキングだったので、今でも倒れてから亡くなるまでの一週間の事はかなりはっきりと覚えている。


なぜ薄いのか 父死後の私の記憶

そして今年は特に暦(曜日)が当時と同じであるせいか、より色濃く思い出されるのである。13日の月曜日に父は倒れ、19日の日曜日に亡くなった。


でも今日、ふと思ったことがあった。父が倒れてから一週間の間の出来事はかなりはっきりと覚えているのだが、亡くなった後のことは記憶が薄い。19日の早朝「ご臨終です」の医師の言葉を聞いた後の行動をあまり覚えていないのだ。

もちろん、父の死を親族に連絡し、葬儀の手配をし、身体の弱い母と共に父を葬祭場まで連れて行ったのだが・・覚えてはいるのだは記憶が薄いのだ。これは父の死を境に大きな気持ちの変化があったからなのだろう。大事(父の死)が起きてほしくないと願う強い気持ちから、起きてしまった後の諦めの気持ちへの心の動き。。これが私の記憶に影響を及ぼしたのだろう。


父命日の食事 食べる気などなかった

そしてもうひとつ。。当時、食事は何を食べたか・・がはっきり思い出せなかった。


17年後の今日、朝は前日の夕食の残りをベースにごはんとみそ汁。昼は弁当。夜はこれから自宅で食べる。当時のことを思い出しながら1日を過ごしているうちにふと思い立った疑問だった。

早朝に父は亡くなった。朝食の事などまるで頭になかった。当然朝食抜き。食事のことを思い立ったのは、昼頃に家内のお母さんから「食事してるの?そろそろお昼よ」と言われた時である。そういえば母も私も何も食べてないとハッとしたが、当然食欲などなく、何も食べたくなかった。

でも家内のお母さんに即され、仕方なく葬祭場の傍にあるコンビニでざるそばを買って食べた。普段4、5分でつるっと食べるようなものだが、当時は食べ残したと記憶している。

そして夕食は覚えていない。

葬儀屋さんも帰り、駆け付けた親戚の皆さんも一旦帰宅。親子3人だけになった葬祭場で何か食べたはずであるが全く覚えていない。もちろん、食事になど気が向いていなかったからなのだろうが・・


厳粛な気持ちが私の心を救っている実感

毎年この一週間は厳粛な気持ちになる。2年前からは母の命日も加わり、年2回、厳粛な気持ちになる期間が私にはある。


ただ最近は厳粛なだけでなく、普段の会社ストレスにまみれる中で、厳粛な気持ちが私の心を救ってくれていると感じることがある。父母を思う厳粛な気持ちが会社ストレスよりも優先されて・・その思いに浸る。結果、会社ストレスが軽減されるのだ。

父母が残してくれた救いの気持ちが思いがけない効果をもたらしている。これからの私の人生おいてひとつの支えになることは間違いないし、事実、今そうなっている。

かけがえのない無償の支えである。


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