2021年1月4日月曜日

友達とは何だったのだろう 喪中はがきと年賀状のやり取りで

今、私には友達がいない

少し大袈裟な言い方かも知れないが、今、私には友達がいない。仕事に明け暮れ、休日も自宅の用、子供の用に明け暮れているうちに、いつしか友達との付き合いが皆無になった。

スマホに登録している電話番号のほとんどは会社の知り合いである。



そんな私にもかつては少なからず友達がいた。今思えば一番友達が多かったのは、やはり学生時代。

毎週土曜の夜にカラオケボックスに集合し翌朝まで歌っていた友達がいた。軟式草野球チームを作り毎週日曜日に集まって行動していた仲間もいた。彼女が欲しくて作戦会議をしてから合コンに臨んだ友達、BBQ、スキー、テニスなど休日や平日の夜などに一緒に遊びに行った友達。。

友達が友達を連れて来て、また友達になる‥年々友達が増えて行った‥携帯電話に登録する電話番号もどんどん増えて行っていた。しかし、就職して友達の増加が頭打ちになる。

そして‥

友達となかなか会う機会が作れなる。

会うたびに「久しぶり」‥と言うようになる。

長期休暇の時にしか連絡を取り合わなくなる。

会わない間隔が年単位になる。

いつしか年賀状だけのやり取りになる。

いつしかSNSの記事で近況を確認するだけになる。。

「友達とは?」 経験からでしか得られない答え

仕事に追われ、休日くらいは一人でいたいと思うからなのだろうか、結婚して家庭を持ち、休日は家庭の方に時間を使っているからなのだろうか‥はっきりした理由は分からないが、とにかく、10代、20代の頃に比べると「プライベート」の中に「友達」が入って来なくなって久しい。


そして、恐らく、それを寂しいと感じていない自分がいる。友達が減り始めてもう20年にもなる。友達との付き合いが途切れてもう10年以上になるだろう。ケンカしたわけでもないので、寂しいと思うのであれば、自分から接点を求めて行動するだろうがそれもしない。。

中学生や高校生の頃に思い悩んだ「問い」を改めて問う‥友達とは何だろう‥。今思えば、私の場合、友達はすべて「自分のため」に作っていた。

「自分のための友達」それでよかったのか‥

もちろん、幼少時代からそんなことを考えていたわけではないが、10代後半から20代にかけての私の「友達」は皆そうだった。「自分の能力向上のため」「自分の人間性向上のため」「自分の経験値を増やすため」「自分の恋人を作るため」‥友達として付き合ってくれた皆様には申し訳ないと思うが‥事実である。私に「友情」なんてあったのだろうか。。


就職・結婚を経て、歳を重ねるごとに、自身の向上に「友達の存在」を必要としなくなった。30代以降、友達ができなくなった最大の理由はそれである。「できない」のではなく「作らない」のだ。必要ないから‥。

これは自分でも感じるが、人情という点から考えれば最低である。「あれ、オレってこんな人間?」と思うこともしばしば‥。50歳となり、私にとって「友達とは」の答えがこれである。善し悪しなど考える気はないのだが‥少しの虚しさを感じる。。

喪中はがきと年賀状 チグハグな往来に憂鬱

昨年の10月に母親が亡くなった関係で11月には友人・知人に喪中はがきを送ったのだが、繋がりの深かった学生時代の友達2人(A君とO君)から年明けに年賀状が来てしまった。ふたりとも上に書いたエピソードのすべてに登場するような繋がりの深い友達だった。

「A君」には喪中はがきを送っていたが、年賀状が来てしまった。「O君」には喪中はがきすら出していなかった。。


もちろん、非礼を咎めるような間柄ではない。最低限の礼儀には配慮するが「あ!ワリィ―ワリィ―」で済んでしまうような仲である。ただ、かつては、あれほど共に遊び歩いた友達であったが、今では「年賀状のやりとりだけ」になっていた。

そしてさらに「ハガキのやり取りすらチグハグ」になってしまっているようだ。。先程、ポストに届けられていたふたりの年賀状を見て、そんな感慨を覚えた。

でも、巡り巡ってまた会う日もあるかも知れない。また遊びに行く日もあるかも知れない。今は、そんな風に前向きに考えたいモノだ。


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