親戚の中で私だけが団地育ち
とうとう遺品整理も終わりが見えて来た。「家の中のモノ」の整理はほぼ終わったので、一昨日から、庭にある倉庫の整理に着手している。まぁ覚悟はしていたが「手強い」作業である。「重い」「危険」「埃っぽい」などなど、「なぜ庭の倉庫に置くことになったか」を考えれば仕方ないだろう(汗)。
ただ、今回は「父母のモノ」を整理することが目的であったが、倉庫には結構「私自身のモノ」が多くあり、私の小中学生の頃の卒業アルバムなども出て来た。。必然的に当時のことを思い出しているうちに、ふとある考えが頭を過った。私は幼少期から成人するまで「団地」で育った‥ということだった。
当然の事ながら私は物心ついた時から団地という環境で育ったのでそれが当たり前、それが普通だった。近所では同世代のたくさんの子供がいて「友達」はたくさんいた。たぶん、一般的な「子供遊び」と言われるものはすべてやったという自負はある。他の子をいじめてしまったこともしまったこともあれば、自分がいじめられたこともあった。
ただ、小学校、中学校くらいまでは、クラスメイトのほとんどは「団地の子」だったのだが、高校生、大学生くらいになると徐々にその数が減って行った。20代の頃には「団地で育った子が周囲にほとんどいない」ことに気付いた。そして、団地に住むのは限られた境遇にある家庭に限られる‥ことも徐々に感じるようになった。
そういえば、高校、大学時代の友達で団地出身だった人はいない(と思う)。私の父も母も家内も子供たちですら‥一軒家で育っている。今、本当に私の周囲で団地出身者は私だけなのだ。。
団地育ちは必ずしも裕福でない?
※ここからは、私自身がそのような境遇にあったために書いていることで団地そのものを差別したり卑下しているものではないので誤解されませぬよう。あくまでも団地という環境に20年以上暮して来た者としての話です。
私は一人っ子で特に不自由なく育ててもらった。もちろん、食べ物や着る物などに困ったこともなく、お金に困ったこともなかった。学校も大学院まで行かせてもらい。結婚後は二世帯住宅の資金も出してくれた。両親には感謝していることに変わりはない。
でも、世間的には‥そうなのか‥そうだったのか‥‥‥‥と思うところがある。父や母の断片的な話では、父は自身で興した個人事業があまりうまく行かず、廃業に追い込まれたようだった。私の遠い記憶では、「就職」「正社員」という言葉をよく両親が話していたのを覚えていた。
当然、日々の生活は楽ではなかったのだろう。そこを起点に考えると、いくつかの両親の行動に関する私の疑問が解決されるのである。疑問とは「大学院に進学したいという私の希望をあっさり認めてくれたこと」「今住んでいる二世帯住宅の資金のほとんどを提供してくれたこと」である。
どちらも大金を要する話である。いくら一人息子の案件であったとしても「甘やかし過ぎでは‥?」と私自身が感じてしまう程だった。。でも真相は‥本当に両親が思っていたことは違うのかも知れない。
そもそも、今の「二世帯住宅」は私が幼少期に建てられるべき家だったのかも知れない。私も「一軒家で育った子」である筈だった。父の個人経営失敗が私の住む場所を変えた‥可能性は十分にある。当然両親はそんなことは承知済だから「せめて学歴は‥」「結婚後の家のお金は‥」と考えてもおかしくない。
両親への感謝は変わらない 今の家を大切に
この二世帯住宅を建てる時に親戚から「一人っ子が家まで建ててもらって‥」のような事を言われて、あまりいい気分がしなかったことを覚えている。ただ、その時に両親が変に話を膨らまして「早く孫の顔でも‥」などと言わなかった‥のは、もしかすると「私を幼少から成人になるまで、団地に住まわせてしまった」ことへの贖罪なのかもしれない。
これらのことを薄々感じ始めた今、当時「一人っ子が家まで‥」と言った親戚連中には言ってやりたい。。「では、あなたたちは子供の頃どんな家に住んでいたのですか?二階建てで自分の部屋があったのですよね?庭があったのですよね?私にはなかったのですよ」と。。
上記、両親の考えはあくまでも「かもしれない」ということであるし、私自身、団地で育ったことを特に後ろめたく感じたことも無ければ、今後もそんな風に考えるつもりもない。両親を恨むつもりもない。子供から大人に成長し、経験を重ね、いろいろと世間を見て来た上で、家の事に関して「あぁーそうなのかな‥」と遺品整理をしながら感じたので思うところを書いてみただけなのだ。



0 件のコメント:
コメントを投稿