夫婦倦怠期4年 解消の糸口が見えない
まさに夫婦倦怠期と呼ぶのだろう。結婚して15年。私たちは今その真っただ中にある。「~期」というからには、それは一時的な「時期」であり、いずれはそういった状況(姿を見るのも声を聞くのも無理‥)は解消されるような感じもするが、そんな気配は全くない。
状況が顕著になったのは忘れもしない4年前、2017年の出来事である。。
簡単に言えば、私の母の介護を廻って、私は家内に信頼を寄せることができなくなった。今風に言えば、家内に対するリスペクトを失ったのだ。
以来、会話はほぼなし(家庭や子供に関する必要事項のみ)。可能な場合はメールや筆談で済ます。食事は子供が家にいる時は共にするが、私と家内だけの時は別々。こんな生活になって今年で4年。昨年からのコロナ渦で、私の在宅勤務が増え、必然的に顔を合わせる回数・時間が増えただだけに、状況はさらに顕著になった。改善の糸口など皆無。夫婦が居合わせる空間では、ただただ重い無言の時間が流れる。
母の介護をお願いするのは理不尽なのか
「母の介護を廻って‥」と言えば、「それを夫が奥さんに押し付けるのは理不尽」と言われる方が多いだろう。それは私も120%承知である。便宜上「介護」という言葉を使ったが、私が家内にお願いしたのは「私が出勤中で物理的に不可能な時間帯での対応」だった。母の介護に関して追い詰められた上でのお願いだった。
2017年に母の身にこんなことが起こった。
・特別養護老人ホームに入居していた母が体調不良を訴える
・強い貧血のため救急車で病院に搬送
・精密検査の結果「慢性の」白血病と診断される
「慢性の白血病」とは不可解だったが、急激な病気の進行は見られず、かといって体力的に抗がん剤治療は難しいとのことで、当面、「貧血」に対する「対症療法」として輸血を月に1~2回行う事となった。そして数か月の入院後、母は元気を取り戻し「退院」が見えてきた頃に異変が起きた。
入居していた特養が退院後の受入れを拒否して来たのである。「慢性」でその進行がほとんど見られないとのことでも「白血病患者の面倒は見れない‥」とのことだった。
病院側も「輸血」以外に治療らしい治療をしていないので入院を継続する事は難しい‥とのこと。ここに母は「行き先」を失ったのである。
老人の押し付け合いとなった「三者面談」
退院前の「三者面談」。主治医と特養職員と私‥事実上「老人の押し付け合い」。実の子としては耐えがたい場だった。「聖職者」という言葉に対しても不信感が確定的になったのもこの面談の時だった。
この時は主治医からもかなりの「圧」を感じた。受け入れを渋る特養職員を横目に「最終的にはあなた(私のこと)の覚悟が必要なんじゃないですか?」との発言‥。
既に認知症が進み始めていた母、状況をどこまで理解していたかは不明(白血病の本人への告知はしていない)だが、当時「家に帰りたい」という発言を繰り返していたこともあり、私は「在宅介護」を決めた。当然、一部始終を家内に相談してのことである。
会社を辞めずに在宅介護を実行する方法
「在宅介護」と言っても、私が会社を辞めるのは、あまりにも経済的に危険なので、介護保険の上限ギリギリまでサービスを使って対応することにした。1日2回、訪問ヘルパーさんに来てもらい、身の回りの世話をお願いする。ただし「おむつの処理」は最低でも1日4回は必要(ケアマネさんの指導)なので、早朝(出勤前)と夜(出勤からの帰宅後)の2回は私が担当。昼間の2回をヘルパーさんにお願いした。ここに家内の担当は私の判断で避けた。
母の朝食は私が(出勤前に)作り、昼、夜は「老人向け宅配食」を毎日デリバリーしてもらった。当時、母はまだ「自分で食事をする」ことはできていたので、食事を母の元に運ぶだけで、母は自分で食べてくれていた。
家内には「宅配食を業者から受け取って家内に渡す」ことと、急用で母が人を呼んだ時(私もヘルパーさんもいない時)に対応することをお願いしたのだが‥
実際に「在宅介護生活」が始まってから数日で家内の態度が豹変した。
家内の話では母の認知症が原因と思われる特異な行動(キレる、何度も呼び出す)があったそうだ、そして、直接口にはしなかったが「面倒見きれない」という態度がアリアリだった。しかし、私が私が休みの日に母の様子を伺うと、そのような特異な行動は稀に見受けられる程度であったが‥家内は受け入れない‥この辺から、私の家内に対する不信が始まった。
