2020年9月9日水曜日

胃ろう造設を主治医が承諾 苦悩の1カ月

胃ろう造設に対する考え方は様々

昨日、主治医との面談があり、母への胃ろう造設について話し合った。

昨日は全日在宅勤務の予定だったが午後休に変更、やや急ぎ気味に仕事を片付け病院に向かった。7月に主治医から胃ろうの提案を受けてから1ヶ月程、ネットで調べたり、以前お世話になった特別養護老人ホームのケアマネージャーさんや地域包括支援センターのスタッフの方に意見を聞くなどした上で面談に臨んだ。

結論から言うと、胃ろうについて主治医の意見は「お勧めできない」、ケアマネさんは「やった方がいい(というニュアンスの意見)」、包括支援センターのスタッフさんは「ご本人(私のこと)が後悔しない選択を‥」。

要はそれぞれの立場で、バラバラなのだ。

ネット上でいろいろ調べてみると、「体力回復の見込みがある胃ろうは賛成」「延命目的だけの胃ろうは反対」というのが大方の意見のようだった。ただし、圧倒的に多いのが後者。胃ろうを検討するのは終末期の高齢者である場合が多く、「胃ろうによって生かされるだけ」のような状況を避けるために、近年は、あえて胃ろう造設を行わないケースが多いのだという。

意見は参考、判断は自分 命の期限を決める日

「本人(母のこと)の意思が最も重要」とのことだが、今は認知症の進行と体力の低下で寝たきり、コミュニケーションを取る事がほぼ不可能な状況。父親が亡くなり、一人っ子の私が第一介助者になって十数年になるが、胃ろうに対する母の考えなど聞いたことがなかった。

主治医の話では「口からの食事がほとんどできない状況」を鑑みると「胃ろうを行わなければ余命は2~3ヶ月」とのことだった。ただし‥、


「胃ろうを行ったとしても、それでどの程度延命できるかは不明」


らしい。ロクな希望がない‥。結局、「誰かがこういってるから」「大勢がどうだから」といったスタンスは通用しない。最後は自分で判断しなければならないようだ。大袈裟かも知れないが、いくら自分の親だと言っても「命の期限を決める」などという選択を迫られる日が来るとは夢にも思っていなかった。

胃ろう造設を希望 単なる延命ではない母の「役割」

1ヶ月、かなり悩んだが、最終的な私の意見は「胃ろう造設を希望する」にした。

コロナ渦で5ヶ月面会できなかったのも私の判断を大きく鈍らせる要因だった。直近の母の様子を知りもしないのに「判断する」ことへの抵抗もあった。なので、こんな風に考えた。

今、母がコミュニケーション可能な状況だったと仮定して、胃ろうの相談をした時に、母は「そこまでして生き続けたくない」と言う可能性はある。しかし、私から「私や子供たち(私の子、母の孫)が胃ろうを希望している。おばあちゃんに長生きしてほしいと願っている」と言えば、それを拒否することはないだろう。

主治医にもそのように伝え、胃ろう造設に同意してもらった。

確かに今の母への胃ろう造設は「単なる延命」かもしれない。でも、母にはまだ重要な役割がある。それは、高校1年生と小学5年生の子供たち(私の子、母の孫)への教育。命の重みを伝えることである。既に、幾度となく子供たちを病院に連れて行っている。ここ半年はコロナの影響で面会が叶わないが、生きてさえいれば、また面会できる日も来るであろう。話はできなくても、そのままの姿の「おばあちゃん」に会うことで、今の私には不可能な「命の重み」を伝えることが母にはできるのである。

外科医が加わっての本格的な検証へ 数日間の「判断待ち」

話し合いの後にいろいろな「同意書」にサインした。主治医の話によると、これから胃ろう造設を実際に行う外科医の検証が始まり、「胃ろう造設が可能かどうか」の検証を行うのだという。

これは意外な展開だった「主治医の同意=造設への動きが開始」ではなかったのだ。少し早合点だったが、「検証」はすぐにでも行われ「可能かどうか」の判断はすぐに出るそうだ。

なので数日は「判断待ち」である。


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