誕生日のたびに確認するモノ
昨日、誕生日だった。ここ数年、はっきりした記憶はないのだが、誕生日のたびにビジネス手帳の年齢表を見ているような気がする。自分が何歳だったか確認するためだ。
今年もやってしまった。今回の誕生日で51歳だったか52歳だったか曖昧になってしまったからだ。
確認の結果52歳。50代もそろそろ入口から中盤に入って行く。そんな感じがした。
普通に出勤、普通に仕事、普通の一日
昨日は普通の出勤日。普通に会社に行き普通に仕事。誕生日であることは誰からも言われず、私からも言わず。SNSに入る祝福メッセージも見ていない。。家族からも特に何もなし。。淡々とした普通の一日。
たまたまだが、仕事的には昨日は散々。イレギュラーな対応ばかりで仕事が進まず結局残業。夜の12時前に家に着く。帰宅した頃にはもう誕生日は終わり。周囲のほとんどは気付いていない、または私の誕生日など知らないのだろうが、知っている人も特に声を掛けて来ない。。私の今の人間関係を象徴するような「自分の誕生日のあり方」と言っていいだろう。
誕生日への想いと自分の願いと
ただ、負け惜しみと言われるかも知れないが、そんな「あり方」でも特に寂しくもなく、これでいいと思っている自分がいる。いきなり「おめでとう」と言われ、プレゼントでも貰おうものなら逆に戸惑っているだろう。
持論だがそんな「あり方」は、結局自分が選択した結果であると思っている。誕生日に多くの方から祝福されたいのなら、そのような人間関係作りをするのだろう。自分はそうして来なかっただけである。独りよがりかも知れないが「祝福されない=人間性・人生の否定」ではないと思っている。
あくまでも自分の場合に限った話だが、私の誕生日を気遣い、その人に煩わしい思いをさせてしまうようなら、今のような「スルー」で十分である。「なにもない」が気軽で気楽でちょうどいい。
ただひとつ、自分の願いは次の誕生日も昨日のように普通の日であってもらいたい。月並みだが、病気も事故もなく普通の一日であることを祈るのである。



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