致命的な不信感 困窮時に届かなかった「家内の手」
当時、まだコミュニケーション能力は残っていた母、私は「用はなるべくヘルパーさんか私に言う」ように話したり、必要なことは画用紙に大きく書いて母の見える所に置くなど工夫して、何とか「私が会社を辞める事態」を防ぐように努力した。
しかし、家内の悪態は納まらなかった。
私が勤務から帰ると、明らかに「私は疲れている」という態度でリビングの椅子に座ってテレビを見ている‥ちなみに、当時、家内は今やっている「パート」はしていない。全日、在宅している状況だった。
「全日在宅」だからといって、「ヒマ」だとは言わないし、「夫の母の介護を頼む」ような時代でもない、私も母自身もそれは望まない。ただ、「私の退職」は母どころか子供たちを含めた家族全体を巻き込む事態になるため、それを避けるために家内にはサポートをお願いしたのだが‥
その気持ちは通じていなかったようだ。
「家内の反応」は私にとってはショッキングだった。「追い込まれた時の人の本性」を垣間見た感じで、それが「自分の妻」であり、それが「最低の人間性」に見えたからである。
「退職」を回避し、私を中心にケアマネさん、ヘルパーさんを含めたチームに家内も加わってもらう‥そのことにすら「不満」を露わにした家内‥「母のため」とは言わない。病院からも特養からも受け入れを拒まれ、追い込まれた私に協力できない‥それを夫婦と呼んでいいのか‥私の葛藤が始まる‥。
崩れ去る夫婦としての感情 決定打となった一言
夜、帰宅後に憮然とした家内の態度を尻目に母の「下の処理」をしたタオルを手洗いする(洗濯機は衛生上問題があるとのことで)‥そんな毎日。病院も老人ホームも‥そして自宅でさえも快く迎えられない‥夜のおむつ替え‥母の大便の処理をしながら、私たち親子は「介護弱者」(そんな言葉があるなら‥)に陥っていることを悟った。
しかし、その生活は2ヶ月で終わった。母の体調が再び悪化して、また救急車で運ばれてしまったためである。その時の家内の安堵したような表情は今でも忘れられない。。
そして、母の「再入院」の数週間後、私の家内に対する不信感を決定付ける出来事があった。私は母の再入院後、不信感を抱きつつも家内との関係改善を望んでした。「いろいろと(母の事で)苦労を掛けてすまなかった」という体で家内に接するよう心掛けていたのだが‥。
その時は、子供(当時小学2年の次男)を交えた何気ない会話だったが、偶然、話題が母のことになった。「介護(自宅での)は大変だった」っといったような話をしていたところ、家内から一言‥
「おとうさん(私)は、おばあちゃん(母)の面倒を見るのがイヤだっただけだよね。」
この時、私の中で何かが崩れ去った。
悲しみ、怒り、諦め、呆れ‥などなどが入り混じった感情‥
即時、怒り狂って家内に反論すべきだったかもしれない。「怒り」を前面に出さずとも、発言の真意を問いただすべきだったかも知れない。でも、その時、私にはできなかった。「驚き」と「動揺」で私の思考が停止してしまったからだ。
この言葉の真意は、後年になって家内に直接聞いたが不明だった。家内はこの言葉を覚えていないと言っていた。どういうつもりの発言だったのか。「何気なく」で許される言葉なのか‥子供の前で‥。
離婚しない理由 「子はかすがい」を実感
今の状況であれば、離婚しても心情的には後悔はないだろう。ただ「子供のため」「慰謝料などの経済的な理由」から踏みとどまっている感じだ。「子はかすがい」とは本当によくできた言葉だと‥身をもって実感している。
「昔のことを根に持つな」「ありふれたサラリーマンがそんなことを言えるご身分か」「それもこれもすべて自身の不徳」などなどの考え方もある。そんな葛藤と4年間戦い続けている‥
家内はたぶん、私自身が体調不良に陥っても面倒見てはくれないだろう‥口では愛情らしきことを語っても、その実が感じられない‥自分が最も追い詰められた場面でそっぽを向いてしまった女‥その女をこれからどうやって信頼して行けばいいのだろうか‥
そう思うと「信頼回復」「夫婦としての関係回復」は今のところ考えられない。







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