2020年10月21日水曜日

母の永眠 お疲れさまとありがとう 長かった6年半の旅

容態急変 コロナ渦での最後の面会

 2020年10月18日23時5分、母が亡くなりました。76歳でした。


17日夕方から容態が急変。会社にいた私は早退して自宅に戻り、すぐに長男を連れて病院へ急行。コロナ渦で面会禁止の中、特別に2人での面会許可をいただきました。意識はなく、これまでになかった荒い呼吸。看護師さんの説明によると酸素吸入器は100%での稼働状態。これ以上酸素が必要な状態になれば、それはそのまま死を意味するとのことでした。

何度も大声で呼びかけました。「孫(長男)が来た」と呼びかければあるいは‥(反応があるかも知れない)との期待もむなしく母は荒い呼吸をしたまま‥長い面会はできず(コロナ渦のため)、10分程で面会終了しました。

次の日も特別に許可をいただき、今度は家内と長男を連れて病院へ。同じように孫(次男)が来たことを大声で伝えるも反応はなく、昨日100前後を示していた血圧計が80前後となっていたことに不安を覚えつつ、昨日と同じく10分程の面会で病院を後にしました。

自宅に戻ってからは、立て込んでいる仕事を在宅リモートで行いました。ただでさえ込み入っていた業務の中、昨日の早退の影響もあり、仕事に没頭せざるを得ない状況。とりあえずの区切りがついたのが22時半頃でした。

そして、仕事を終えたのを見計らったかのように病院から電話。悪い予感しかしない電話の内容は「母が非常に危険、間に合わないかも知れない」とのことでした。直ちに自宅から病院へ急行。病室に入ると、そこには既に息を引き取った母の姿がありました。

間に合わなかった。

でも涙は出ませんでした。最後に孫たちに面会させることもできた。何より父が亡くなってっから10年以上、母を見守り、介護をしてきた事実が私を支えていました。後悔はありませんでした。

自宅、病院、老健、特養‥長かった6年半の旅

忘れもしない、母の体調が本格的に悪くなったのは2014年4月に2回目の脳梗塞を発症して入院してからでした。そこからは転院、老健へ移動、体調が落ち着き、老健を退所したかと思いきや1カ月も経たないうちに病院の入退院の繰返し、また老健、特養へと移動‥特養で落ち着いたかと思えば1年も経たないうちにまた体調が悪化して再入院‥。

膠原病、脳梗塞、全身性エリテマトーデス、骨粗しょう症、認知症、そして2016年の年末には白血病の診断まで受けました。

白血病の診断を受けると、その頃入居していた特養が入居の継続を渋るようになりました。白血病と言っても急性のモノではなく、体調が落ち着けば退院してほしいというのが病院の意向。「退院せよ」という病院と「受入れできない」という特養とが真っ向対立。結局「自宅介護」という形に‥。

介護などほとんど素人の私、会社を辞めるわけにもいかず、ケアマネジャーさんと綿密な計画を立て、通いのヘルパーさんなどの力も借りて、早朝、夜間のオムツ交換は私がやり、普段の食事は高齢者用の宅配食を依頼し‥なんとか在宅介護の形を整えましたが、そこまでしても家内が納得せず‥。その頃を境に家内とは家庭内離婚状態に‥。

しかし、そもそも多くの病気を患っている母が、健常者と共に自宅で生活することには無理があり、2ヶ月程で母は体調を崩し救急車で運ばれて再々入院‥その頃、断絶していた特養と和解し、退院後は特養へ移動するも、退院しては体調を崩しの繰返し、再再々入院、再再再々入院‥病院と特養の行き来を何度繰返したか‥

奮闘虚しく母の体調は悪くなる一方

最後に入院したのは2017年の年末でした。その頃は意識ははっきりしているものの、認知症と骨粗しょう症が進行し、車椅子での生活はNG、円滑なコミュニケーションを交わすことも難しい状況になっていました。

時と共に徐々に目が悪くなり、起き上がる事が難しくなり、会話が難しくなり、呼びかけても反応できなくなり‥2020年2月‥いわゆる「コロナ渦」の直前には、大声で呼びかけても目を開くか否か‥という状況でした。

そして、その後はコロナ渦の影響で病院全体が面会禁止に。

最後に始まった入院生活から2年半‥2年10ヶ月‥。この6年半で最も長く「同じ場所に滞在」することができた‥。長かった「母の旅」は、ここでようやく落ち着いたのでした。

わかるのかな‥ここは自分の家

夜中に亡くなったのですが、朝まで病院にいることはできません。すぐに葬儀社に連絡。日付が変わって1時頃に帰宅しました。文字通り無言の帰宅。3年前の在宅介護で帰宅した時、あれほど戻りたいと言っていた「自分の家」に戻ったというのに、認知症が進み、母は自宅に戻ったっという実感がなかったようでした‥これは、私にとって大きな衝撃でした。

今はどうなのだろう‥かつての「自分の部屋」で横たわっている母。自分の家に戻って来ていると実感できているのだろうか‥。

病院、老健、特養、自宅‥行ったり来たり出たり入ったり‥いつしか自宅を忘れ‥どこがどこだかわからなくなってしまったのだろう‥6年半の長さは計り知れず、母から自宅の記憶すら失わせてしまった‥そんな旅も終わり。もう終わりなんです。

いろんな事を学んだ‥ホントにいろんなことを

母にどんな言葉を掛けたいか‥葬儀社のスタッフにこんなことを聞かれました。私には「長い間、お疲れ様でした」よりも先に思い浮かんだ言葉がありました。それは‥

いろいろな事を学ばせてくれてありがとう。

でした。

もちろん「利用者」の立場からですが、病院のスタッフ(医師も含む)や介護施設で働く人々‥もちろん大半は「困っている高齢者や病気の方々を助けたい」という信念に基づいて仕事をしているでしょう‥しかし、そんな人ばかりではないということ‥時には疑問を抱くようなスタッフもいる‥ということ。

病院や介護施設にも「限界」はあり、限界を超えれば利用者は「問題児」となり、疎まれる存在になるということ‥。そんな現場に晒されたことが何度もありました。私と結婚した家内でさえも‥そんな人間模様、医療や介護に関する社会的制度に詳しくなっただけでなく、そこに従事している「聖職者」は「神様」ではなく「人間」であるということ‥この6年半、母を通して本当に多くの事を学ばせてもらいました。

母の身を持っての私に対する教育‥だったのかも知れません。

孫たちへのメッセージ 大切な命の教育

「母の教育」は私の子供たち(母の孫)にも影響しました。コロナ前は何度も病院や介護施設に何度も面会に連れて行ったからです。時には外出許可をもらって食事を共にしたリしました。自力では階段の上り下りができない母、補助具の付いた箸でないと食べられない母‥そして何より、認知症でコミュニケーションが難しい状況になった母に直接会ったことは、彼らにとって衝撃でもあり、言葉では表現し難い「命の重み」を実感できたに違いありません。

そして死の直前、変わり果てた姿の母、内出血のアザだらけになっている腕を見た子供たちに、今の私では不可能な教育を子供たちに与えてくれたのだと確信しています。

本当にありがとう。本当にお疲れ様。

父が亡くなって14年、母が「デイサービスに行きたい」と言い「要支援1」から始まった要介護度も最後は「要介護5」。本格的に体調を崩してから6年半‥もうわからなくなってしまったかも知れないけれど、今は「自分の家」にいます「自分の部屋」にいます。

お寺や葬儀屋さんとの打ち合わせも終わりました。エンバーミングも済みました。

明日は「お通夜」です。あとは葬儀と納骨‥かな。最後までやります。全部やります。安心しててください。


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